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走馬灯《アナスタシア side》

◇◆◇◆


 これでいい……これでいい。


 アイリスの走っていった方向を眺め、私はそっと目を伏せる。

娘の無事を心の底から祈りながら、満足気に微笑んだ。


 『生きる』ということが目的だった自分の人生で、これほど意味のある死はないだろう。

実にいい最期だ。


 黒い炎に身を焼かれていく痛みに耐えつつ、私は走馬灯のようなものを見る。

しかも、ご丁寧に幼少期から。


 ────数十年前の冬、ちょうど十一月頃に私は生まれたらしい(・・・)

というのも、出産後すぐに神殿の前へ捨てられていたから。

なので、正確な日付けは分からないのだ。

まあ、分かったからと言って何の得もないが。

神殿に保護された孤児は、ひたすら毎日働くだけのため。

誕生日を祝う習慣などなかった。


 別にいいけどね。パンとスープだけと言えど、毎日しっかり三食与えられているし、温かい部屋で寝かせてもらっている。

どこぞで野垂れ死にするより、ずっといい。


「高望みはしない。私の目標はただ一つ、そこそこいい暮らしをしてそこそこ幸せになること。それだけよ」


 ────と、決心したのも束の間……私は小川で洗い物をしている最中、妙なものを発見した。

ただの棒切れというには豪華で美しいソレを前に、首を傾げる。

『とりあえず、神官(大人)に報告するか』と思い立ち、届けると────神殿内は大騒ぎになった。

が、直ぐに収まる。


 結局、あれは何だったの……?家宝がどうとか、公爵家がどうとか言っていたけど。

まさか、お宝?


 『なら、売れば良かったかも』と少し後悔しつつ、私は神官長の執務室の前を通り掛かった。

その際────


「発見した少女は確か、孤児だったな……なら、殺しても構わないか」


「はい。情報統制を兼ねて適当に処分しておきましょう。このことが、もし公爵家に知られたら……一巻の終わりですよ」


「そうだな」


 ────と、小声で話す神官達の声が聞こえた。

思わず立ち止まる私は、執務室の扉を凝視する。


 ど、どうする……?逃げる……?でも、どうやって?

子供の私じゃ、直ぐ追いつかれるに決まっている。


 目の前が真っ暗になる感覚を覚えながら、私はキュッと唇に力を入れた。

震える指先を握り込み、扉へ向き直る。


「逃げられないなら……交渉するしかない」


 無理を承知で大人との取り引きに興じることにした私は、扉をノックした。

そして現れた神官長らに媚びへつらい、己の能力もアピールして……何とか事なきを得る。

と言っても、こんなの序章に過ぎないが。

だって、大変なのはこれからだから。


 表向きには私を死んだものとして処理し、神殿の暗部として働くこと、か……。

しかも、しばらくは監視がついて回るなんて……。


「絶対に私を逃がさない気ね」


 『はぁ……』と深い溜め息を零し、私は最初に課せられた任務をこなす。

『初っ端から、暗殺って……』と思いつつ、子供相手に油断したと思われるターゲットの首を掻き切った。

ブシャッと吹き出す真っ赤な血を浴びながら、私は少しぼんやりする。

元々どこか壊れていたのか、初めての殺人にも一切動じなかった。


「生に執着するだけの化け物だな、私は」


 自嘲気味に吐き捨てたその言葉は、実に的を射ていて────それから十数年、私はただ死なないために悪事を働いてきた。

どんな汚れ仕事も、屈辱も、痛みも甘んじて受け入れ……神殿の暗部としての人生を歩む。

特に不満などはなかったが……ひたすら、虚しかった。


 ────私は何で生きているんだろう?


