家族との関係性
「────セシリア、お前の人生を妹に譲ってくれないか?」
薄暗い地下の空間で、私の父────ローガン・アンディ・エーデル公爵は突拍子もないことを言い出した。
訳も分からず放心している私の前で、父はオールバックにした銀髪をサラリと揺らし、少し屈む。
間近まで迫ったアメジストの瞳を前に、私はハッとした。
『この場の雰囲気に呑まれてはいけない』と、己を叱咤しながら。
「仰っている意味がよく分かりませんが、私の人生は私のものです。他の誰かに差し上げることは、出来ません」
自身の胸元に手を添え、私は真っ直ぐにアメジストの瞳を見つめ返す。
すると、父の背中に隠れていた妹────アイリス・レーナ・エーデルが顔を出した。
「え〜!?酷いわ、お姉様!私にちょうだいよ、全部!」
胸の下辺りまである銀髪を揺らし、妹は不満げに口先を尖らせた。
アメジストの瞳に難色を示しながら。
前髪をセンター分けにする形で編み込んでいるからか、拗ねたような表情がよく見えるわね。
まあ、そうでなくてもこの子は凄く分かりやすいけど。
感情を隠す術や抑える方法を習っていないから。
それだけじゃない……簡単なテーブルマナーも、座学も全部中途半端に投げ出している。
お父様が妹のワガママを容認しているせいで。
『やりたいことだけ、やればいい』という父の教育方針を前に、私は内心溜め息を零す。
────私の実母であるシエラ・ソフィ・エーデルが生きている頃はこんなことなかったのに、と嘆きながら。
『一体、どこで狂ってしまったんだろう?』と思案する中、父の隣に立つ女性が身を乗り出した。
「お願いよ、セシリア。これもアイリスのためだと思って」
そう言って、私の両腕をガシッと掴んだのは────現公爵夫人であり、私の継母であり、アイリスの実母であるアナスタシア・ロッティ・エーデル。
ちょっと癖毛がちな金髪をお団子にし、様々な装飾品を身に纏う彼女はエメラルドの瞳をスッと細める。
「アイリスは貴方の婚約者────ヴィンセント・アレス・クライン様が欲しいらしいの」
「!!」
ヴィンセント・アレス・クライン。
クライン公爵家の次期当主であり、私と共に人生を歩むと約束してくれた人。
誰よりも誠実で優しく、実母を失い失意のどん底に落ちた私を必死に励ましてくれた。
そして、妹ばかり可愛がる両親から私を引き離す、と……救ってみせる、と言ってくれた。
この婚約は政治的な意味も含まれているけど、一番の理由は私を幸せにするため。
だから、これだけは……これだけは譲れない。
『ヴィンセントの気持ちを無駄にしたくない』と思い立ち、私は勢いよく継母の手を振り払った。
「そのような理由であれば、尚更応じられません!」
これまでにも理不尽な要求はたくさんあった。
まだ袖も通していないオーダーメイドのドレスを寄越せとか、アイリスのお茶会の準備をしろとか。
でも、まだ周りに迷惑を掛けるような内容じゃなかったから我慢出来た。
私さえ耐えればいい話だったから……けど、今回はあまりにも度が過ぎている。
『看過出来るレベルじゃない』と考え、私は少しばかり表情を険しくした。
「こんなことを言っては失礼ですが、貴族の教養を途中で投げ出してきたアイリスにクライン家の女主人が務まるとは思えません!」
『あともうちょっとでこの家を抜け出せる』ということもあってか、私はいつになく強気だった。
ハッとしたように息を呑む家族の前で、私は強く手を握り締める。
「お二人もご存知の通り、クライン公爵家は帝国の守りを一身に引き受けています!そのため、当主一人で全ての業務を行うことは不可能!よって、夫人の尽力は必要不可欠となります!それはお父様やお母様も理解しているでしょう!」
今までずっと甘やかされ続けてきたアイリスでは、領地経営や屋敷の管理など出来る筈がない。
むしろ、状態を悪化させる危険性だってあった。
私やヴィンセントの個人的感情を抜きにしても、アイリスをクライン公爵家へ嫁がせるのは難しい。
当初の予定通り、良い婿を取ってエーデル公爵家に居させるのが一番だろう。
「とにかく、そのお願いは聞けません!」
『絶対に無理だ』と突っぱね、私はクルリと身を翻した。
「お話は以上のようなので、私はこれで失礼します」
『また夕食の席でお会いしましょう』と言い残し、私はさっさと地下室を出ようとする。
ここはどうもジメジメしていて、気持ち悪かったから。
大体、何で話し合いの場所にここを選んだのかしら?
