アイリスの覚悟
「出来るね?」
どこか圧を感じる物言いで問い掛け、ヴィンセントは少しばかり身を乗り出した。
『出来ないとは、言わせない』という雰囲気を漂わせて。
「ゔぃ、ヴィンセント……」
「ダメだよ、セシリア。ここで甘やかしたら、ローガン・アンディ・エーデルの二の舞になる」
いつになく厳しい口調で助け船を却下し、ヴィンセントは黄金の瞳に嫌悪感を滲ませた。
普段はどんなに嫌な相手でも、感情を隠すのに。
『我慢の限界ということか……』と実感する中、ヴィンセントはトントンと人差し指でテーブルを叩く。
「この際だから、ハッキリ言うね。僕はアイリス嬢のことが嫌いだ。セシリアは『両親の被害者』だと思っているようだけど、僕は違う。自ら学ぶ機会を……自分の環境はおかしいと気づける機会を放棄し、現実から目を背けてきた卑怯者だ」
淡々と自分の見解を述べ、ヴィンセントはおもむろに両腕を組んだ。
と同時に、アイリスを軽く睨む。
「アイリス・レーナ・エーデル、ローガン・アンディ・エーデルに甘てきたように、これからはセシリアの慈悲に甘えていくつもりかい?」
咎めるような声色で質問を投げ掛けるヴィンセントに、アイリスは
「ううん、これからはちゃんと自分の足で歩いていく」
と、迷わず答えた。
誰かに依存して生きていくことがどれほど恐ろしいのか、父の件を通して思い知ったからだろう。
血が滲むほど強く手を握り締めるアイリスは、確かな意志と覚悟を瞳に宿した。
時折怒りや屈辱が垣間見えるものの、何とか感情をコントロール出来ている。
他人にここまで言われて理性を保てているのは、単純に凄かった。
『大人でもカチンとくる物言いだっただろうに』と瞠目する中、ヴィンセントはようやく態度を軟化させる。
「その言葉を聞けて、安心したよ。陛下に掛け合った甲斐があったというものだ」
「ヴィンセント様をガッカリさせないよう、頑張るね。あと────」
いそいそと居住まいを正し、アイリスは表情を引き締めた。
かと思えば、勢いよく頭を下げる。
「────ヴィンセント様、それにセシリアお姉様も。私のワガママで色々迷惑を掛けて、ごめんなさい。お姉様にはさっきも言ったけど、皇帝……陛下から教えてもらったの。私の行いは悪いことだったって」
アイリスなりのケジメなのか、きちんと謝罪を行ってくれた。
今まで誰かに頭を下げるなんて、したことなかっただろうに。
嫌とか恥ずかしいとか、そういう感情を全て呑み込んだのだ。
『やっぱり、根は素直なんだな』と頬を緩める私の前で、アイリスはゆっくりと顔を上げる。
「だから、償わせてほしい────けど、今は自分のことでいっぱいいっぱいだから、まだ待って。たくさん勉強して、たくさん成長して、たくさん役に立てる人間になるから」
誓いを立てるかのように自身の胸元へ手を添え、アイリスは真っ直ぐにこちらを見据えた。
純粋ながらもどこか力強いアメジストの瞳を前に、私はスッと目を細める。
「ええ、アイリスが立派な貴族になる日を心待ちにしているわ」
『貴方なら出来る』と背中を押し、私はふわりと柔らかく微笑んだ。
◇◆◇◆
────エーデル公爵家に戻ってきてから、一週間ほど経過した頃。
ヴィンセントの情報通り、私達の祖父フランシス・ジェフ・エーデルが帝都を訪れた。
ヴィンセントの采配か、ロジャー皇帝陛下の気遣いか滞在場所は我が家に指定され、今まさに顔を合わせている。
お祖父様って、結構お歳を召されている筈なのに若々しいわね。
それになんというか……大きい。日頃から、鍛えているのかしら?
