緊急事態
文官が目的の地について三日目。
初めて電話の呼出音が鳴った。
「ぼんか? すまないが文官長のところまで『すまほ』を持っていってもらえないだろうか? もしいなかったら緊急事態と言って呼び出してほしい」
「緊急事態ですか。わかりました。そのまま待っていてください」
「すまない、ぼん」
僕はアンジェリカを伴って本宮へと向かう。
文官たちの執務室は何度も訪問しているから、気軽なものだ。
「はいるよー」
ノックの返事も待たず突入。
「おー、ぼんじゃないか。またなにかやらかしたか?」
「今日は僕じゃないです。文官長宛の『電話』です。緊急だそうです」
僕は文官長に電話を渡す。
隣町に行く文官に使い方を教えたとき、他の文官にもついでに電話の使い方は教えてある。
まあ、回線は繋ぎっぱなしなので、そのまま話すだけなんだけどね。
「ああ、俺だ俺」
って、オレオレ詐欺かよ。
電話のマナーとかも考えないといけないな。
「なにぃ!? 古麦の買付に失敗しただと!」
あらま。
古麦が買えないと領民が餓死する。
緊急事態というのも頷ける。
まあ、飢えるって言っても、今すぐじゃない。
まだ備蓄は有るだろうし、すぐに冬麦の刈り取りも始まるしそれが終わったら春麦の刈り取りだ。
冬麦から春麦までの刈り取り期間は短いから春麦の刈り取り前に古麦の大放出はない。
いつもなら冬麦を売って古麦を買い、春麦と合わせて一年を過ごすのだが、古麦を買えなかったら、冬麦でいつも買っている古麦の量の差分がそのまま不足分となってしまう。
もし冬麦の倍量の古麦を買ってたら三分の一は餓死する計算だ。
一人一人の食事量を減らせば餓死はしないまでも栄養失調には陥るだろう。
それも完全配給制にして、みんなに均等に配布できればだけど。
麦が足りないとなればみんながパニックになって買いだめを始めるだろう。
そうなればみんなが必要以上に買い上げ、麦不足は一層深刻になる可能性がある。
「そんな馬鹿な話があるか!? 近隣の領地で不作という話は聞いていないぞ!」
まあ、異常気象でいきなり全滅なんてことがないとは言わないが、この辺は台風のような嵐は少ない。
秋から冬にかけては暴風になることはあっても暴風雨になることはまずないからね。
そもそも雨が少ないからだけど。
水に浸かればだめになるかもしれないが、倒れただけならまだなんとかなる可能性は高い。
「なにぃ!? 買い占めだと! どこのどいつだ、そんなことをしたのは? ああん?」
文官長が何故か僕を見る。
「なんだか嫌な予感がしますね」
「……第二王子派閥の領地の文官が来て大量に買付けていったそうです」
うわぁ。
先を越されたか。
僕は二年かけて追い詰めようとしたが向こうはそこまで待ってくれなかったようだ。
これは暗殺ではなく単なる麦の買付だからね。
不法な手段ではない報復措置だ。
おじい様にお願いした罰則規定には当たらない。
僕のやろうとした経済戦争は即効性が低いが、これだと遅くとも来年の春にはこの領内で餓えが始まる。
パニック買いなんかを許せば、冬まで持たないかもしれない。
「それだと他の領も手が回っていますね」
「多分そうだな」
「これは、父上を交えて話し合う必要があるでしょう」
「ああ、そうするしかあるまい。……おい、誰か公爵様に面会依頼を。あと至急会議室を準備しろ」
「はっ!」
部屋にいた文官たちが一斉に準備を始める。
「では、僕はこれで。『スマホ』は預けておきますので丁寧に使ってくださいね?」
僕は大変なことになりそうなので退室を告げる。
「いえいえ、一緒に会議室へ参りましょう。当事者ですよね?」
回り込まれた。
文官長からは逃げられない。
「ですよねー」
文官長に襟首を掴まれて仕方なく会議室に向かう。
程なく買い付けに行っている文官を除き全文官が集まり、その後父上もやってくる。
