大丈夫
◇◆◇◆
「────という訳で、ここへ来たんだ」
『まあ、不法侵入だけど』と肩を竦め、ヴィンセントはニコニコと笑う。
全く悪びれない様子の彼に、私は思わず頬を緩めた。
なんだか、いつも通り過ぎて。
妙な安心感に包まれて肩の力を抜いていると、ヴィンセントがスッと目を細める。
「それで、君の持っている情報も教えてほしいんだけど……話せそう?」
明らかに顔色の悪い私を気遣い、ヴィンセントは『嫌なら無理して話さなくてもいいよ』と述べた。
心配そうに眉尻を下げる彼の前で、私はクスッと笑う。
「そんな表情しないで。私は大丈夫だから」
「セシリアはそう言って、いつも無茶するじゃないか」
「それは……そうかもしれないけど、今回は本当に大丈夫。というか大丈夫になった、貴方のおかげで」
そっと胸元に両手を添え、私は黄金の瞳を見つめ返した。
「正直ね、入れ替わりのことを誰も信じてくれなくて……気づいてくれなくて、辛かったの。今にも心が折れてしまいそうで、どこかに消えたくなった。でも、ヴィンセントが気づいてくれて……信じてくれて、本当に嬉しかった。だから、もう大丈夫。ありがとう」
心からお礼を言うと、ヴィンセントは少し驚いたように目を剥く。
「君の使用人達も、入れ替わりを信じなかったのかい?」
『あんなに慕っていたのに……』と零す彼に、私は苦笑を浮かべた。
「お父様が色々手を回したみたいで、完全にこちらへ不信感を抱いている状況なの。私も信頼を得ようと、頑張ってみたけど……点でダメね」
『情けないわ』と零し、私は肩を落とす。
己の力不足を責める中、ヴィンセントは
「主人の見分けもつかないなんて……とんだ、馬鹿犬だね」
と、呟いた。
彼らしくない一言に思わず空耳を疑っていると、不意に頭を撫でられる。
「今までよく頑張ったね、セシリアは偉いよ」
先程の暗い雰囲気を塗り替えるように、ヴィンセントは穏やかな声で慰めてくれた。
『もう一人じゃないからね』と繰り返し言い、私の不安を溶かしていく。
相変わらず私を甘やかすのが上手い彼に、スッと目を細めた。
「ありがとう。それで、私の知っている情報についてだけど────」
話を本筋に戻し、私はあったこと全てを伝えた。
すると、ヴィンセントは神妙な面持ちでこちらを見据える。
「なるほど、エーデル公爵家の家宝を……」
「ええ。一体、どこで見つけたのかサッパリ分からないけど」
「見つけたんじゃなくて、公爵がずっと隠し持っていた可能性もあるけど……まあ、それは一旦置いておこう」
『今、重要なのはそこじゃない』と切り捨て、ヴィンセントは自身の顎に手を当てて考え込んだ。
「“均衡を司りし杖”によって入れ替わったのなら、クライン公爵家の家宝の力を使えば今すぐ元に戻せるけど……それじゃあ────公爵達に罪を問えない」
『同時に証拠隠滅もしちゃうから』と語り、ヴィンセントは控えめにこちらを見つめる。
黄金の瞳に憂いを滲ませながら。
「出来れば、君の家族を貶めるような真似はしたくないけど……家宝の力を使ってまで邪魔してきたということは、あちらもかなり本気だろう。また何か仕掛けてくる可能性は高い。だから、ここで徹底的に叩きのめす必要がある」
私の立場が悪くなることや家族に対する情を捨て切れないことを考え、ヴィンセントは眉尻を下げた。
申し訳なさそうな表情を浮かべながら私の手を取り、ギュッと握り締める。
「君に辛い決断を強いてしまうけど……エーデル公爵家の者達を罪人として、裁いてもいいかな?」
絞り出すような声で優しく問い掛け、ヴィンセントはこちらの顔色を窺った。
気遣わしげな視線を送ってくる彼の前で、私は一つ深呼吸する。
『ソレはもう捨てなさい』と自分に言い聞かせ、顔を上げた。
「ええ、構わないわ。今回の件はさすがに私も看過出来ないと思っていたから」
『徹底的に叩きのめす方向で異存ない』と告げると、ヴィンセントはどこかホッとしたような表情を浮かべる。
「分かった。近いうち、必ず公爵達に鉄槌を下すよ。ただ、場を整えるために少し時間が掛かる……待っていてくれるかい?」
『本当は今すぐどうにかしたいんだけど』と零し、ヴィンセントは嘆息する。
見えない尻尾を下に垂らす彼の前で、私はふわりと柔らかく微笑んだ。
『貴方が落ち込む必要はないのよ』と教えたくて。
「もちろん、いくらでも待つわ。だから、あまり無茶しないでね……って、何も出来ない私が偉そうに言うのもなんだけど」
『面目ない……』と身を縮こまらせ、私はドレスをギュッと握り締めた。
「何もかもお任せする形になってしまって、ごめんね。私の問題なのに……」
「ううん。全然構わないよ。むしろ、君の力になれて嬉しい。だから、存分に僕を頼って、使って、利用して」
私の両頬を包み込む形でそっと持ち上げ、ヴィンセントは視線を合わせる。
吸い込まれそうなほど綺麗な黄金の瞳に見惚れていると、彼はゆるりと口角を上げた。
「僕の全てはリアのためにあるんだよ」
どこか諭すような口調で教え込み、ヴィンセントは楽しげに笑う。
────と、ここで誰かの足音が聞こえてきた。
「おっと、もう時間みたいだね。ここで見つかる訳にはいかないから、そろそろ行くよ」
名残惜しそうにこちらを見つめながらも、ヴィンセントは手を離す。
今生の別れという訳でもないのに大袈裟だが、なんだか嬉しかった。
『ヴィンセントらしいな』と頬を緩める中、彼は静かに窓縁へ手を掛ける。
と同時に、
「愛しているよ、リア」
とだけ言って、外へ出た。
足音を立てずにこの場から去っていく彼を前に、私は放心する。
が、直ぐに正気を取り戻し、口元に手を当てた。
「最後にあんなの……狡いわ」
頬が熱くなっていく感覚を覚えながら、私は悶々とする。
でも、気分は至って良かった。




