誕生パーティー
半年が過ぎた。
誕生時の騒動など嘘であったかのように、キースはすくすくと育っていった。
母譲りの明るい栗色の髪、クリっと大きな栗色の瞳はすべての人の目元を緩ませた。
いつも楽し気に笑ってばかりいるため、家人の目元は緩みっぱなしとなっている。
好奇心が強いのだろうか、風に流れる雲も、動く虫も、そよぐ草木や水の波紋、何かを見つけてはその大きな瞳でじっと見つめて嬉しそうにしている。
アッシュとビビアの目には、キースはこの世に生を受けたことを心から喜んでいるかのように見えた。
ある日の午後のティータイム。
その日はアッシュが不在のため、ビビアは親しい侍女を相手にお茶を楽しんでいた。
「キース様は本当にお泣きになりませんね。泣くのはお腹が減った時と、おしめが汚れた時と、ベビーベッドから出たい時だけなんです。こんなに手のかからない子は初めてですわ」
キースを抱いてあやしながらそう言うのはカタリアという使用人だ。
「初めてですわ」というが、カタリアは赤ん坊の世話をするのはキースが初めてである。カタリアはビビアがクリフロード家に嫁ぐ際、実家のボスコート家からついてきた侍女だ。
ビビアより4歳年上だが、ボスコート家の使用人の中では一番年が近く、ビビアとは気が合い主従の中にも友情を感じる気の置けない者だ。
最近は密かに一人の騎士団員に想いを寄せているらしい。
「そうなの。赤ちゃんって泣くのが仕事くらいに思っていたからびっくりよ。きっとあの時泣きすぎて、もう泣くのが嫌になったんじゃないかしら」
生まれて3日間の日々をビビアはたまに思い出す。幸せすぎて今は思い出すことも少なくなったが、キースは痛々しい程に泣き通していた。だから本当に泣くことが嫌いになったのではないかと思えてしまう。
「そういえば・・」
カタリアは何か思い出したようだ。
「今朝、キース様の前で水魔法を使ったら、いつものように私の手元をじっと見ていたんですけど、その時はもっとってせがまれていた感じがしたんです。でも、私、魔力乏しいしスルーしようとしたら珍しくぐずられてしまいました・・」
と情けない顔した。が、すぐに顔を上げて、「でも!」と勢い込んだ口調に変わった。
「でも!その後がすごかったんですよ!もう一度魔法を唱えたらピタッと泣き止んで、アウアウって言って詠唱しようとしたみたいなんです。いやあれは間違いなく詠唱しようとしてました!」
ビビアはさすがに嘘だと思った。まだ6か月なのだ。
はっきりとした言葉はまだ発音できず、アーとかウーとかいうレベルなのだ。
そろそろパパやママの言葉を期待しているが、その前に詠唱を試みる赤子がいるだろうか?
信じられない・・というより信じたくない。
が、そう聞いてしまえば確かめずにはいられない。
ビビアはキースの目の前に右の手のひらを差し出し、「ウォーターボール」と唱えた。
本来であればもう少し長い詠唱を用いるが、ビビアには必要ない。
ビビアの手のひらに拳ほどの水球が浮かんだ。
それを見たキースの反応は分かりやすかった。
明らかにうれしそうな顔をしてその小さな手を伸ばしてくる。
一度水球を消して、唇の動きや分かりやすい発音をしながら再度試みる。
それを繰り返す。
じっと母の口元を見るキースの瞳が宝石を思わせるほど美しい。思わず見入ってしまう。
すると、「あーあーあーう」とキースは口にして、自分の手のひらを見ている。
明らかに真似をしている。
「ほらね!」とカタリアは得意げに豊かな胸を張った。
だがビビアには衝撃が強すぎて、喜ぶべきなのか何とも微妙な気がした。
せめて最初に発する言葉は“ママ”であって欲しいと切に願うのだった。
月日は流れ、キースは5歳の誕生日を迎えた。
ジルべリア王国では一部富裕層を除いて、5歳、10歳、15歳の誕生日を盛大に祝う風習がある。
医術の発展していないこの世界では、乳幼児の死亡率が高く、5歳にそれまで無事に生き抜いたことを祝う。10歳は子供の成長をアピールすると同時に社交性を学ばせる機会でもある。15歳は成人を祝う。男性は初陣を女性は結婚が可能になり、大人の仲間入りを果たしたことを世間に知らしめる意図があった。
キースの5歳の誕生日は盛大に行われた。
庭にしつらえたパーティー会場には街の有力者や商人から続々と祝いの品が届き、その一角にうず高く積まれている。
領主夫妻は満足げに杯を傾け、アッシュ夫妻は来客の対応に追われていた。
テーブルには数々の料理が並び、串刺しにされた大きなボア≪魔猪≫の丸焼きが一面に香ばしい匂いをまき散らしている。その肉を料理長が得意げに削ぎ落し秘伝のタレをかけて大皿に盛りつけている。
甘菓子に加えこの地方固有のディゴの実も鮮やかな色彩を加えていた。
パーティーの開始前、アッシュは革鞘の短刀を、ビビアは薄緑色の魔石の埋まった魔法杖をキースに贈った。
「刃物は少し早いかもしれんが、護身用だ。良いものだからいつまでも使える。大事にするんだぞ」
