神聖力
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アイリスがルパート殿下の講義を受けるようになってから、早二週間。
彼女は剣と鞭を自在に操り、ルパート殿下と普通に手合わせ出来るレベルまで登り詰めていた。
と言っても、詰め込み教育で実践重視のためまだ欠けている部分は多いが。
それでも、脅威の成長スピードである。
先日、様子を見に来たヴィンセントも驚いていた。
この調子なら、暗殺者の一人や二人くらい簡単に倒せそうね。
もちろん、そういう状況にならないのが一番だけど。
『やっぱり、実践と実戦じゃ違うだろうし』と考えつつ、私は書斎に設置した黒板を一瞥する。
と同時に、前を向いた。
席へ着いているアイリスを見据え、パンッと手を叩く。
「それじゃあ、今日は神聖力について説明していくわね」
ルパート殿下の都合によりお休みとなった体術の講義を埋めるため、私は教鞭を執った。
チョーク片手に黒板へ向き直り、必要な情報を書き記していく。
「神聖力は魔力と同じくらい有名なエネルギーで、主に神様へ仕える神官達が使っているの。何故か分かる?」
「神様に関係する力だから?」
『神聖力と言うくらいだし』と答えるアイリスに、私は小さく首を縦に振った。
「正解よ。神聖力は神様より与えられし力で、祈りによって得られるの。だから、基本的に誰でも力を得ることが出来るのだけど、かなり一生懸命祈らないとダメ。それこそ、一日中祈祷室に籠るくらいの勢いでね」
かなりの努力と忍耐が必要であることを示し、私は黒板に二つの丸を描いた。
一方を神聖力の総量とし、もう一方を魔力の最大量と記載する。
「あと、神聖力は魔力と違って消費しても回復出来ないの。また祈って、その分を補わなきゃいけないってこと」
「面倒臭そうね」
消耗系の力だと知るなり少しばかり眉を顰め、アイリスは『割に合わないじゃない』と溜め息を零す。
本当の意味で力が身につく訳じゃない神聖力の在り方に、不満を抱いているようだ。
『訓練して体を鍛えた方が、よっぽどいい』と述べる彼女の前で、私は苦笑を漏らす。
「まあ、普通はそう感じるわよね。だから、よっぽど信心深い人じゃないと手に入らない力なのよ。ところで、アイリスは神様に祈りを捧げたことって……」
「ない」
「だと思ったわ。でも、一応使い方と用途について教えておくわね」
『どこかで役に立つかもしれないから』と言い、私は黒板へ文章を書き込んでいく。
「神聖力で出来ることは、主に治癒と防御と浄化の三つ。治癒はその名の通り、傷を癒せることね。次に防御についてだけど、これは結界を張れることだと思ってくれればいいわ。最後に浄化。これは作物の成長を促したり、汚れたものを綺麗にしたりすることが出来るみたい」
『どれも使い手によって、効力はまちまちだけど』と補足しつつ、私は一旦チョークを置いた。
と同時に、後ろの方を振り返る。
「それで使い方についてだけど、具体的に何をどうしたいのか想像しながら祈るだけとのことよ」
神官より直接聞いた話を思い返し、私は『無詠唱で使えるなんて凄いわよね』と肩を竦めた。
魔法じゃ、こうはならないから。
『精霊語の内容から、どんな魔法を使うかバレることもあるし』と思案していると、アイリスがふとペンを置く。
「ふ〜ん?じゃあ────」
白の手袋を剥ぎ取り、アイリスは包帯に巻かれた自身の手を見下ろした。
短期間で急成長を図った弊害か、彼女の体は傷ついている。
具体的な症状は筋肉痛やマメなどだが、その度合いは……痛みは計り知れなかった。
『本人は平気そうにしているけど』と眉尻を下げる中、アイリスは包帯を解く。
「────この傷が治りますようにって祈ったら、治る訳ね」
「ええ」
コクリと頷いて同意すると、アイリスは手の傷を凝視しながら
「治って」
と、一言呟いた。
それは祈りと言うより詠唱や命令に近い響きで、神々しさなど微塵もない。
『まあ、アイリスらしいけど』と苦笑していると────彼女の体が白い光を放った。
「なっ……!?」
予想だにしなかった展開に目を剥き、私はたじろぐ。
これは神官が神聖力を使う際、放っていた光……!ということは、まさか……!
