落胆と虚しさ
「私はただ普通に……人間らしく、生きたかっただけなんだ」
すっかり自分の世界へ入り込む父に対し、私は大きく息を吐いた。
「そうですか。なら、何故────逃げなかったのですか?」
「はっ……?」
思わずといった様子で素っ頓狂な声を上げる父は、ピシッと固まる。
まじまじとこちらを見つめてくる彼の前で、私は真剣な表情を浮かべた。
「神官になるなり、駆け落ちするなり色々方法はあった筈です」
「そ、そんなこと出来る訳……」
「ない、ということはないでしょう?これほどの騒動を引き起こしておいて」
『貴方はそんな臆病者じゃない』と切り捨て、私は小さく深呼吸する。
気を抜いたら、怒鳴ってしまいそうで。
「確かに『家から出る』という行為は簡単に出来ないし、褒められた行動でもありません。でも、本当に貴族として生きることが嫌なら……苦痛なら、そういう選択肢だって取れた筈。そしたら、ここまで拗れることもなかったでしょう」
「それは……そうかもしれないが、私の父は厳格で……」
連れ戻された可能性を示唆する父に、私は小さく頭を振った。
『この人はどこまで現実から、目を背けるつもりなんだろう?』と呆れながら。
「お母様はお祖父様のことを『厳しいけど、覚悟を持って話せばきちんとこちらの言い分を聞いてくれる人』と言っていました。お父様もそれは分かっていた筈。それでも、逃げなかったのは────公爵になりたかったからでしょう?貴族という身分を捨てるのが、恐ろしかったからでしょう?」
「っ……!」
図星だったのか、父は反論出来ずに黙りこくった。
ただ俯くことしか出来ない彼を前に、私はすかさず畳み掛ける。
「つまり、貴方の言う“普通の暮らし”は────貴族としての特権や恩恵を受けておきながら、義務や責任は果たさないこと」
「……」
「本当に贅沢な望みですね」
貴族としてあるべき姿を叩き込まれた私にとって、父の考えはまさに駄々っ子そのもの。
正直、見ていてとても不快だった。
「『あれもこれも欲しいけど、それは嫌』なんてワガママ、子供でも通りませんよ」
「くっ……」
己の本質を……矛盾を突きつけられ、父はちょっと赤面する。
『貴族としての生き方を強要される、可哀想な自分』から、『自分本位でワガママなやつ』に印象が切り替わり、恥ずかしく思っているようだ。
「貴方の間違いは現実を直視せず、曲解したこと。また、割り切る理性と切り捨てる勇気を覚えなかったことです。きちんと人生の取捨選択をしていれば……中途半端に投げ出したり求めたりせず、己の分を弁えていればこんなことにはならなかったでしょう」
ここぞとばかりに父の落ち度を指摘し、私はなんだか虚しい気持ちになる。
『この人の根底にある考えはこれだったのか』と思うと、落胆してしまって。
きっと私や母を避け続け、貶めてきたのは政略結婚……貴族の義務によって成立した関係だったから。
ただそれが気に食わなかっただけ。
継母と関係を持ったのも、アイリスを産んだのも彼なりの抵抗であり、嫌がらせだったのだろう。
『自分はこれほど苦痛だったんだ』と示すための……。
となると、アイリスに教養を身につけさせなかったのは彼女を通して過去の自分を救うためか……。
『貴族の義務や責任など果たさなくても、幸せになれるんだぞ』という証明をしたかったのかもしれない。
はぁ……こんなことを言ったらアレだけど、本当にくだらないわね。
本人にとっては重要なことなんでしょうけど、とばっちりを受けた側としては何とも……。
ハッキリ言って、同情出来ない。
もっと深刻な理由があるのだろうと考えていた私は、『これまでの苦労を返してよ』と嘆いた。
と同時に、アイリスを哀れんでしまう。
間違いなく、これから一番大変な思いをするのは彼女だから。
『私も出来るだけ手を貸すけど……』と思案する中、ロジャー皇帝陛下がルパート殿下を伴って父に近づく。
「詳しい話は城で聞くとしよう」
連行を言い渡すロジャー皇帝陛下に、父はハッとする。
継母も焦ったような表情を浮かべ、後退った。
でも、逃げられないのは明白なので諦めたように俯く。
『ここまでか……』と肩を落とす彼女の前で、私はヴィンセントと顔を見合わせた。
と同時に、どちらからともなく頷き合う。
「私達も同行します」
◇◆◇◆
────大立ち回りで入れ替わりの件を解決してから、早二週間。
事件の事情聴取も終わり、私とアイリスは屋敷へ返された。
『二人とも、まだ子供だったから』というのもあるが、“均衡を司りし杖”に関して何も知らなかったため。
また、ヴィンセントからの助け船もあり一先ず無罪放免を言い渡された形。
その分、父と継母には厳しい罰を与えるらしいが……まだ事情聴取の途中なので、細かいことは決まっていない。
家門そのものに対する処罰は、これから先十年の税金引き上げと一部領地の没収。
紛失した家宝の秘匿と無断使用の罪に比べると、大分軽いけど、皇室としてもエーデル公爵家の血を絶やす訳にはいかないため妥協したんだと思う。
何度も言うように、“均衡を司りし杖”を使えるのはエーデルの血を引く者だけだから。
皇室の管理下に置かれることとなった家宝を思い浮かべ、私は『返却されるのだろうか』と悩む。
まあ、元々ないものとして扱ってきたため個人的には戻ってこなくてもいいのだが……家門の体裁を考えると、早めに取り戻したいところ。
『ある意味、我が家のシンボルだからね』と思案する中────目の前に立つ人々が皆一様に膝を折った。
「「「申し訳ございません、セシリアお嬢様!!」」」
床に頭を打ち付けるような勢いでひれ伏し、謝罪するのはエーデル公爵家の使用人達だ。
恐らく、調査のためにやってきた皇国騎士団が事のあらましを話したのだろう。
それで私とアイリスの入れ替わりを知り、罪悪感に駆られているようだ。
「自分の主人の見分けすら、つかないなんて……!私達は使用人失格です!」
「セシリアお嬢様は何度も、入れ替わりのことを訴え掛けていたのに……!」
「主人の言葉に耳を貸さないどころか、あのような無礼を働いて……!」
「これはもう首を切って、詫びるしか……!」
自責の念に駆られて震える彼らに、私は苦笑を浮かべる。
だって、屋敷に帰ってくるなり……エントランスホールに足を踏み入れるなり、これなんだもの。
彼らのことだから真実を知れば、苦しむだろうと思っていたけど……ここまでとは。




