第七話 逃避行
これが異常だと気付いたのはいつだっただろうか。
「この子は体が弱いから」
そう言って妹が少しでも体調が悪くなれば部屋に閉じ込め、薄い食事ばかり与える両親と兄妹達。
「外から色々悪い物を持ち込んではいけない。また風邪を引いてしまう」
兄妹さえも、妹の部屋へは入ってはならないと言われた。
「ローラ、新しい本だよ」
他の家族の目を盗んでローラに本を与える。使用人も、思うことがあるのか、黙ってくれている。それでも、もし長居したことが家族の耳に入れば、使用人達に誰も部屋に入らないように言い付けてしまうかもしれない。だから、本を与えて、前に渡した本の感想を一言二言話すだけにしている。
「体調の良い日は少しでも体を動かした方がいいとお医者様はおっしゃっていたのだけど」
鼻水や咳が少しでも出たら、部屋に戻されてしまう。
これでは弱る一方じゃないか。
「父上、ローラを学園に少しでも通わせましょう。病弱と言って、家で酷い目に遭っていた令嬢がいて、色々噂が出ていますよ」
そう言うと、体面を気にする父は、ローラが学園に通うことを許した。元々、多くの本を読んでいたローラにとって、学園での勉強だなんてつまらないのかもしれない。だけど、学園で良い出会いがあるかもしれない。友人でも良いし、男でも良い。とにかく、ローラを見つけて誰かこの家から出して欲しい。
「ローラが、死んだ……?」
仕事から帰ると、ルーカスにそう言われ、一瞬、思考が停止する。
学園の行事で体力のないローラは馬車で移動していた。その馬車が賊に襲われ、中にいた教師とローラは川に突き落とされたのだという。
「死んだ、ということは、見つかったのか?」
「いや、髪と皮膚の一部、血の付いた服が見つかった。応接間で父上が対応している」
すぐに応接間に向かった。
そこには父と母、そして王宮の騎士がいて、テーブルにはルーカスが言っていたローラの物が置かれている。
「ロイド、退室なさい。王宮の騎士様が来られているんですよ」
母の制止を無視して、テーブルに近付く。そして、父が書類にサインをしているのを見て、その内容を確認する。
「父上!どうしてこれだけの物でそれにサインができるのですか!?まだローラ自身が見つかった訳では無いでしょう!」
父がサインした書類は、ローラの死亡認定についての承諾書だった。
「ロイド、口を慎め。王宮の騎士様も捜査したがこれだけしか見つからなかった、体の弱いあの子が生きているとは思えない。髪や服が見つかっただけでもありがたいと思わなければ」
その後も父はその姿勢を崩すことはなかった。
「まあ、あの子は十歳まで生きられるか分からない子だったもの。十五歳まで生きられて幸せだったわ」
母までもそんなことを言う。そうか、そう認識したくなかったがとっくに気付いていたのだ。家族は、ローラが長く生きることを想定していなかったと。
ローラが死亡したという時から、ロイドは家になるべく居着かないようにしていた。もしかしたら、どこかでローラは生きているかもしれない。こんな家を見限って、別の場所で暮らしているのかも。そう思うと、少しだけ心が安らぐ。賊に襲われた事件については、再調査依頼を出したが、何も返事がない。ロイドはだんだんと底なし沼に入っていくような気分になっていた。
「再調査、ですか?」
事件からもうすぐ一年という頃、仕事の途中で上司に呼び出されると、王宮騎士から賊が馬車を襲った事件について再調査が決まったと告げられた。
「再調査するにあたり、ローラ嬢の私物等も確認することになった。もし、遺品で早く手元に戻したい物があれば、伝えて欲しい。現在調査を担当する者が子爵邸に向かった」
そういえば、昨日の夜会で、エイダン殿下が声を掛けてくださったという話を聞いた。殿下との繋がりがあったか調べると、母やルーナが部屋を見ると言っていたことを思い出す。
ローラの遺品、とはまだ思いたくないが、ローラが大切にしていた物は分かる。
ロイドは急いで仕事に切りをつけて、子爵邸に帰った。
驚くことに、王子殿下が来ているらしく使用人達もバタバタとしている。ロイドはローラの部屋に急いだ。ちょうど、母がエイダン殿下に装飾品は無いと告げているところだった。
「ペンがある。お気に入りの、臙脂色のが」
そう言って部屋を見ると、どうやら既にローラの私物は箱に入れられているらしい。一瞬、もう調査のために纏められたのかと思ったが、子爵家でよく荷物を纏めるのに使う箱で、母やルーナが部屋を漁るついでに片付け始めたのだと気付いた。
箱を開けると、雑な性格のルーナがしたのだろう。乱雑にノートや筆記用具が入れられていた。まるで、処分するかのような入れ方に腹が立つ。
