身を守る術
「分かった。じゃあ、早速なんだけど────これからもその部下をここに置いてもいいかな?」
そっと私の手を取り、ヴィンセントは『お願い』と弱々しい声で頼み込んできた。
心配という感情を前面に出す彼の前で、私は唇に力を入れる。
気を抜いたら、『いいよ』と言ってしまいそうで。
「あ、有り難い申し出だけど、そんなに優秀な方を貸していただいていいの?」
「もちろん。セシリアのためなら、何を差し出しても惜しくないからね」
一切言い淀むことなく答えるヴィンセントに、私はもう何も言えなくなった。
正直、とても助かるから。
警備強化のために新たな騎士を雇うとなると、間者の入る隙を与えてしまうのよね。
だからと言って、今居る人員だけで厳戒態勢を敷き続けるのも無理があるわ。
短期ならまだしも、いつ終わるかも分からない状況だから。
「じゃあ、お言葉に甘えて」
「ああ、そうしてくれると助かるよ」
『僕も安心出来るから』と語り、ヴィンセントはホッとしたように表情を和らげた。
かと思えば、不意にアイリスの方を見つめる。
「ところで────アイリス嬢は何か、自分の身を守る術を持っているかい?もちろん、君を守り切れるよう最善は尽くすけど、万が一に備えて魔法なり武術なり覚えておいた方がいい」
『備えあれば憂いなし』という異国の諺を唱えるヴィンセントに、アイリスは悩ましげな表情を浮かべた。
「自分を守る術は今のところ、ありません。私の守護精霊の属性は光で……あまり役に立ちそうにないので。体術に関しては、習ったこともありませんし」
「なるほど。光魔法も使い方次第で役に立ちそうだけど……直接攻撃は出来ないから、厳しいか」
『せいぜい、目くらまし程度』と呟き、ヴィンセントは自身の顎を撫でる。
「じゃあ、とりあえず体術を習ってみよう。もしかしたら、案外身につくかもしれない」
『何もしないより、マシだろう』と主張するヴィンセントに、アイリスは首を縦に振った。
元々体を動かすのは好きなので、やってみたい気持ちが強いのだろう。
でも、ここで問題が一つ……。
「ねぇ────さすがに私じゃ、体術を教えられないわよ?」
『私自身、習ったことないし』と言い、二人の顔色を窺った。
すると、ヴィンセントが考え込むような動作を見せる。
「エーデル公爵家の騎士に習う……のは、ちょっと難しいか。警備強化に伴って、これから忙しくなるだろうし」
「だからと言って、外部の人間を呼び寄せるのは抵抗があるのよね」
「運悪く、敵の手下を引き当てたら一巻の終わりだからね。本末転倒もいいところ……我が家の騎士を派遣出来ればいいんだけど、今はほとんど出払っているし」
国境や屋敷の警備で手一杯と思われるクライン公爵家の騎士達を選択肢から外し、彼は嘆息した。
本当に任せられる人物が居なくて、頭を抱えているのだろう。
「ごめんなさい、ヴィンセント。困らせちゃったわね。この問題はエーデル公爵家の方で解決するべきだから、気にしなくていいわ」
「いや、体術を習うよう提案したのは僕なんだから講師の紹介くらいさせて」
『言うだけ言って、丸投げなんて格好がつかない』と述べ、ヴィンセントは再び考え込む。
右へ左へ視線をさまよわせ、誰か居ないか探す中……彼は不意に顔を上げた。
「そうだ────ルパート殿下に頼もう」
────という有り得ない言葉を聞いた、翌日。
本当に第三皇子が我が家を訪れた。アイリスに体術を教えるためだけに。
「今日はよろしく頼む」
突然の要請に文句を言うでもなく、ルパート殿下は開口一番にそう言った。
何の感情も窺えない青い瞳を前に、私は震え上がる。
あまりにも恐れ多くて。
「こ、こちらこそよろしくお願いします!」
「お願いします」
「ああ」
『そう畏まらなくていい』と言いつつ、ルパート殿下は訓練場所として用意した裏庭を眺める。
急遽花壇を撤去し作った空間のため、あまり見映えはよくないが、騎士達の練習場を占拠する訳にもいかないのでこうなった。