「これは母様がずっと使っていた杖よ。大事にしてね。キース、5歳のお誕生日おめでとう」
とビビアはキースの額にキスをすると優しく抱きしめた。
キースはその短刀と魔法杖を腰ベルトに差し、楽隊の奏でる陽気な音楽に合わせて、2歳年下の妹、ジュリアを相手に大人を真似て踊っている。
ジュリアは父親と同じ金色の髪を水色の大きなリボンで止めて、黄色のドレスをふわふわさせながらキャッキャと始終笑っている。
その微笑ましい二人の周りを、小さな子犬のダグが跳ね回ってはしゃいでいた。
来客が途絶え、ビビアはパーティー会場へ目を移すとはしゃぐ子供たちの姿が目に入った。
本当に楽しそうにしているキースを見ていると、年相応の普通の子のように見えてしまう。
しかし、実際はこの5年間でキースは異常ともいえる成長振りを見せていた。
キースは1歳を待つことなくウォーターボールを出せるようなった。
当初はすぐに魔力切れとなり気を失っていたが徐々に回数を増やせるようになると、大きさを変え、複数同時に出し、それをくるくると体の周りに浮かべたりと勝手に成長していった。
ビビアが最も驚いたのは、一度詠唱を唱えた後は無詠唱で魔力を操っていることだった。
通常は詠唱しなければ魔法は使えない。
上達すれば詠唱の簡略化をすることができるが、それなりの鍛錬を必要とする。
魔術学院で主席を取ったビビアも苦労して詠唱簡略を行えるようになったのだ。
しかし、キースは簡略化さえ口にしないのだ。全くの無詠唱。それがどれほどすごいことであるのかを、キース本人は自覚していないだろう。
キースは初めて魔法を使った日から今日まで毎日欠かすことなく魔法で遊び、毎日決まって魔力切れを起こして倒れている。
本人はただ限界まで魔法で遊んでいるだけなのだろうが、それは一般的にはかなり辛い鍛錬なのだ。
その時点で、キースが今後どれほどの成長を遂げるのかビビアには想像もつかないのだった。
2歳になると、浮かべた水球の形状を変化させて犬や鳥の動物を生き物のように動かしていた。
さらに氷への変換を行うようになり、屋敷の庭に氷でできた動物の彫像がいくつも並ぶようになった。
最初から水魔法に興味を示し水魔法ばかり操るキースを見て、ビビアはキースの適正は当然水魔法とばかり思っていた。ところが、3歳を過ぎると庭に飾られたのは氷でなく土人形に変わっていった。
土魔法など教えていないのにだ。
そこで、ビビアはキースに基本魔法“火・風・水・土”の4属性を教えることにした。
この世界の人族が扱う魔法は基本的に“火・風・水・土・聖”の5属性になる。
聖魔法はアンデッドへの攻撃魔法と怪我を癒す治癒魔法がある。
が、他の4属性とは少し異なるため、今はまだ教えない。
一つの属性で扱う魔法はどれも“初級魔法”になるが、込める魔力量により単純ながら威力は上がり、殺傷能力も上がることになる。
また、2属性以上を併用することで“複合魔法”となる。
例えば、火と風を併用する“温風”であり、威力を上げれば“火旋風”となる。
複雑化するほどに“中級・上級・聖級”とレベルは上がることになる。
当然複合魔法は複雑な分魔力消費も大きく、また魔力操作も難しくなる。その代わり、異属性の魔力が複合することでその威力は膨れ上がる。
人には得手不得手があり、魔法にも同じことが言える。例えば風魔法を得意とする者もいれば苦手な者もおり、4属性を器用にすべて使う者もいれば、1属性のみを極めようとする者もいる。
ひとまずキースに、初級の“火・風・水・土”の基本を教えてみた。
“火”魔法“は火球を出す。射出する。温度を上げる。
“風魔法”は風を起こす。真空刃にする。つむじ風を起こす。モノを浮かして飛ばす。
“水魔法”は水球を出す。射出する。水壁を作る。凍らせる。
“土魔法”は土塊を出す。射出する。土壁を作る。石に変化させる。
そうした基礎を瞬時に繰り出せるよう、一つ一つ丁寧に指導した。
敷地内の騎士訓練場にある土壁の的に向け、攻撃魔法を放つ練習を繰り返し、キースは順調に精度と威力を上げていった。
と言っても所詮は幼児の放つ魔法だ。魔物を相手にまともに戦える訳でもない。
魔法は放てても、当たる当たらないは別物だ。
まだまだその程度のレベルなのだ。
訓練の時間が終わるとキースはまた動物の人形を作りだす。最近は魔獣図鑑から次々と石の彫像を作り出していた。
複合魔法は教えていないのだが、気づけば風魔法に砂塵を混ぜてカッター状に魔力を起こし、彫刻品の細部まで丁寧に再現している。
ビビアには、キースは魔法師というよりは彫刻家が向いているような気がしていた。
一度、ビビアはなぜ彫刻を作るのか尋ねてみたことがある。
答えは、「かっこいいから」だった。
そんな彫刻品が屋敷の庭のあちこちに飾られ、パーティー客の目を楽しませている。
今も、あどけなさ満開でダンスに興じる幼子たちを、皆が目を細めて見ている。
そうしてパーティーは盛況の内に過ぎていった。
だいぶ陽も傾いたころ、その凶報が届いた。