見つけたペンとケースをエイダン殿下に渡すと、殿下はローラの荷物と共に出て行った。
「母上、まだ丸一年経っていませんよね」
殿下の去った後、母に問い詰める。
「先日だって、一年経っていないのにお茶会に参加したりして」
母はふうと短くため息をつく。
「あの子は元々体も弱かったんだから。それに、リリアーナにも部屋がいるでしょう」
体が弱い子が死んだら、一年社交を辞退することもしないのか。それに、リリアーナの部屋だなんて。まるで、その部屋が空く予定だったような言い方だ。
これ以上、話すことはない。
ロイドは仕事を辞めた。どちらにせよ、ローラの気配のなくなった家は心から休める場所ではなくなっていた。ローラを探すことを口実にリリアーナを納得させ、他の家族は特に興味もなさそうだった。ロイドは貯金を手に、旅に出た。
たくさんの街を見た。ローラが生きているとしたら空気の良い場所かとも思って、辺境の村なんかも行った。
リリアーナには定期的にその土地で買ったハンカチなんかを手紙と共に送った。
そして、隣国の国境にある村でローラを見つけた。
ローラは、ローナと名乗っていた。あまり事件前のことは覚えていないらしい。それで良いと思った。ローナとして、彼女は翻訳家になって、王国への貢献も認められ準男爵位まで叙爵している。ダンという名前の身分の高い人のお世話にもなっているらしく、もしかしたらこの先もその人に幸せにしてもらえるのかもしれない。
いや、ローラは幸せだ。体もやはりある程度運動をしていたりして、健康になったと喜んでいた。仕事にもやりがいを感じ、自立している。
自分との繋がりは、薄っすらとしたもので良いかもしれない。村の纏め役の方を通じて、定期的に手紙を送ることを約束した。
実家に言う必要は無いかもしれないが、リリアーナとの約束だけ気にしていた。仕事を見つけたら実家に帰って、似た人に会ったけれど記憶喪失で新しい幸せな人生を歩んでいた、くらい伝えようかと考えた。
ロイドは学園の卒業後に騎士団の事務局に勤務していた。王宮文官の端くれだが、その程度には頭が良かった。そのため仕事探しには困らなかった。ローラのいた村から国境を越えて祖国に入ってすぐの街で、商会の事務として働き始めた。
そして、その街で、ヘーゼルという名前の女性と出会った。
ヘーゼルは市場で売り子をしていた。ある日、野菜の金額に難癖をつけた客がいたところを、ロイドが助けたのだ。
そのお礼と言って食事に行き、お互い実家から出てきているという似た境遇で意気投合した。
「ロイドさんの目って、昔から赤色なんですか?」
「赤いか?妹がルビーのような鮮やかな赤色だったからそんなに赤いと思ったことがないんだが」
「十分赤いですよ!ルビー色と比べたら赤茶色かもしれませんけど!」
「でもヘーゼルの瞳も好きだよ」
「もう!そうやって誤魔化して!名前の通りの色ですー!」
二人共一人暮らしなので自然と時間が空けば会うようになり、とても親しい存在となりつつあった。
「ヘーゼル。気になっていたこと、聞いてもいい?」
「何よ改まって。何でも聞いてよ」
「ヘーゼルは、貴族だね?」
ヘーゼルはその名前と同じ色の目を見開いた。しばらく沈黙していたが、それはロイドの言葉を肯定しているのと同じだと気付いたのか、ゆっくりと話し始めた。
「ええ、そうよ。隣国、アーザ王国の伯爵家の長女なの。どうして分かったの?」
「話し方や姿勢や、あとルビー色がどんな色なのか知っていただろう?根っからの平民なら、ルビーが鮮やかな赤色と言っても、実物を間近で見たことはないから、ルビー色と比べたら赤茶色だなんて言葉は出てこないかなと思って」
ヘーゼルはため息をついたが、ロイドを睨む。
「じゃあロイドも貴族じゃないの」
「僕はこの国の子爵家の次男だよ。妹を守ってやれなくて、家族と折り合いが悪くて出てきたんだ」
「似た者同士なのね。気が合うと思ったわ」
「ヘーゼルは、家族とはどうなの?」
二人は日が暮れてもしばらく話し合った。ヘーゼルは母を幼い頃に亡くし、父の再婚相手とその間にできた異母妹との折り合いが悪く、貴族籍を抜く形で家を出たという。
ある日、ロイドはいつも通り商会で仕事をしていた。
「ロイド君、君に会いたいという人が……」
上司がそう言っている途中で、上司の後ろから騎士が現れた。そのままロイドが何か言う隙もなく捕らえられた。
「ロイド・オルシーニで間違いないな?」
ロイドは手足を拘束されて椅子に座らせられている。正面に座っている騎士がそう質問してきたので頷く。部屋の隅に控えている騎士がそれを書き留めている。
「数ヶ月の逃避行、随分な長旅だったようじゃないか。資金が尽きて働き始めたのが運の尽きか」
「逃避行?何の話ですか?」