『広さは充分だな』と呟く彼を前に、私はおずおずと口を開く。
「あ、あの……ここまでご足労いただいた段階で言うのもなんですが、本当によろしかったんですか?アイリスの講師を引き受けて」
長年戦場に身を置いていたルパート殿下は、今まさに勢力を伸ばしている状況。
講義なんかよりも、パーティーやお茶会に参加するべきだろう。
『エーデル公爵家は今、悪目立ちしている家門だし……』と思案し、ルパート殿下の進退を案じる。
皇位継承権争いの真っ只中で、こんなにゆっくりしていていいのか?と。
「ああ、問題ない。ちょうど、社交界のマナーや慣習に飽き飽きしていたところなんだ。それに、無理に勢力を拡大する必要はないと言われている。自分の存在さえ、アピール出来れば」
「は、はあ……それなら、いいんですが」
『それって、誰からのアドバイス?』と頭を捻りながらも、私は相槌を打った。
あまり深入りしない方がいいかと思って。
「じゃあ、あとのことは任せました。私は少し離れた場所から、見ていますので」
『せめて、初回くらいは傍に居た方がいいだろう』との判断で、私は見学を決め込む。
数歩後ろに下がる私の前で、ルパート殿下は早速講義を始めた。
かと思えば、説明もほどほどに実践へ移る。
『とにかく、掛かってこい』と示す彼を前に、アイリスは一瞬の躊躇いもなく拳を繰り出した。
か、仮にも相手は第三皇子なのに……アイリスは本当に容赦ないというか、なんというか。
『見ているこっちがヒヤヒヤする』と身震いする中、アイリスは次々と攻撃を仕掛けていく。
が、ルパート殿下には当たらない。
さすがは戦場経験者とでも言うべきか、アイリスの動きを全て見切り、回避していた。
それも、ほんの僅かな動きで。
「もっと脇を締めろ。それから、全身を使え。お前の武器は拳と蹴りだけか?」
的確なアドバイスを与えながら、ルパート殿下は素早くアイリスの背後に回る。
と同時に、首を軽く掴んだ。
「こうなった時、どうする?考える時間はないぞ。相手はお前に反撃する暇など与えず、首を絞めるなり動脈を切るなりするからな」
『ほら、早く動け』と言い放ち、ルパート殿下は少しばかり手に力を込めた。
その瞬間、アイリスは肘を打ち込むものの……案の定、避けられる。
「及第点ではあるが、なかなかいい動きだ。だが、女である以上力では男に敵わない。だから、狙うなら急所だ。さっきのシチュエーションだと、目が一番いいな。素手じゃ、心臓や首筋などの急所は狙えないし」
「はい」
思ったより本格的……というか実践的なやり方に気を良くしたのか、アイリスは素直に従う姿勢を見せた。
表情も普段より、活き活きして見える。
そして、何より────
「────着実に上達しているな」
そう言って、私の隣に立ったのは祖父であるフランシス・ジェフ・エーデルだった。
どうやら、休憩ついでに様子を見に来てくれたらしい。
祖父もちょっと心配だったのだろう。
「ええ。前々から運動神経のいい子だとは思っていましたが、まさかここまでとは……」
ルパート殿下のアドバイスを全て吸収しているアイリスに、私はスッと目を細める。
礼儀作法やマナーの講義からやれば出来る子であることは分かっていたものの、正直こんなに優秀だとは思ってなかった。
『体術を習わせたのは正解だったかも』と思案する中、祖父はゆるりと口角を上げる。
「何か武器を持たせてみるのも、いいかもしれんな。簡単な護身術を教える程度じゃ、満足せんだろう────師も弟子も」
明らかに楽しんでいる様子のルパート殿下とアイリスを見つめ、祖父は『こりゃ、化けるぞ』と呟いた。
かと思えば、踵を返す。
どうやら、そろそろ仕事に戻るようだ。
「アイリスに合う武器は剣と鞭だな。そんな気がする」
「では、とりあえずその二つを用意しておきます」
「ああ」
『予算案はこちらで組んでおく』と言い残し、祖父は建物の中へ戻って行った。
さて、ヴィンセントに頼んでいい鍛冶師を紹介してもらわなくちゃ。




