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母の願い《アイリス side》

「全員逃げて……!」


 必死の形相でこちらを振り返り、母はこちらへ駆けてきた。

その瞬間、ジュードが唇の両端を吊り上げる。


「ははっ!無駄だっつーの!アナスタシアなら、分かっているだろ!この俺が────ガキ共を閉じ込める結界を一枚しか用意していない、と思うか!?」


「「「!?」」」


 言葉の意味をいち早く理解し、私達は慌てて周囲を見回した。

が、透明な結界を見分けられる訳もなく……適当な装飾品や石ころを投げる。

すると、直ぐ何かにぶつかり、地面へ落ちた。


「やられた……!あれほどの強度の結界なら、一枚しかないと思っていた……!」


 『これは完全に僕の計算ミスだ……!』と歯軋りし、ヴィンセント様はジュードとの距離を詰める。

何かされる前に仕留めるつもりなのだろう。

でも────


「────もう遅い……!ここに居る奴ら、全員死ぬんだよ!」


 そう言うが早いか、ジュードは大きく息を吸い込んだ。


「インフェルノ……!」


 『ファイアブレス』より強力な魔法を展開し、ジュードはケラケラと笑う。

魔力の調整に必要な手を失った状態で、無理やり魔法を使えばどうなるか……彼も分かっている筈なのに。

『文字通り、皆殺しにするつもりなんだ』と確信する中、ジュードの体は発火し────弾け飛んだ。

かと思えば、一気に黒い炎が吹き出す。


「アイリス……!」


 迫り来る黒い炎を前に、母は私を突き飛ばす形で上に覆い被さった。

その瞬間、ここまで火の手が……。

結界内を満たす黒い炎は、そのまま私達の身を焦がした。


「……あの子、咄嗟に水の膜を張ってくれたようね……」


 『上出来だわ』とでも言うように笑みを零し、母はこちらを見下ろす。


「アイリス、貴方も神聖力を持っていると聞いたわ。結界を張れるかしら?」


「えっ?でも、水の膜が……」


「残念だけど、これはあまり長く持たないわ。ほら、どんどん蒸発しているでしょう?」


 視線だけ横に動かして、母は湯気立つ膜を見つめた。

『持って、一・二分ね』と零す彼女を前に、私は慌てて神聖力を行使する。

結界を張るのは初めてだが、何とか出来た。


 お姉様にやり方を学んでおいて、良かったわ。


 水の膜の内側に出来た結界を前に、私はホッと息を吐き出す。

と同時に、水の膜は全て蒸発した。

『あと一歩遅かったら……』と息を呑む私の前で、母は少しばかり体勢を崩す。


「恐らく、あと五分くらいで外の結界は解かれるわ。最後にありったけの神聖力を放ったとはいえ、術者が死亡した以上そう長くは維持出来ないだろうから。そうなれば、炎は拡散され勢いも緩やかになる筈。そのうちに脱出しなさい」


 『結界で足場を作れば、何とかなる筈よ』と言い、母は狭い空間の中で起き上がった。

身を捩って隅に寄る彼女を前に、私は愕然とする。

だって、母の背中が────滅茶苦茶になっていたから。


 恐らく、黒い炎によるものだと思われるが……骨や内臓を晒している状態だ。

『焼け爛れている』なんて生温い表現ではなく、抉れている……または、溶けているといった具合。

医学知識に疎い私でも、かなりの重傷であることは見て取れた。


 な、何で……?水の膜で守られたんじゃ……?

あっ、もしかして……黒い炎で沸騰した水の膜に、触れてしまった?

もしくは熱気だけでこうなったとか……?

あと、考えられるのは水の膜を張る寸前に黒い炎と接触してしまったことくらいだけど……でも、たった一瞬でこんなことになる?


 炎の恐ろしさを痛感しながら、私は震え上がる。

と同時に、ハッとした。

『そうだ、治せばいいんだ!』と思い至って。


「お、お母様……!背中の傷を見せてください!私の神聖力では完治出来ないかもしれませんが、応急処置くらいなら……!」


「ダメよ」


 キッパリとした口調で拒絶し、母はこちらを見据えた。

エメラルドの瞳に強い意志と覚悟を宿し、そっと私の頬を撫でる。


「アイリスも分かっているでしょうけど、貴方の神聖力はそこまで多くない。この結界の維持と脱出ルートの足場作りで、底が尽きると思う。私の治療なんて、している余裕ないわ」


「で、でも……」


 そう簡単に『はい、そうですか』と納得出来る訳もなく、私は食い下がった。

だって────このままだと、母は確実に命を落とすから。

平気そうに振る舞ってはいるものの……額に滲む脂汗や震える手足、微かに乱れた呼吸を見ただけで限界なのは分かる。

それに何より────母は私に『脱出しなさい』と言った。『一緒に脱出しましょう』ではなく……。


 お母様はきっと、ここで死ぬつもりなんだわ……。


「いい?アイリス。よく聞いて」


 優しく……でも強く私の肩を掴み、母は柔和に微笑んだ。

己の死期が近いことを、誰よりもよく分かっている筈なのに。

恐怖や不安なんて、一切見せなかった。


「貧民街の一番奥……郊外に近い場所の木の根元に、手紙を埋めてあるわ。そこに私の知っていることを全て(しる)してある。だから、信頼出来る人達を連れて探しに行きなさい。くれぐれも、一人で行っちゃダメよ」