覚えのない話。ロイドは何かから逃げているつもりは無かった。
「そもそも、どうして僕は捕らえられているんでしょうか」
ロイドの頭に過ぎる、騎士団の事務をしていた頃の記憶。捕らえられた賊の見苦しい言い訳。何も知らない訳無いのにと思いながら処理をしていたが、今のロイドのように、何も知らないまま捕らえられた者もいたのかもしれない。
「オルシーニ子爵家は子女への虐待及び養育放棄の疑いが掛けられている。お前が家を出た翌日、逮捕状が出た。辞める前に逮捕状を盗み見て逃げ出したんだろう?」
初めて聞く話だった。しかし、騎士団というものはそういう筋書きができてしまったら、覆すことは難しい。
ローラの事件で再調査が行われた。恐らく、ローラの日記か何かから、部屋から出させてもらえないという内容があったのだろう。貴族の子供への虐待や養育放棄というのは非常に重い罪だ。
「さあ、お前の家で行われてきたことを白状しろ」
ロイドは顔を上げた。そして、その騎士の顔を真っ直ぐ見た。そして出来るだけ詳しく淡々とローラの生活について話した。
「それと、お前がよくここで行動を共にしているヘーゼルという女性が貴族であると知っていたか?知っていて匿っているというのは事実か?」
「そうです。知っていました」
ロイドは分かっていた。ヘーゼルが出したという貴族籍を抜く書類は当主のサインが必要だ。当主がサインをせずに、娘を探している可能性だってある。
知らない振りをするにはヘーゼルのことを知り過ぎた。
ロイドは敢えて、ヘーゼルを匿っていることを否定しなかった。貴族女性が何らかの罪に問われた場合、修道院で数年働くことが罰として与えられることが多い。そしてその半数は心を病んだりして社交界に出てくることはない。しかし、男性の場合は数年の労働で、肉体労働が苦でなければ期間を終えて元の生活に戻る者も多い。同じような罪で再び捕まった者の書類をロイドは幾度となく見てきた。
そもそも、貴族への罰は、それまでの貴族としての生活、つまり身の回りのことや食事の準備など、それまでしてもらっていたことを、自分ですることによって、人々への感謝を忘れず身分に胡座をかくなというものだ。ロイドは子爵家を出てから、というよりも子爵家で過ごしていた頃から身の回りのことは自分でしていたし、旅に出てからは食事や洗濯も自分でしてきた。ヘーゼルが過酷な場所へ送られるよりも、ローラの件で罪に問われている自分がいっそのこと罪を被ればいい。
「お前の赤い目は両親どちらの血筋だ?」
ロイドはその質問にドキリとする。
兄妹の中でも赤い目を持つのはロイドとローラだけだ。兄妹は生まれてきた時の瞳の色で名前の頭文字を決めたとは両親に聞かされていた。それもちょうど、長男長女、次男次女、三男三女と同じ色だったと。
ルーカスとルーナは父親譲りの深緑、リンジーとリリアーナは母親譲りのグレーだ。
「母親の血筋とは言われています。珍しい色なので、滅多にいないとも」
「では母方の親戚で赤い目の者に実際に会ったことは?もしくは、具体的に何代前にいたとかいう話は?」
「聞いたことがありません。母は、母の実家とそれほど連絡を取っていなかったと記憶しています」
「それは何故?」
ロイドは言葉を詰まらせる。何故か、知っていた。恐らく自分以外の兄妹は気付いていないかもしれない。この赤い目をしているから、気にしていたから、知ってしまった事がある。
そしてそのことを既に騎士は掴んでいる。情報を掴んでいるのに、ロイドの誠実さを試されているのだ。
「母は、婚前から関係のあった男性がいました。そのことで、実家とトラブルがあったのかと」
「それで?どこまでお前は知っている?知っているんだろう?」
ロイドは諦めた。知っているかと聞いているが、この騎士の方が詳細は知っているだろう。
「婚前に商会の子息と関係があり、そのまま結婚後も関係がありました。父や子供達がいない日に商会を呼んで装飾品を選ぶようにしていましたので、その時に逢瀬を楽しんでいたのでしょう」
「その男はどんな見た目をしているか、見たことはあるか?」
「はい」
「言ってみろ」
「銀髪にルビー色の瞳をしていました」
「現場を、見たことはあるか?」
「はい」
忘れたかった記憶だ。幼いリンジーやルーナの世話をしていた乳母の目を盗んで邸内を探検していた。母の楽しそうな声が聞こえたので、応接間を覗いた。そこでは母と商会の男が仲睦まじく過ごしていた。見てはならない、見なかったことにしなくてはならないと感じ、誰にも言わずに過ごしてきた。
騎士は逃避行だと言った。確かに、そうかもしれない。
あの子爵家から逃げ出したかった。自身の生まれも知っていたのに見なかったことにして。ずっと逃げていたのだ。
本日三話投稿予定です。