走馬灯《アナスタシア side》
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これでいい……これでいい。
アイリスの走っていった方向を眺め、私はそっと目を伏せる。
娘の無事を心の底から祈りながら、満足気に微笑んだ。
『生きる』ということが目的だった自分の人生で、これほど意味のある死はないだろう。
実にいい最期だ。
黒い炎に身を焼かれていく痛みに耐えつつ、私は走馬灯のようなものを見る。
しかも、ご丁寧に幼少期から。
────数十年前の冬、ちょうど十一月頃に私は生まれたらしい。
というのも、出産後すぐに神殿の前へ捨てられていたから。
なので、正確な日付けは分からないのだ。
まあ、分かったからと言って何の得もないが。
神殿に保護された孤児は、ひたすら毎日働くだけのため。
誕生日を祝う習慣などなかった。
別にいいけどね。パンとスープだけと言えど、毎日しっかり三食与えられているし、温かい部屋で寝かせてもらっている。
どこぞで野垂れ死にするより、ずっといい。
「高望みはしない。私の目標はただ一つ、そこそこいい暮らしをしてそこそこ幸せになること。それだけよ」
────と、決心したのも束の間……私は小川で洗い物をしている最中、妙なものを発見した。
ただの棒切れというには豪華で美しいソレを前に、首を傾げる。
『とりあえず、神官に報告するか』と思い立ち、届けると────神殿内は大騒ぎになった。
が、直ぐに収まる。
結局、あれは何だったの……?家宝がどうとか、公爵家がどうとか言っていたけど。
まさか、お宝?
『なら、売れば良かったかも』と少し後悔しつつ、私は神官長の執務室の前を通り掛かった。
その際────
「発見した少女は確か、孤児だったな……なら、殺しても構わないか」
「はい。情報統制を兼ねて適当に処分しておきましょう。このことが、もし公爵家に知られたら……一巻の終わりですよ」
「そうだな」
────と、小声で話す神官達の声が聞こえた。
思わず立ち止まる私は、執務室の扉を凝視する。
ど、どうする……?逃げる……?でも、どうやって?
子供の私じゃ、直ぐ追いつかれるに決まっている。
目の前が真っ暗になる感覚を覚えながら、私はキュッと唇に力を入れた。
震える指先を握り込み、扉へ向き直る。
「逃げられないなら……交渉するしかない」
無理を承知で大人との取り引きに興じることにした私は、扉をノックした。
そして現れた神官長らに媚びへつらい、己の能力もアピールして……何とか事なきを得る。
と言っても、こんなの序章に過ぎないが。
だって、大変なのはこれからだから。
表向きには私を死んだものとして処理し、神殿の暗部として働くこと、か……。
しかも、しばらくは監視がついて回るなんて……。
「絶対に私を逃がさない気ね」
『はぁ……』と深い溜め息を零し、私は最初に課せられた任務をこなす。
『初っ端から、暗殺って……』と思いつつ、子供相手に油断したと思われるターゲットの首を掻き切った。
ブシャッと吹き出す真っ赤な血を浴びながら、私は少しぼんやりする。
元々どこか壊れていたのか、初めての殺人にも一切動じなかった。
「生に執着するだけの化け物だな、私は」
自嘲気味に吐き捨てたその言葉は、実に的を射ていて────それから十数年、私はただ死なないために悪事を働いてきた。
どんな汚れ仕事も、屈辱も、痛みも甘んじて受け入れ……神殿の暗部としての人生を歩む。
特に不満などはなかったが……ひたすら、虚しかった。
────私は何で生きているんだろう?
