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竜人族の遣い

 家宰のアルベルトから来客の報告を受け、アッシュはその男を応接間に迎え入れた。


 突然の訪問など普通の貴族であれば追い返すのが常識と言える。が、ここクリフロード領は“蛮族”と揶揄される程の僻地。魔物から土地と民衆を守るため他領に比べて領主家と領民の距離は驚くほど近い。それにキース誕生の祝い客も訪れる為、アッシュは赤く腫れた目のまま笑顔で客を出迎えた。


「アッシュ・ロブ・クリフロードです。ご用件は何でしょう」

 問いかけつつ男を観察する。


 風体は土埃にまみれた黒いマントを羽織っている。

 なぜか年寄にも若者にも見える。後ろに流した白髪が目立つ割に肌が若く、何よりも金色の眼光が異様なほど威圧的だった。

 雰囲気は紳士風であり、また引退した騎士のようにも見えた。

 異相といえる彫りの深い顔立ちをしている。


 その男は信じがたい言葉を口にした。


「私は竜の里から来た」


 眉根を寄せ露骨に訝しむアッシュを気にもせず男は言葉をつないだ。


「この屋敷に瘴気を帯びた者がいるだろう。その者がまだ生きているのであれば助けてやることができる。さあ、早く会わせてくれ」


「何を言っているのか分からんが屋敷にその様な者はいない。子供が生まれたばかりでバタバタしているんだ。用が無ければ帰ってくれ」

 アッシュは苛立たし気に席を立った。その背中に向けて男が言葉を放った。


「とぼけても無駄だ。我が眼には瘴気を纏う赤子の姿が見えている。放っておけばすぐに屍人となるだろう。せっかく助けてやろうというのにお前はそれでいいのか?」


 アッシュの足が止まった。怪しい人相の男など信用できないがキースを救える可能性に抗うことなどできない。

 アッシュは今一度腰を下ろして男をよく観察した。睨むアッシュの視線を平然と受け流している。


(竜の里?何を言っている?それに息子を覆う瘴気のことは家人に言外無用と徹底している。この男はどこからその話を聞いたのか?)

 アッシュの思考が疑問符で満たされていた。

 長い沈黙の後、吐き出すように大きな溜息が出た。


「あぁ。確かにここには瘴気に苦しんでいる者がいる。生まれたばかりの私の息子だ。しかし、あなたが誰かもわからず、いきなり良く分からないことを言われても困る。会わせるなど論外だ」


「ふむ。・・では少しだけ話そう。我が名はフラミュージュ・エクリオン。代々古代竜に仕える一族の者だ。百年に一度こちら側の世界でどれほどの瘴気が蔓延しているかを見て回っている。今がたまたまその見回りの時だ。この近くまで来たところ我が竜眼がこの屋敷で泣く赤子を捉えた。生きておればまだ助けられる。故に立ち寄ったのだ。理解したか?」


「ま、待ってくれ・・あなたは竜の化身なのか?息子のことは屋敷の外には伝わっていないはず。竜眼とやらで我が子の状態を見通したという事か?」


「竜の化身ではない。竜人族だ。古代竜に仕える一族と先ほど言ったはずだ。我が一族は竜の恩恵を受けている。竜眼はその恩恵の一つである程度のことは見通す力がある」


 そう言うと男の金色の瞳の瞳孔が縦長に変化した。

 魔物の目だ。

 危険を感じ一瞬警戒したが、本人からは敵意も殺気も感じられない。


「これが竜眼だ。お前とて子供を助けたかろう?私が助けねば間違いなくその子は屍人に落ちよう。心配せずとも必ず助ける。さぁ、分かったら早く案内しろ」

 言い終わった時にはまた元の瞳に戻っている。


「・・・・・」

(この男を信用していいのか?どうする?どのみち今のままではキースは絶対に助からない。アンデッドになる前に殺してやるくらいしか・・しかし、それが私たちにはできなかった。ならば、たとえ嘘でもこの男の申し出を受けてみても良いではないのか・・)