既視感を覚える光景に困惑する中、光は収まる。
そして、アイリスの手元を覗き込むと────傷の治った、まっさらな肌が目に入った。
「ねぇ、アイリス……!貴方やっぱり、神様に祈りを捧げていたんじゃ……!?」
どう考えても、神聖力を持っているようにしか思えず……私は問い質す。
が、珍しくポカンとしている様子のアイリスを見て直ぐに考えを改めた。
落ち着きのない子供だったアイリスが、お祈りのポーズを取ってじっとしていられる訳ないわよね……。
そもそも、神頼みするような願いなんてなかっただろうし。
『大体、お父様が要望を叶えてくれていたから』と思い返し、私は顎に手を当てて考え込む。
────と、ここでアイリスがハッと顔を上げた。
「わ、私は本当に祈ったことなんてないわ。お母様はあるかもしれないけど……」
「お継母様が?」
散財癖のある継母と神殿がどうも結びつかず……私は小首を傾げた。
だって、神殿の教えでは基本『欲に抗い、己を律すること』を美徳としているから。
つまり、欲望のままにお金を使う継母とは正反対の思想ということ。
大体、お継母様から神殿の話なんて一切聞いたことがないし……お父様があまり信仰心に厚い人じゃないから、それに合わせたのかしら?
などと考えていると、アイリスが机の上に頬杖をついた。
「そう。お母様はよく神官と会っていたから」
『神殿に通っていた』ではなく、『神官と会っていた』?
なんだか、妙に引っ掛かる言い方ね。
「一応聞くけど、どこで会っていたの?」
「家だけど……それがどうかした?」
『何か変なことでもあったか?』と頭を捻るアイリスに、私は言葉を失う。
だって、神官が頻繁に個人のお宅……それも平民の元へ足を運ぶなんて、有り得ないから。
父と再婚後ならまだしも、貴族の恋人程度ではそこまで手厚い対応を受けられない。
『その神官と個人的に仲が良かったとか?』と悩みつつ、私は一つ息を吐いた。
とりあえず、このことはヴィンセント達に伝えておこう。
もしかしたら、何かの役に立つかもしれないし……。
「何でもないわ。ただ、珍しいことだったから驚いただけ。それより、アイリスの神聖力についてだけど」
話を元に戻し、私は再び黒板へ向き直った。
と同時に、チョークを手に取る。
「神聖力を得るには、もう一つ方法があってね。簡単に言うと────自分以外の誰かから、祈ってもらうことよ。例えば、私がアイリスの健康を祈るとするでしょう?それで神様の目に留まったら、私……ではなく、健康を祈られた側のアイリスが神聖力を得られるの」
「ふ〜ん」
まじまじと手のひらを眺めながら、アイリスは『じゃあ、お母様が?』と考え込む。
難しい顔つきの彼女を前に、私はクルリと体の向きを変えた。
「ただ、これはかなり難しくてね……というのも────純粋にその人のことだけを考えなきゃいけないから。私情を入れたら、ダメってこと」
両手の人差し指を交差させ、私は言葉を続ける。
「さっきの例え話で言うと、私はアイリスが健康になることによって、当主の座を放棄出来るというメリットがあるでしょう?だから、お祈りのときに少しでもそのことを考えたらアイリスに神聖力を与えられない。それは貴方のための祈りじゃなくて、私のための祈りになるから」
「なるほど。確かに難しい条件ね」
納得したように頷くアイリスは、『一見簡単そうに見えたんだけど』と肩を竦めた。
かと思えば、開けっ放しの窓から青空を見上げる。
「つまり、誰かが私の健康や幸せを本気で祈って神聖力を与えてくれたってことね」
「恐らくね。一番可能性が高いのは、やっぱり肉親であるお父様とお継母様だけど……現状、確認は難しいと思う。どうしても気になるなら、ヴィンセントに頼んでみるけど……」
「大丈夫。この世に私のことをそれほど思ってくれる人が居る、と分かっただけで充分だから」
そよ風に揺れる銀髪をそのままに、アイリスはどこか柔らかい表情を浮かべた。
なんだか吹っ切れた様子の彼女を前に、私は少し申し訳なくなる。
多分、アイリスはずっと心細かったんだろうと思って。
そりゃあ、そうよね。絶対的味方だった両親と離れることになったんだから。
しかも、命を狙われているとまで来た。
これで不安を感じない方が、おかしいわ。
『これからはもっと気に掛けてあげないと』と姉心を加速させる中、アイリスはふとこちらを見る。
「ねぇ、お姉様。少し体を動かしてきても、いいかしら?こんなにいい天気だから、なんだかウズウズしちゃって」
『ちょっとだけにするから』と頼み込み、アイリスはじっとこちらの顔色を窺った。
言いつけを守ってお伺いを立てる彼女に、私はクスリと笑みを漏らす。
アイリスの成長をヒシヒシと感じながら。
「いいわよ。どうせ、今日の講義はもう終わろうと思っていたから。くれぐれも、無茶はしないようにね」
「ええ。ありがとう、お姉様」
パッと表情を明るくして、アイリスは椅子から立ち上がった。
かと思えば、小走り程度の速さでこの場を去っていく。
本来であれば、きちんと歩くよう咎めるべきなんだろうが……
「あんなに嬉しそうな顔をされたら、何も言えないわ」
『私も存外妹に甘いみたい』と肩を竦め、小さく笑った。
────と、ここで部屋の扉をノックされる。それも、物凄い勢いで。
「セシリア、アイリス!」