そんな疑問が何度も脳裏を過ぎる中、私は神殿の上層部に呼び出される。
そこで、告げられたのは
「アナスタシア、君にはこれからローガン・アンディ・エーデルに近づいてもらう」
という、新たな任務の内容だった。
『またしても色仕掛けか』と落胆しつつ、私は必要な情報だけ貰って任務へ取り掛かる。
今回は長期になるとのことだったので、気合いを入れて臨んだが……ローガンの陥落は早かった。
しかも、ラッキーなことに住居など諸々手配してくれたため、少しの間神殿と距離を置くことに成功。
まあ、定期的に訪問してくるので逃亡は難しいが。
それでも、こうして羽を伸ばして過ごせるのは実に十数年ぶりだった。
『お貴族さまさまね』と思いつつ、私はしばらくローガンの愛人を演じ続ける。
そんな時────妊娠が発覚した。
最近、なんだか体の調子が悪いと思ったら……。
「どうしよう?堕胎薬は準備に時間か掛かるって、言うし……」
『任務遂行に支障が……』と悩み、私は口元を押さえる。
何とも言えない倦怠感と吐き気に耐えながら、蹲った。
妊娠したと知ったら、ローガンはもう会ってくれないかもしれない……相続や後継などの問題で、愛人との子供を疎む貴族は多いから。
厄介事を嫌って捨てられでもしたら、神殿の上層部になんと言われるか……。
いや、ただ文句を言われるだけならまだいい……最悪なのは、役立たずの烙印を押されて処分されること。
「とにかく、妊娠のことは隠し通してさっさと堕胎しないと」
『私の命が懸かっている』と決心し、ローガンの訪問や神官の監視を何とかやり過ごした。
誰にもバレないよう細心の注意を払う中、ようやく堕胎薬が届けられる。
「これでやっと解放される」
ホッと息を吐き出して瓶の蓋に手を掛けると────トクンッと、私のものじゃない小さな鼓動が聞こえた……ような気がした。
「き、気のせい……気のせいだから」
半ば自分に言い聞かせるようにして呟き、私は蓋を開ける。
すると、また小さな鼓動がお腹から伝わってくる。
その瞬間────私は考えるよりも先に、堕胎薬を投げ捨てていた。
パリンッと音を立てて割れるソレを前に、私はお腹を抱え込む。
「そう、よね……生きたい、わよね……うん……」
我が子の意志を……願いを感じ取り、私は大粒の涙を流した。
自分でもよく分からないが、色んな感情が一気に溢れてきて……十数年ぶりに声を上げて、わんわん泣く。
「わ、たしも……私も貴方を産みたい……産みたいよ……」
紛れもない本心を吐き出し、私は崩れ落ちた。
十数年、神殿の暗部として生きてきた人間が母親なんて……ふざけているのは、分かっている。
でも、この子と一緒に生きたい。
「────ならば、産めばいい」
そう言って、私の肩に手を置いたのは────ローガンだった。
いつから、そこに居たのか……私を見て、少し涙ぐんでいる。
「アナスタシア、共にこの子を育てよう。必ず幸せにする。今はまだ妾という立場だが、近い将来公爵家で暮らせるよう取り計らうつもりだ」
「ローガン様……」
この時ばかりは馬鹿で能天気なローガンが神様に見え、私はクシャリと顔を歪めた。
ローガンたっての希望なら、神殿も出産に関して何も言わないだろう。
むしろ、ターゲットとの絆が深まっていいとすら思う筈。
『この子を守れる!』と歓喜し、私は声にならない声を上げる。
言いようの幸福感と高揚感に包まれる中、私はローガンの胸に飛び込んだ。
「はい……はい!私、産みたいです!この子の母親になりたいです!」
「ああ」
とても穏やかな表情で首を縦に振り、ローガンは優しく私を抱き締める。
「あとのことは、私に任せておけ。アナスタシアは自分と子供のことだけ、考えていればいい」
「はい……!ありがとうございます、ローガン様!」
心の底からローガンに感謝し、私は今ある幸せを噛み締めた。
────その数ヶ月後、私は無事に女の子を出産。
産後の肥立ちが悪いせいで子育ては思うように出来なかったが、我が子を抱いている時の幸福感は堪らなかった。
この小さな鼓動を、体温を、吐息を感じているだけで『嗚呼、生きているんだな』という実感が湧いてくるから。
この子だけは……アイリスだけは必ず守るわ。私の何を犠牲にしても。
「薄汚れた私では不満かもしれないけど、どうか母親で居させてね」
その言葉を……いや、記憶を最後に────私は現実へ引き戻される。
どうやら、走馬灯をじっくり楽しむ余裕すらなくなったようだ。
死の足音を近くで感じながら、私は地面に倒れ込む。
アイリスは無事に炎の中から、抜け出せたかしら……?
いや、きっと大丈夫よね。アイリスはとても強い子だもの。
『ここ数ヶ月、鍛えていたみたいだし』と思いつつ、私はおもむろに目を閉じた。
もう瞼を上げることすら、辛くて……。
「ねぇ、アイリス。貴方の母親で居させてくれて、ありがとう。凄く幸せだったわ」
生まれて初めて満たされた心や楽しいと感じた日々を思い返し、私は僅かに頬を緩める。
『実にいい人生だった』と満足し、私はあの世へ旅立った。