 そんな疑問が何度も脳裏を過ぎる中、私は神殿の上層部に呼び出される。

そこで、告げられたのは


「アナスタシア、君にはこれからローガン・アンディ・エーデルに近づいてもらう」


 という、新たな任務の内容だった。

『またしても色仕掛けか』と落胆しつつ、私は必要な情報だけ貰って任務へ取り掛かる。

今回は長期になるとのことだったので、気合いを入れて臨んだが……ローガンの陥落は早かった。


 しかも、ラッキーなことに住居など諸々手配してくれたため、少しの間神殿と距離を置くことに成功。

まあ、定期的に訪問してくるので逃亡は難しいが。

それでも、こうして羽を伸ばして過ごせるのは実に十数年ぶりだった。

『お貴族さまさまね』と思いつつ、私はしばらくローガンの愛人を演じ続ける。

そんな時────妊娠が発覚した。


 最近、なんだか体の調子が悪いと思ったら……。


「どうしよう?堕胎薬は準備に時間か掛かるって、言うし……」


 『任務遂行に支障が……』と悩み、私は口元を押さえる。

何とも言えない倦怠感と吐き気に耐えながら、蹲った。


 妊娠したと知ったら、ローガンはもう会ってくれないかもしれない……相続や後継などの問題で、愛人との子供を疎む貴族は多いから。

厄介事を嫌って捨てられでもしたら、神殿の上層部になんと言われるか……。

いや、ただ文句を言われるだけならまだいい……最悪なのは、役立たずの烙印を押されて処分されること。


「とにかく、妊娠のことは隠し通してさっさと堕胎しないと」


 『私の命が懸かっている』と決心し、ローガンの訪問や神官の監視を何とかやり過ごした。

誰にもバレないよう細心の注意を払う中、ようやく堕胎薬が届けられる。


「これでやっと解放される」


 ホッと息を吐き出して瓶の蓋に手を掛けると────トクンッと、私のものじゃない小さな鼓動が聞こえた……ような気がした。


「き、気のせい……気のせいだから」


 半ば自分に言い聞かせるようにして呟き、私は蓋を開ける。

すると、また小さな鼓動がお腹から伝わってくる。

その瞬間────私は考えるよりも先に、堕胎薬を投げ捨てていた。

パリンッと音を立てて割れるソレを前に、私はお腹を抱え込む。


「そう、よね……生きたい、わよね……うん……」


 我が子の意志を……願いを感じ取り、私は大粒の涙を流した。

自分でもよく分からないが、色んな感情が一気に溢れてきて……十数年ぶりに声を上げて、わんわん泣く。


「わ、たしも……私も貴方を産みたい……産みたいよ……」


 紛れもない本心を吐き出し、私は崩れ落ちた。


 十数年、神殿の暗部として生きてきた人間が母親なんて……ふざけているのは、分かっている。

でも、この子と一緒に生きたい。


「────ならば、産めばいい」


 そう言って、私の肩に手を置いたのは────ローガンだった。

いつから、そこに居たのか……私を見て、少し涙ぐんでいる。


「アナスタシア、共にこの子を育てよう。必ず幸せにする。今はまだ妾という立場だが、近い将来公爵家で暮らせるよう取り計らうつもりだ」


「ローガン様……」


 この時ばかりは馬鹿で能天気なローガンが神様に見え、私はクシャリと顔を歪めた。


 ローガン(ターゲット)たっての希望なら、神殿も出産に関して何も言わないだろう。

むしろ、ターゲットとの絆が深まっていいとすら思う筈。


 『この子を守れる!』と歓喜し、私は声にならない声を上げる。

言いようの幸福感と高揚感に包まれる中、私はローガンの胸に飛び込んだ。


「はい……はい!私、産みたいです!この子の母親になりたいです!」


「ああ」


 とても穏やかな表情で首を縦に振り、ローガンは優しく私を抱き締める。


「あとのことは、私に任せておけ。アナスタシアは自分と子供のことだけ、考えていればいい」


「はい……!ありがとうございます、ローガン様!」


 心の底からローガンに感謝し、私は今ある幸せを噛み締めた。

────その数ヶ月後、私は無事に女の子を出産。

産後の肥立ちが悪いせいで子育ては思うように出来なかったが、我が子を抱いている時の幸福感は堪らなかった。

この小さな鼓動を、体温を、吐息を感じているだけで『嗚呼、生きているんだな』という実感が湧いてくるから。


 この子だけは……アイリスだけは必ず守るわ。私の何を犠牲にしても。


「薄汚れた私では不満かもしれないけど、どうか母親で居させてね」


 その言葉を……いや、記憶を最後に────私は現実へ引き戻される。

どうやら、走馬灯をじっくり楽しむ余裕すらなくなったようだ。

死の足音を近くで感じながら、私は地面に倒れ込む。


 アイリスは無事に炎の中から、抜け出せたかしら……?

いや、きっと大丈夫よね。アイリスはとても強い子だもの。


 『ここ数ヶ月、鍛えていたみたいだし』と思いつつ、私はおもむろに目を閉じた。

もう瞼を上げることすら、辛くて……。


「ねぇ、アイリス。貴方の母親で居させてくれて、ありがとう。凄く幸せだったわ」


 生まれて初めて満たされた心や楽しいと感じた日々を思い返し、私は僅かに頬を緩める。

『実にいい人生だった』と満足し、私はあの世へ旅立った。

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