 『危険だから』と言い聞かせ、母はじっと私の目を見つめる。

エメラルドの瞳に涙を浮かべながら。


「アイリス……こんなことになって、ごめんね。貴方だけは私の事情に巻き込みたくなかったのに……結局、色んなものを背負わせる結果となってしまった」


 申し訳なさそうに眉尻を下げ、母はコツンと額同士を合わせた。

かと思えば、一筋の涙を零す。


「本当は何も知らないままで居てほしかった。ただ普通の子供みたいに笑って……幸せになってほしかった。そして、出来ればその様子を傍でずっと見守りたかった」


 これでもかというほど後悔の念を吐き出し、母はクシャリと顔を歪めた。

かと思えば、うんと目を細める。


「薄汚れた私にとって、アイリスは奇跡みたいな存在なの……私を人間に戻してくれた、唯一の希望」


 『貴方が居たから、ここまで来れた』と語り、母はキツく私を抱き締めた。

久々に感じる母の温もりに目を見開く中、彼女は掠れた声で言葉を紡ぐ。


「私が母親でごめんなさい。でも、生まれてきてくれてありがとう。心の底から、愛している」


「お母様……」


 もはや疑う余地さえない母の愛情に、私は唇を引き結んだ。

少しでも気を抜いたら、泣いてしまいそうで。


「アイリス、私からの最期のお願いよ────生きて、幸せになって」


 どこか縋るような声色でそう言い、母はそっと体を離した。

と同時に、私を無理やり膝立ち状態にさせる。


「さあ、行って。もう外の結界は解かれている筈よ」


 先程より勢いの弱まった黒い炎を一瞥し、母は『早く』と急かした。

が、実の親を見殺しするような真似など出来る筈もなく……私は渋る。


「お母様も一緒に……」


「いいえ、私はここに残るわ。正直、もう……動けないから」


「それなら、私が背負っていきます」


「ダメよ。ただでさえ、炎の中は危険なのにお荷物を増やしてどうするの」


 『冷静に考えなさい』と告げ、母は厳しい顔つきになった。

かと思えば、優しく私の頭を撫でる。


「どの道、私は助からない」


「そんなのまだ分からな……」


「アイリス、これは貴方一人だけの問題じゃないのよ」


 真剣味を帯びた瞳でこちらを見据え、母は


「貴方はエーデル公爵家の当主で……真相解明のために重要な情報を握っている。万が一にも死んではいけない。もう貴方だけの命じゃないの」


 と、諭してきた。

グッと言葉に詰まる私を前に、彼女はふわりと柔らかく微笑む。


「だから、皆のために……何よりも私のために生きてちょうだい」


 『母のワガママを聞いてほしい』と懇願してくる彼女に、私はもう何も言えなくなった。

これほど切実に願われたら……乞われたら、叶えるしかない。

だって、恐らくこれが────最初で最後の母のワガママだから。


「分かり、ました……」


 震える声で絞り出すように了承すると、母は心底嬉しそうに笑う。


「ありがとう」


 お礼を言うのはどちらかと言うと、私の方なのに……母はまるで窮地を救われた民のように幸せそうだ。

『さあ、お行きなさい』と促す彼女の前で、私は守ってもらった手足に力を入れる。

五体満足で居られるのは母のおかげなんだ、と実感しながら。


「お母様、最後に一ついいですか?」


「何?」


 不思議そうに首を傾げる母に対し、私はスッと目を細める。

と同時に、彼女の手を握った。


「私の母になってくれて、ありがとうございました。お母様がお母様で本当に良かった」


「!!」


「私は間違いなく、世界で一番幸せな子供です」


 自信を持ってそう宣言し、私は名残惜しく思いながらもそっと手を離した。

と同時に、数十メートル間隔で結界を張り、足場を作る。

あとはこの結界を解いて、飛び立つだけ……このままだと、外に出れないから。


 ……早く覚悟を決めなさい、アイリス・レーナ・エーデル。


 『いつまで躊躇っているの』と己を叱咤する中、不意に目の前が暗くなる。


「行きなさい、アイリス。結界を解いたら、もう振り返っちゃダメよ。前だけ見て」


 そう言うが早いか、母は私の顔を無理やり押し上げ、目元に当てた手を下ろした。

視界はもう明るいのに、角度のせいか母の姿は見えない。

でも、傍に居るのはちゃんと分かった。


 たとえ、姿形が無くなってもお母様ならきっと傍に居てくれる。

この温もりはずっと消えない。


 ────そう信じて、私は一思いに結界を解除した。

と同時に、設置しておいた足場へ飛び乗る。

母の指示通り、前だけ見て……決して、後ろを振り返らなかった。

きっと見てしまったら……私は立ち止まるから。


 皆のために……何よりもお母様のために生きなきゃ。


 『迷うな』と自分の背中を押し、私は前へ前へと進んだ。

新たな足場を作りながら、炎の上を通過すること数分……ようやく、燃えていない地面が見える。

『良かった』と胸を撫で下ろす私は、何とかそこまで辿り着き後ろを振り返った。

が、炎や煙のせいで中の様子は全く見えない。


「お母様、ルパート殿下、ヴィンセント様……」


 燃え広がっていく黒い炎を前にジリジリ後退しつつ、私はそっと眉尻を下げた。

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