白髪紫眼の美丈夫を前に、私は一瞬呆気に取られるものの、直ぐさまお辞儀する。
お互い初対面だから、最低限の礼儀は通そうと思って。
「お初にお目に掛かります。エーデル公爵家の長女セシリア・リゼ・エーデルです。こちらは妹であり、現在当主代理を務めているアイリス・レーナ・エーデル。ゆくゆくはエーデル公爵家の正式な当主となり、家門を引っ張っていく子です」
「よろしくお願いします、お祖父様」
ここ一週間で身につけた礼儀作法を見事発揮し、アイリスは優雅に頭を下げた。
まだ動きは若干ぎこちないものの、手の位置や顎の角度などはきちんと合っている。
ギリギリ合格点と言ったところだろうか。
「儂も一応、自己紹介しておくか。一応、現公爵の父親……っと、ローガンはもう貴族籍から抜かれて当主じゃなくなったんだったな」
意外と耳が早い祖父は、やれやれと頭を振る。
『歳はとりたくないものだ』とボヤきながら髭を撫で、軽く咳払いした。
「では、改めてフランシス・ジェフ・エーデルだ。よろしく頼む」
そう言うが早いか、祖父は我々と同じように頭を下げる。
『かつて当主だったから』と威張ることも、『罪を犯した者だから』と変に謙ることもなく、ただこちらの意向に合わせてくれた形だ。
今までこのように向き合ってくれる大人は少なかったからか、私もアイリスも少し驚く。
────と、ここで祖父は懐から手紙を取り出した。
「そちらの事情は事前に送ってもらった手紙で、把握している。元を正せば私の不始末のせいだから、出来る限り力になろう。ただ、十数年のブランクがある上、最近の情勢には少し疎い。全てを完璧にこなすのは、難しいと思われる」
厳しい顔つきでそう語る祖父に、私は直ぐさまこう答える。
「もちろん、全て任せきりにするつもりはありません。私もいくつか仕事を請け負うつもりです」
「それは助かる」
「いえ、そんな……むしろ、助けていただいているのはこちらの方で……」
本来であれば、我々の世代でどうにかしなければならないこと。
祖父は責任を感じているようだが、その禊は既に果たされている。
現役引退と僻地に隔離という形で。
だから、新たに何かを背負ったり罪の意識に苛まれたりする必要はないのだ。
それにヴィンセントの話が正しければ、そもそもの原因はお父様にあるそうだし……。
家宝紛失に一枚噛んでいるという話を思い返し、私は内心溜め息を零す。
『娘の私が言うのもなんだけど、とんだ疫病神ね』と肩を竦めながら。
「とりあえず立ち話もなんですし、部屋に行きましょう。私もアイリスもお祖父様と会えることを楽しみにしていましたから」
『積もる話もあるだろうし』と考え、私は一階の応接室へ促す。
本来であれば、客間へ通すべきなんだが……お年寄りに階段の昇り降りは辛いだろう、と配慮したのだ。
まあ、祖父の体格を見る限り要らぬ気遣いだったようだが。
『全然衰えている様子がない』と苦笑する中、祖父は少し驚いたように目を剥く。
「楽しみに……?本当か?儂は恨まれているとばかり、思っていたが……」
『憎まれ口でも叩かれるのかと……』と零し、祖父は私とアイリスを交互に見やる。
戸惑いを露わにする彼の前で、私はスッと目を細めた。
「恨んではいません。もちろん、複雑な気持ちは多少ありますが。でも、それ以上に────ずっと会えなかった寂しさやようやく会えた感動の方が、大きいです」
母からよく祖父の話を聞いていたため、私はあまり悪印象を抱いてなかった。
だから、何度か手紙を書いたり会いに行ったりしようとしたが……父に阻まれ、断念。
ただ、祖父の健康と幸福を祈ることしか出来なかった。
実はクライン公爵家にきちんと嫁入りしたら、一度接触を図ろうと思っていたの。
なので、結果的にそれが前倒しとなって内心ちょっと嬉しかったり……まあ、再会の理由がお祖父様の労働力目当てというのは複雑だけど。
「そう、か……そうか。これまで儂の人生は一体、何だったんだろう?と……結局何も成し遂げることが出来なかった、と嘆いておったが、今分かった。儂の人生は────可愛い孫達の力となることだ。これだけは必ずや、成し遂げてみせる」
『もう二度と失敗しない』と言い切り、祖父はこちらへ手を伸ばした。
かと思えば、私とアイリスの頭をワシャワシャと撫でる。
「恐らく短い付き合いになるだろうが、儂に出来ることがあれば何でも言え。己の命をかなぐり捨てでも、力になる」
『どうせ、老い先短い身だしな』と笑い、祖父は応接室へ足を向けた。
もう何年も訪れていない場所とはいえ、かつての我が家だったからか道は分かるようだ。
『ほれ、早く来い』と急かす祖父に、私とアイリスは首を縦に振る。
そして、応接室に辿り着くと、各々好きな場所へ腰掛けた。
「さて、何を話すか」




