アイリスの本音
「お姉様、一つ言い忘れていたんだけど」
先程まで黙々とクッキーを食べていたのに、アイリスは何故か話に割って入ってきた。
『どうしたんだろう?』と首を傾げていると、彼女はじっとヴィンセントを見つめる。
「私────ヴィンセント様のこと、あまり好きじゃないわ」
「……ん?」
唐突なカミングアウトに、私はピシッと固まった。
『それ、本人の前で言っちゃう……?』と困惑しつつ、話を遮るべきか迷う。
でも、こちらが結論を出す前にアイリスが……
「だって、全然優しくないんだもの。それによく考えてみたら、ヴィンセント様にはお姉様の婚約者という価値しかないわ」
と、悪態をついた。
本人は至って真剣みたいだが、当事者を目の前にして言うことじゃないだろう。
あまりの出来事に呆気に取られる中、アイリスは少し視線を下げる。
「あのね、私────お姉様みたいになりたかったの」
「えっ?」
初めて聞くアイリスの本音に、私は大きく目を見開いた。
だって、彼女にとって私は口うるさい人間でしかないと思っていたから。
「お姉様は何でも出来て、周りに好かれているでしょう?だから、ずっと憧れていた。私よりずっとずっと前を歩いているお姉様が、格好よく見えたの」
一生懸命自分の気持ちを言葉にして伝えるアイリスは、真っ直ぐにこちらを見据える。
「それで、『どうすれば、お姉様みたいになれるんだろう?』って考えた時に、ヴィンセント様の顔が思い浮かんで……お姉様の格好良さの秘訣は、彼にあると思ったの。だから、結婚したかった。でも────お姉様の格好良さはヴィンセント様と関係なかった。彼の存在なんて、微塵も重要じゃなかったの」
「う、うん……?」
どう反応していいか分からず、私は曖昧な笑みを浮かべた。
が、アイリスはそんなのお構いなしに話を進める。
「お姉様の格好良さの秘訣は、地道な努力だった。毎日仕事して、勉強して、鍛錬して積み上げてきたものがお姉様を輝かせているの」
アメジストの瞳に強い意志を宿し、アイリスは掴んだ袖口を強く握り締めた。
かと思えば、少しばかり身を乗り出す。
「だから、お姉様────私に色んなことを教えて。もう講義をサボらないし、癇癪も……極力起こさないようにする」
ロジャー皇帝陛下と話して何やらいい影響を受けたのか、それとも自分自身で色々考えてみたのか……アイリスはこちらの想定よりずっと理知的で大人だった。
自分のやるべき事を見据え、きちんと目標を立てている。
もうワガママ放題で、駄々を捏ねるだけの子供じゃなかった。
この結論を出すまでに、きっと様々な葛藤があった筈。
それを全て乗り越えて、アイリスは今ここに居るんだ。
『この子はきっともっと成長する』と確信しながら、私は頬を緩めた。
「分かったわ。学ぶための機会と教材は手配してあげる。でも、これだけは覚えておいて」
袖口を掴むアイリスの手に自身の手を重ね、私は柔らかく微笑む。
「────焦らなくていい」
今すぐ何でも出来るようになる必要はないのだと……自分のペースでいいのだと言い聞かせ、アイリスの頭を撫でた。
この子は放っておいたら、暴走しそうだから。
「エーデル公爵家のことは私に任せて、勉強に専念しなさい。最悪、私が正式に当主の座を得て切り盛りするから。アイリスは自分のやりたいことを……」
「セシリア」
『やりたいことをやって』と続ける筈だった言葉は、ヴィンセントによって遮られた。
何やら怒っている様子の彼は、異様なまでにニコニコと笑う。
「僕がアイリス嬢の解放に手を貸したのは、彼女にエーデル公爵家を任せるためだ。次期当主となるか、優秀な婿を取るかは任せるけど……セシリアを当主として据えるのは、許さない。もし、そうなったら僕……」
そこで一度言葉を切ると、ヴィンセントは顔を両手で覆い隠した。
「泣いちゃうよ。僕はセシリアが居ないと、ダメなんだから」
