取り引き《ヴィンセント side》
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────今から、約十年前……シエラ様の訃報を聞いて、数ヶ月経った頃。
僕はセシリアを守るために……そして、あの家から引き離すためにエーデル公爵家へ何度も縁談を持ち掛けていた。
が、返事は一貫してNO。
恐らく、将来のために……いや、アイリス嬢のためにセシリアを手放したくないのだろう。
「一生飼い殺しにするつもりか……」
公爵家の実務を全てセシリアに押し付けることで、アイリス嬢は自由となる。
恋愛も、家門も、お金も全部……。
いつでも全てを投げ出して、いつでも全てを手に入れられる立場に居られるのだ。セシリアという犠牲を払って。
「まあ、思い通りにはさせないけどね……」
目の前に聳え立つ大きな城を見上げ、僕はニヒルに笑う。
『我ながら、狂っている』と肩を竦めながら、城の中へ足を踏み入れた。
事前に話を通しておいたおかげか、すんなり応接室へ遠され────ロジャー皇帝陛下と対面する。
そこで簡単な挨拶を済ませ、僕は向かい側の席に腰掛ける茶髪の男性をじっと観察した。
彼の一挙一動を見逃さぬよう目を凝らしつつ、少しばかり身を乗り出す。
「陛下の貴重なお時間を割いていただいている訳ですから、無駄にしないよう率直に申し上げますね。本日、陛下の元へ参ったのは────僕ヴィンセント・アレス・クラインとセシリア・リゼ・エーデルの婚約及び結婚に手を貸していただけないか、相談するためです」
早速本題を切り出すと、ロジャー皇帝陛下は明らかに難色を示した。
公爵家同士の問題に首を突っ込むなど、出来ればしたくないのだろう。
最悪、内戦の火種となるから。
『まあ、ここまでは織り込み済み』と考えながら、僕は一先ず事情を説明した。
難しい顔つきで黙り込むロジャー皇帝陛下を前に、僕はスッと目を細める。
「もちろん、『何の見返りもなく』という訳ではありません」
『子供と言えど、それくらい心得ている』と示し、僕は頬杖をついた。
と同時に、エメラルドの瞳を真っ直ぐ見つめ返す。
「もし、陛下が僕の望みを叶えてくださるのなら────第三皇子ルパート・ロイ・イセリアル殿下をお守りしましょう」
二年ほど前に戦場へ送られた紫髪の少年を話題に出し、僕は内心ほくそ笑んだ。
だって、ロジャー皇帝陛下の反応があまりにも分かりやすかったから。
『やはり、お気に入りは第三皇子か』と確信していると、ロジャー皇帝陛下が僅かに表情を険しくする。
「断る」
僕のような若造に弱味を握られるのも、自分の内心を気取られるのも癪なのか、彼は強気で突っぱねた。
警戒心を露わにするロジャー皇帝陛下の前で、僕はゆるりと口角を上げる。
『どうせ、こっちの言い分を呑むしかないのになぁ』と、半ば呆れながら。
「おや?本当によろしいんですか?」
「何を勘違いしているのか知らんが、私はルパートのことを何とも思っていない。もし、大切に思っているなら戦場へ送るような真似はしないだろう」
『手元に置いて守った筈だ』と主張し、ロジャー皇帝陛下はこちらの考えを真っ向から否定した。
そもそもの前提から間違っているのだ、と……こんなの取り引きにならないと示し、肘掛けに寄り掛かる。
「私はアレが死のうと、心底どうでも────」
「────いい、とは思っていませんよね」
無礼を承知で言葉を遮り、僕はニッコリと微笑んだ。
『いい加減、無駄な足掻きなどやめればいいのに』と思いつつ、ティーカップの縁を指でなぞる。
「陛下はルパート殿下を……愛する第二皇妃殿下との子を大切に思っています。だからこそ、戦場へ送ったのです。少なくとも、様々な思惑が渦巻く皇城に居るより安全ですから」
応接室に来る途中、偶然出会った皇族達を思い浮かべ、僕は内心苦笑を漏らす。
あれはどう見ても、血に飢えた獣のようだったから。
『今代の皇位継承権争いは荒れそうだな』と肩を竦め、ゆっくりとティーカップを持ち上げた。
「関心のないフリをしているのも、他の妃や皇子の気を逸らすためですよね?自分が第三皇子に入れ込んでいると知れば、彼らはどんな手を使ってでも排除しに掛かる筈ですから」
難産のために亡くなった母親、小国且つ遠方のため頼れない母方親族、支持してくれる貴族の居ない現状……第一、第二皇子らが本気で暗殺を企てれば、第三皇子は呆気なく死を迎えるだろう。
『皇帝が守ればいい』と思うかもしれないが、指導者という立場を考えると私情で動くことは出来ない。
何より、今は貴族達の策略により皇権が弱まっている。
反乱など起こされれば、一溜まりもない。
「皇帝という立場を守りながら、愛する女性の忘れ形見を守り抜くのは至難の業でしょう。だから、この取り引きは陛下にとってもかなり意義のあるものになる筈ですよ」