 時間をかけて思考を巡らせながら、なにか企んでいるのかと男の表情を探る。

 しかし、何も見て取れない。

 いくら考えても疑っても得られる標はないと悟り、アッシュはひとまず妻の寝室へ竜人族と名乗るフラミュージュ・エクリオンを連れてゆくことにした。



 アッシュはこの男が竜人族を名乗る者で、キースを助けてくれるのだとビビアに伝えた。

 ビビアは憔悴のためか反応が薄い。そんなビビアをフラミュージュから隠すようにアッシュはキースを紹介した。


「この子だ。キースという。私たちにはどうにもしてあげられない。あなたがこの子を本当に救えるのなら・・」


 アッシュが話しかける間にフラミュージュは泣き声を上げるキースの傍らに立つと、瘴気を恐れる気配も見せず産着をめくりあげた。


 そんなフラミュージュの行動にビビアが驚き抗議の声を上げた。

「ちょっと、あなた!いきなり何ですか?ね、アッシュどういうことか説明して」

 ビビアが戸惑うのも無理はない。治療かなにかは知らないが一声もなくいきなり我が子に手を出す者にアッシュも怒りを覚えているのだ。


 しかし当のフラミュージュは二人の様子を気にすることなく赤子の腹を探るように擦っている。その表情は真剣で集中しているのが分かる。

 その様子を見て、二人は黙るしかなかった。


 不意にフラミュージュはビビアに話しかけた。

「お前が母親か。少々腹を診たいから仰向けに寝てくれ。あぁ、服はそのままで構わない。瘴気の残滓を探るだけだ」


 辺境とは言え貴族に対しひどい物言いだ。

 戸惑いの目を向けるビビアにアッシュが頷いて促すと、ビビアは小さくため息をついて起こしていた身を横たえ目を閉じた。


 フラミュージュはビビアの腹部に手をかざすと何か探るようなしぐさを見せる。そして、竜神の目を使って透視するかのように見ていたが、


「母親の体内には残っていないようだ」と告げた。


 そしてマントの内側から小さな革袋を取り出し、口紐を開くと中から水晶に似た石を取り出した。


「これは聖浄石という。不浄なる魔力、即ち瘴気を払うことができる」


 そう説明すると赤子の腹の上に片手をかざした。白色の魔法陣が3つ浮び、その中心に聖浄石を置く。

 すると不思議なことに透明な石は淡い光を放って粒子となり弾け散って魔法陣と共にキースの体内へと吸い込まれていった。


 直後、キースを覆っていた黒い瘴気の靄が霧散した。

 これまでずっと泣き続けていたキースが泣き止んだ。そして安心したかのように眠り始めた。


「これはっ!?一体何が起こって・・?いや、キースは本当に助かるのか?」

「信じられない・・キース、キース、あぁ、何てこと!奇跡だわ!神よ、感謝いたします!」


 驚くアッシュとビビアがキースを抱きあげ動揺しながらも歓喜している姿を、フラミュージュは少しの感情も揺らすことなく見つめている。


「あの、一体何がどうなっているのか教えてください」

 理解の追い付かぬビビアが問いかけた。


「見ての通りだ。その子の瘴気は完全に払われた。もう大丈夫だ。ついでに言えば、竜の恩恵を与えた。その子がある程度成長するまでは先ほどの石に込められた力がその子を守ってくれるだろう。ところで・・」


 と、さらに言葉を続ける。


「ところで、この赤子に取りついていた瘴気は驚くほど濃かった。赤子がこれほどの瘴気に耐え抜いたという事実は驚愕だ。生への強い執着か、或いは宿命の業か。いずれにせよ無力の身で生き抜いたのは僥倖だった。だが油断せぬがいい。これはこの赤子の生涯を暗示している。必ずや波乱と危険に満ちた生涯を送ることになる。なるべく早く戦う力を身につけさせてやることだ」


