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アイリスの教育

 再婚以降より一層私を無視するようになった父に、首を傾げる。

『まさか、さっきの会話を聞かれていた……?』と危機感を抱く中、彼は手に持った書類を投げつけてきた。


「アイリスの家庭教師はもういい」


「えっ?」


「あの子はどうせ、我が家から出ないんだ。必要ない」


 『その分、優秀な婿を見つければいい』と主張し、父は家庭教師を全員解雇する旨の書類に目をやる。

そこにはしっかり当主の押印がされており、覆すことは不可能だった。


 決定事項って訳ね。アイリスがお父様に泣きついたのかしら?

もう勉強はやりたくないって。


「……それでも、テーブルマナーとダンスくらいは教えるべきかと思いますが」


 家庭教師から上がる報告に全て目を通しているため、アイリスの教養の具合は知っている。

だからこそ、今ここで勉強を中止させるのは危険だと判断した。

婿となった男性に全ての仕事を丸投げ出来たとしても、貴族である以上最低限の教養は必要になる。

今のレベルでは、社交界の笑い者にしかならない。

『それは本人も嫌だろう』と思案していると、勢いよく胸ぐらを掴まれた。


「この私に意見するか?お前はつくつぐ、気に食わないやつだ。忌まわしいシエラにそっくりだな」


 汚物でも見るかのような目でこちらを見下ろし、父は苛立ちを露わにする。

周囲の使用人が、慌てて止めに入ろうとするものの……


「お前達の主は私だ!私に逆らうつもりか!」


 と、怒号を上げた。

珍しく感情的になる父の前で、使用人達は萎縮してしまう。

それでも何とか助けようと勇気を振り絞る彼らに、私は小さく首を横に振った。

『さっき、言ったことを思い出して』と言うように。


 私は大丈夫だから……気にしないで。


 半分自分に言い聞かせるようにして『大丈夫』と繰り返し、私は平静を保つ。


「出過ぎた真似をしました。申し訳ございません。お父様の意見に従います」


 『自分が間違っていた』と主張すれば、父はゆっくりと手を離した。

大きく息を吐いて落ち着き、いつものように冷めた目でこちらを見下ろす。


「分かればいい」


 それだけ言い残し、父はさっさと部屋から出て行った。

と同時に、使用人達がこちらへ駆け寄ってくる。

『大丈夫ですか……!?』と心配する彼らに、私は笑顔を向け小さく頷いた。


 ────その翌日。

私は父と継母の居ない時間を狙って、アイリスの部屋へ繰り出した。

父にはああ言ったものの、やはり教養は身につけるべきだと思って。

こっそり、アイリスに教えようと考えたのだ。


 父にバレないよう動くとなると、家庭教師は雇えない。

だから、私自ら教えなければならなかった。


 『仕事との両立は難しいけど、頑張らないと』と奮起しつつ、私はアイリスの元を訪ねる。

まずは簡単な挨拶を交わし、来客用のソファに腰掛けた。

侍女の用意した紅茶とお菓子を前に、『ちょうどいいからテーブルマナーから教えよう』と思い立つ。


「あのね、アイリス。ティーカップを持つ時はこうやって……」


「え〜!?お姉様ってば、また私に勉強させるつもり!?」


「いや、これは貴方のためでもあって……」


「嫌よ、私!やりたくない!」


 プイッと顔を背け、アイリスは足でテーブルを蹴る。

本人はただプラプラ足を揺らしているだけのようだが、かなりお行儀が悪かった。


 まだ六歳の子供だからあまりガミガミ言いたくはないけど、社交界でこんな真似をしたら周りにどう思われるか分からない。

ここは姉として、しっかり指導しないと。


 父や継母はさておき、ある意味被害者の一人とも言えるアイリスのことはそこまで嫌いじゃないため、どうにか矯正出来ないか考える。

『どうやったら伝わるかな?』と知恵を絞っていると、アイリスはチラリとこちらを見た。

かと思えば、プクッと頬を膨らませる。

どうやら、説得を諦めていないことが伝わってしまったらしい。


「お父様は『やらなくてもいい』って、言ったもん!」


「ええ、そうね。でも、習っておいて損はないと思うわ。そうだ、こっそり練習してお父様達に披露すればきっと褒めてくれるわよ?」


「お父様もお母様は私が何をしたって、褒めてくれるわ!」


「それは……そうかもしれないけど、でも自分の力で何かを成し遂げた時の達成感は凄いわよ?」


 『自信にも繋がるし』と言葉を重ねるものの……アイリスは全く意に介さない。

今までずっと甘やかされてきたからか、何かのために頑張るとか我慢するとか、そういうことが理解出来ないようだ。

『だから、何?』と言わんばかりの態度を取るアイリスに、私はほとほと困り果てる。


 仕方ない……子供相手にあまりこんな話はしたくなかったけど、本当の理由を話そう。


「あのね、アイリス。今、貴方やお継母様はとても微妙な立場に居るの。血筋や名誉を尊ぶ貴族にとって、二人の存在はその……凄くイレギュラーでね。だから、パーティーやお茶会に行ったらきっと白い目で見られるわ」


「!」


 ハッとしたように目を見開くアイリスは、ようやくこちらを見た。

教養の大切さや必要性について理解し始め、表情を引き締める。

とはいえ、まだ子供なので何となく『自分に不利かも?』程度の認識しかないだろう。

でも、今はそれで充分だ。


「貴族達は貴方の一挙一動に目を光らせ、少しでも品のない行いをすれば即座に馬鹿にすることでしょう。言葉の端々に見えない棘を仕込みながら」


「……」


 危機感を煽られ黙り込むアイリスに、私はそっと眉尻を下げた。

『怖がらせてしまった』と良心を痛めながらも、言葉を紡ぐ。


「アイリス、社交界はそういう所なの。辛いかもしれないけど、他の貴族達に隙を見せないためにも教養を……」


 『教養を身につけましょう』と続ける筈だった言葉は、扉の開閉音によって遮られた。

ハッとして顔を上げると、そこには父の姿が……。


 嘘……?どうして……?今日は子爵と食事に行くって……!


「子爵が体調不良で来れないからと、代わりにアイリスを食事へ誘いに来たが……まさか、こんなことになっているとはな。早めに帰宅して、正解だった」


「お、お父様……」


 血の気が引いていく感覚を覚えながら、私は震える手を強く握り締める。

『この状況はどう考えても、不味い……!』と焦る私の前で、父はズンズンこちらへ近づいてきた。


「私に隠れて、コソコソと……まるで、ネズミのようだな」


「も、申し訳ございません。ですが、これはアイリスを思ってのことで……」


 『姉心だったんです』と弁解する私に、父はハッと乾いた笑みを漏らす。

と同時に、私の髪を思い切り引っ張った。


「言い訳は要らない!」


「っ……!」


「お前といい、シエラといい……本当にいつもいつも余計なことばかり!反吐が出る!」


 全身から嫌悪を滲ませ、父はソファから私を引きずり落とした。

『きゃぁぁぁああ!』と悲鳴を上げる侍女達を他所に、彼はどこかへ私を連れて行こうとする。

一応アイリスの前だからか、ここで罰を与えるつもりはないらしい。

『今回は鞭打ちくらいじゃ、済まないかも……』と震える中────コンコンッと扉をノックする音が聞こえた。

反射的に顔を上げると、開いたままの扉に寄り掛かる少年が目に入る。


「────ヴィンセント……」

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