確信を持った口調でそう言い、僕は紅茶を口に含む。
『お互いのためにお互いの要求を呑みましょう』と示すと、ロジャー皇帝陛下は眉間に皺を寄せた。
「……何故、私がルパートに肩入れしていると思うんだ?」
『そんな素振りは一切見せなかった筈……』と訝しむ彼に対し、僕はこう切り返す。
「貴方の腹心である、ビルソン卿を一緒に行かせたからです」
「なっ……!?どうして、ビルソン卿が私の腹心だと……!?」
思わずといった様子で声を荒らげるロジャー皇帝陛下は、『誰も知らない筈なのに……!』と驚いた。
かと思えば、慌てて表情を取り繕う。
まさかそこまでバレているとは思ってなくて、柄にもなく取り乱してしまったのだろう。
コホンコホンと咳払いする彼を前に、僕は『へぇー……この情報も当たりだったんだ』と頬を緩める。
「とある方から聞きました」
「それは一体、誰だ────と言っても、答えくれる訳ないか」
「はい」
間髪容れずに首を縦に振り、僕はティーカップをソーサーの上に戻した。
『そろそろ、折れてくれるだろうか』と思案する中、ロジャー皇帝陛下は大きく息を吐いて黙り込む。
どうやら、まだ腹を決め兼ねているらしい。
余程慎重になっているのか、それとも年齢を気にしているのか……まあ、なんにせよ────そろそろ、鬱陶しいな。
『丁寧に対応するのも疲れた』と溜め息を漏らしつつ、僕はそっと口元に手を当てた。
「国境を警備しているクライン公爵家なら、ごく自然に殿下と接触出来る上、さりげなくサポートすることも可能です。その逆も然りですが」
「この私を脅すつもりか?」
「いえいえ、脅すなんてそんな……私はただ、『そういうことも出来ますよ』と可能性を提示しているだけです。謂わば、例え話ですよ」
おどけるように肩を竦め、僕はニコニコと笑う。
でも、きっとロジャー皇帝陛下は気づいているだろう。
────僕の目が笑っていないことに。
「陛下、僕は基本とても穏やかで温厚なのですが、この世に三つ許せないことがあります」
「ほう?それはなんだ?」
若干表情を強ばらせながら話の先を促すロジャー皇帝陛下に、僕は笑みを深める。
「一つ、セシリアの健康を害されること。二つ、セシリアの幸せを妨げられること。三つ、セシリアと僕の仲を引き裂かれること。今回は見事に全部、当てはまっていますね。なので────」
そこで一度言葉を切ると、僕は意味ありげに両手を広げた。
「────僕はたとえこの手を血で赤く染めてでも、セシリアをあの家から出しますよ。まあ、その血が誰になるかは分かりませんけど」
『高貴な方が血を流すことになるかもしれませんね』と述べ、僕は第三皇子の暗殺を匂わせる。
途端に顔色を悪くするロジャー皇帝陛下の前で、僕はクスリと笑みを漏らした。
「陛下、我が家の習性はご存じですよね?」
クライン公爵家の人間は大抵頭のネジが外れていて、目的のためならば手段を選ばない。
僕は直系ということもあり、その性を強く引き継いでいた。
おぞましく思ってしまうほどに。
でも、このおかげで一切躊躇うことなく何でも出来る。それは美点と言えよう。
「……ああ、嫌という程よく知っている。クライン公爵が今の公爵夫人を手に入れるため、一国を滅ぼした時にな」
『とんでもない血筋だよ……』と語り、ロジャー皇帝陛下は目頭を押さえた。
「貴様らの恐ろしいところはきちんと大義名分を作った上で、相手を追い詰めることだ。傍目から見ると、正義のヒーローにしか見えぬ……だからこそ、不気味でしょうがない」
「ふふふっ。褒め言葉として受け取っておきます」
『褒めてないわ』と言いたげなロジャー皇帝陛下を見据え、僕はスッと目を細める。
と同時に、膝の上で両手を組んだ。
「とりあえず、何が言いたいかというと────平和を望むなら、僕に酷いことをさせないでください」
『父のような事態は避けたいでしょう?』と主張し、僕はゆるりと口角を上げる。
半ば脅しているようなものだが、こちらとしてはもう待てなかった。
婚約者になれば、定期的にセシリアと会えるから。
少なくとも、門前払いを食らうことはもうないだろう。
『だから、早く取り引きに応じてくれ』と苛立つ中、ロジャー皇帝陛下はそろそろと顔を上げる。
「……一つ聞く。ルパートを守るためなら、小公爵は何でもやってくれるのか?」
「ええ、僕とセシリアの障害にならない限りは」
「皇位継承権争いで勝ち抜き、皇帝となることがルパートを守る唯一の手段だったとしても?」
「はい。どんな手段を使ってでも、ルパート殿下を皇帝にしますよ」
迷わずそう答えると、ロジャー皇帝陛下はようやく態度を軟化させた。
険しかった表情も和らげ、ホッとしたような素振りを見せる。
そして大きく息を吐くと、真っ直ぐにこちらを見据えた。
「分かった。小公爵の取り引きに応じよう」