 ここは魔物が跋扈する僻地。アッシュもわが身と領民の為に鍛錬と努力を続けてきた。キースにしても鍛えることに異論はない。アッシュは深くうなずいた。


 そんなアッシュをビビアは申し訳なさそうな顔でちらりと見た。


「あの、この子は生まれたその日に瘴気が纏わりつき始めました。フラミュージュ様はこの子に何が起きているのかお分かりになりますか?」

 目の前で瘴気を払った謎の男に対し、ビビアの言葉遣いが丁寧になっている。


「推測でしかないが、お前は以前に大量の瘴気を浴びたか吸い込んだりしたことがあるのではないか?」

 フラミュージュの金色の眼光は身の竦む思いがする。ビビアは少しドギマギしながらも5年前の体験をフラミュージュに語って聞かせた。


「以前、瘴気の湧く沼というか泉に落ちたことがあります。なぜか身体を蝕まれることなく無事生還できたことがありました。でもそれが原因かどうかは‥その後は何事もなく健康でしたし」


 少し落ち着いて話を聞く必要があると思い、アッシュは男を傍らのテーブル席に促した。

 ビビアの腕の中でキースがすやすやと眠っている。

 いつまでも見つめていたい衝動を抑え、アッシュが話の続きを促した。


「ふむ。なぜ瘴気を大量に浴びて無事でいられたのかは分からない。しかし、おそらく瘴気はお前の子宮に留まり、その後生じた胎児へと宿主を移したのだろう。いまだ瘴気については不明なことが多い。何が起こってもおかしくはないのだ。いずれにしても、母の体内にいる内は母と己の魔力で、生まれ出た後は己の魔力のみでその瘴気から身を守っていたと考えられる。僅か数日とはいえ私が来るまでよく耐えたものだ」


 少し考える仕草をしたのち、しばらくしてフラミュージュは告げた。


「これはその可能性があったという話だ。一応お前たちも当事者として知っておくべきことだと思う。そもそも瘴気とは何かを理解しているか?」

 フラミュージュの問いに二人は顔を見合わせた。


「瘴気はかつて神々が争った際、闇を司る魔神の魔力の残滓だと考えられています」

 ビビアが答えた。


「その通り。魔素も瘴気も神代に起きた神々の争いの魔力の残滓だ。魔神は既に滅んだが、その瘴気には未だ魔神の無意識の中の意思を宿している。つまり、破壊の衝動だ。瘴気に冒された者は人族であれ魔物であれアンデッドと化す。しかしこぐ稀に魔族として生まれ変わる者がいる。魔族はアンデッドではない。生きながらにして強靭な肉体、強い魔力、狡猾な知性を備え瘴気を操り破壊を繰り返す。過去にも多くの国や町が魔族によって滅ぼされた」

 フラミュージュは一度言葉を切り、ビビアの腕の中で眠るキースを見つめた。

「その赤子が魔族として生まれ変わる可能性は確かにあったと思う。何故なら、母親の体内に瘴気が留まり誕生と同時に赤子に移るなど聞いたことがないからだ。何やら瘴気に潜む意思を感じる。もう浄化を行ったから魔族になるなどという心配はいらぬ。しかしだからと言ってその赤子が瘴気に魅入られた者であることに変わりはない。だから気を付けるが良い」

 アッシュもビビアもその忠告にどう反応していいのか分からない。

 自分たちの子共が魔族になる可能性があったなど想像もできないし受け入れられなかった。


「まあいい。くどい様だが大事なことだからもう一度伝えておく。その子は幼きうちに、できるだけ早くから魔力の使い方を教えるがいい。強い運命の持ち主はその宿業ゆえに、災いを招き寄せる。本来ならば生まれ出る前に死ぬはずの運命を覆した者だ。何かしらの災いに巻き込まれるはずだ。竜の恩恵を与えたとはいえ、絶対ではないし安心もできない。早く戦う力を身につけておくに越したことはないのでな。その赤子の生に幸あらんことを願っている」


 そう言うと男は立ち上がった。



 息子の命を救った礼も受け取らず、せめて泊ってゆくように請うアッシュの勧めも断り、その男フラミュージュ・エクリオンは去っていった。


 アッシュとビビアはその姿が見えなくなるまで何度も何度もお礼の言葉を男の背に投げかけたのだった。


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