確かに他の人に聞かれたくない話ではあるけど、人払いなり何なりして書斎や執務室に呼び出せばいいじゃない。
『ここまで徹底する意味って……?』と疑問を抱きながら、私は一階へ繋がる階段に足を掛けた。
と同時に、思い切り髪を引っ張られた。
「きゃぁぁぁああ!?」
突然のことで踏ん張れず、私はバランスを崩してしまい……床へ転倒。
頭を強かに打った。
『い、一体何が……?』と混乱しつつ、何とか起き上がる。
その際、床に散らばった自分の銀髪が目に入った。
『引っ張られた時に抜けたのかしら?』と思案していると、アイリスに肩を突き飛ばされる。
おかげで、また床に頭を打ち付けることに……。
「ちょ、ちょっとアイリス……!何を……」
「だって、お姉様ったら私に譲ってくれないんだもの。なら────無理やり奪うしかないでしょう?」
いつものように無邪気に笑い、アイリスは私の上へ跨った。
お腹辺りに強い圧迫感を覚える中、彼女はアメジストの瞳をスッと細める。
「あのね、お姉様。私、どうしてもヴィンセント様のことが欲しいの」
「だから、それは……!」
「お父様とあ母様も一緒に何度も『アイリスと結婚してください』って、言ったのよ?でも、あの人は『セシリアしか有り得ないから』と言って拒み続けた。なら、私が────お姉様になるしかないじゃない」
超が付くほどの暴論を振りかざし、アイリスは私の手を押さえ付けた。
かと思えば、隣に立つ父を見上げる。
「お父様、早く。明後日には花嫁修業でクライン公爵家に行っちゃうんだから、やるなら今しかないわ」
「ああ、分かっている」
普段の無表情が嘘のように穏やかな笑みを浮かべ、父は優しくアイリスの頭を撫でた。
『お前の願いは何でも叶えてやるからな』と言い、懐に手を入れる。
武器を取り出すのかと思い、身構える私の前で────父は紫の宝玉を埋め込まれた銀の杖を取り出した。
嘘……アレは────お祖父様の代で失われた、我が家の家宝“均衡を司りし杖”……!
あらゆる理を覆し、あらゆる物事を塗り替え、あらゆる事象を曖昧にさせる変化の化身!
エーデル公爵家が皇室に負けずとも劣らない力を持っている、最大の要因!
というのも、アレを使えるのはエーデル公爵家の血を引く者だけだから!
歴史書でしか見たことのないソレを前に、私は強い衝撃を受ける。
『一体、どうなっているの……?』と困惑する中、父は私とアイリスに向かって杖の先を向けた。
「“均衡を司りし杖”────エンドレ、我が名はローガン・アンディ・エーデル。そなたの仕えしアダムの血を引く者。もし、この声を聞いているのなら世界の理を覆し、物事を塗り替え、事象を曖昧にする力を分け与えたまえ。そなたにのみ許された権能を、権限を、権利を委ねたまえ。我が願うは」
待って……お父様、まさか……いや、そんな筈は!だって、家宝には封印が……!でも、もしそうならこんなこと……!
長い長い詠唱を聞きながら、私は嫌な予感を覚える。
タラリと冷や汗を流す私の前で、父は口端から血を零した。
恐らく、反動が大きかったのだろう。
“均衡を司りし杖”を使うには、大量の魔力────自然のマナと自身の血液を掛け合わせたエネルギーが、必要になるから。
いくら優秀な魔導師を多く輩出してきたエーデル公爵家の当主でも、相当堪える筈。
「お父様、ここまでにしましょう……!こんなことをしても、皆苦しむだけです!今なら、全て水に流しますので!」
『だから、とにかく思い留まってほしい!』と願うものの……現実は無情なもので、
「セシリア・リゼ・エーデルとアイリス・レーナ・エーデルの魂の交換なり」
父はついに詠唱を終えてしまった。
『嗚呼……』と絶望する私を前に、父は更に大量の血を吐き出す。
立っているのがやっとなのか、プルプルと手足を震わせていた。
それでも、執念で何とか意識を保つ。
『どうして、そこまで……』と眉尻を下げる中、“均衡を司りし杖”は眩い光を放った。
かと思えば、紫の宝玉から半透明の手が伸びてきて……私とアイリスの胸の奥へ入る。
その瞬間、私達は頭の中が真っ白になり……一も二もなく、意識を手放した。
お父様……そんなに私とお母様が憎いの?幸せを手にすることすら、許せないくらいに?