『捨てないでよ』と言い、ヴィンセントは背中を丸めて俯く。
そのせいか、いつもより小さく見えた。
基本、貴族家の当主同士の結婚は認められない。
権力の一点集中を避けるために。
また、両家の後継者をどうするかなどの問題もあるため。
だから、私がエーデル公爵家の当主となれば必然的にヴィンセントとの婚約はなしになるだろう。
「わ、分かったわ。当主にはならない。でも、アイリスが家を切り盛り出来るようになるまでは、面倒を見ないといけないわ」
『放置は出来ない』と主張し、私は慌てて席を立つ。
どうやってヴィンセントを説得しようか考えながら、彼の隣に腰を下ろした。
「結婚は先延ばしになっちゃうけど……いいかしら?」
『花嫁修業も一旦中止で……』と言い、私はそっと眉尻を下げる。
こちらの都合で振り回す結果となり、申し訳なく思っているから。
でも、今のアイリスにエーデル公爵家を押し付けるのはいくら何でも無理があった。
使用人達からのサポートがあるとはいえ、貴族としての教養を身につけながら家を切り盛りなど……考えただけで頭が痛くなる。
普通の人なら、まず間違いなく投げ出すだろう。
エーデル公爵家の富や権力を付け狙う者達も、適度に牽制しないといけないし……現実的に考えて、今は私が主導権を握るべきでしょう。
『とはいえ、それはこっちの事情だものね……』と嘆息し、罪悪感を募らせる。
『私の体が二つあれば……』なんて馬鹿らしいことを考え始める中、ヴィンセントは顔から手を離した。
「それならさ、君達の祖父────フランシス・ジェフ・エーデル前公爵に来てもらえばいいんじゃない?」
「えっ?でも、お祖父様は家宝紛失の責任を負って僻地に閉じ込められているのよ?エーデル公爵家の当主として、復帰するのは不可能じゃ……?」
顔すら見たことがない祖父を思い浮かべ、私は戸惑う。
でも、頼れるなら頼りたいというのが本音。
母曰く、祖父はとても有能な人みたいだから────子育てを除いて。
祖母の忘れ形見だからか、なんだかんだ父を甘やかしていたらしい。
後継者教育に手を抜くことこそ無かったものの、何かやらかしても最終的には許してきたため、ああなったとのこと。
お母様が言うには、許さず突き放す冷淡さが足りなかったみたい。
でも、当主としてのお祖父様は尊敬に値するって言っていたわ。
評価の高低が激しい祖父について思い返していると、ヴィンセントがスッと目を細めた。
「確かに当主として復帰するのは、不可能だね。ただ、裏方として働いてもらうのは可能だと思うよ」
「私かアイリスを当主として据え、実際の公務はお祖父様に任せるってこと?でも、これだけ距離が離れていたら情報を知らせたり、指示を仰いだりするだけでも相当時間が掛かるわよ?とてもじゃないけど、当主と同じ仕事量をこなせるとは……」
タイムラグという大きな問題を前に、私は『物理的に難しい』と思案する。
が、ヴィンセントに諦めた様子はなかった。
「大丈夫だよ。近いうち────前公爵はこちらへ来ることになるから」
「えっ……?何で?」
『僻地から出て来れない筈じゃ……?』と頭を捻る私に、ヴィンセントはクスリと笑う。
「まあ、正確に言うと来る場所はここじゃなくて────城だけどね」
「あっ……」
城というキーワードからヴィンセントの言わんとしていることを理解し、私はポンッと手を叩いた。
そういうことか、と納得しながら。
「家宝紛失の件で再度、事情聴取を受けることになっているのね?」
「そう、正解。まあ、念のため事実確認するだけだから滞在期間はどれだけ延ばしても一年程度だけどね。だから、アイリス嬢にはそれまでに家を切り盛り出来るようになってもらう」
なかなか難易度の高い要求を口にし、ヴィンセントはアイリスに目を向けた。
かと思えば、真顔になる。
「出来るね?」