「では緊急会議を始める」
父上は僕と控えているアンジェリカにちらりと視線を向けるが何も言わずに椅子に座った。
普通なら重要な会議にデビュー前の子供が同席できるはずがないのだが、ある程度事情を聞いているのであろう。
残念なことに出て行けとは言われなかった。
「さて、古麦の買付に失敗したとのことだが」
「はい。先程買付担当が知らせてきました」
「その担当は今どこに居る? 見当たらぬようだが」
父上が会議室を見回したが、文官がひとり足りないのを確認しただけだった。
「今は買い付けに行ったトルスタント侯爵領にいるはずです」
「なに? 報告に来てすぐに戻ったのか?」
「いえ、トルスタント侯爵領から『すまほ』なる魔導具にて連絡がありました」
「『すまほ』というとアルカイトがなにかやっていたやつか?」
「はい。アルカイト様よりお預かりしていた『すまほ』なる『めーる』と同じくこちらは手紙ではなく声を届ける魔導具で、先程担当から緊急連絡があり、こうしてお呼びした次第であります」
「なんと、本当に『すまほ』とやらで他領から連絡することができたのだな」
「はいそのようです。今もつながっておりますが、お話になられますか?」
文官長は手に持ったスマホを差し出す。
「いや、よい。必要になったら声をかける」
「はい」
「それで買い占めたのは第二王子派閥の者だとか」
「そのようです」
「トルスタント侯爵は確かまだ所属派閥は表明していなかったはずだな。第二王子派閥に入ったのか?」
「そうではないようです。全部を買い付けたわけではなく、だいぶ高値で大量に買っていったようで、古麦の相場が一気に高騰したようです。向こうも商売ですから高値で買うと言われては断りきれなかったようで、まだ市場に古麦はありますが今の相場で買うとおそらく採算が合わないかと思われます。まだ未確認ですが、第二王子派閥が関わっているとするなら、近隣全てで同じことが起こっていると予想できます」
第二王子派閥の買い占めで他のみんなも一斉に買い始めただろうね。
足りないとなれば欲しくなる。
これは群集心理では当然の結果だ。
東日本大震災のときも、実際には足りたか、一部地域を除き一時的に流通が滞っただけなのに、水や食料品などが足りなくなるという噂だけで皆が買い溜めに走り全国的に物がなくなった。
その時の販売量は普段の数倍に登るとのことだったので実際には物が溢れていたのだが。
今回は実際に物がなくなったためその影響は大きいのだろう。
古麦は僕らのような貧乏領地だけでなく、家畜の餌になったり、安いエールとか加工品の材料になったりするからね。
必要とする者は多い。
「今年は豊作と聞いているが、新麦だけで乗り越えられそうか?」
「難しいでしょう。豊作と言っても例年の1.2倍とかその程度でしょうし、このところの好景気で人の流入も増えております。豊作で増えた分以上に消費量が増えるものと思われます」
こうなると好景気も良し悪しだね。
農民は勝手な移動が禁止されているが、平民は移動が許されている。
好景気になれば人も集まってくるがそれが足かせになるとは皮肉なものだ。
「では、この危機を乗り越えるアイディアの有るものはおるか?」
「……」
会議室に沈黙が落ちる。
今からでは食料の増産は不可能だ。
かと言って、遠方の地に買い求めれば送料だけで足が出る。
麦のように重くてかさばり、単価の安いものは運搬料の割合が高くなりがちだ。
トラック便やら貨物便なんてものはないからね。
もちろんファンタジー特有のマジックバッグやインベントリみたいなスキルもない。
荷車でエッチラこっちら運んでくるのだから、大量の荷物を長距離運んでくるとなるととてつもないコストがかかる。
「……アルカイト。何か考えはないか?」
えー。僕に聞きますか?
「父上、僕はまだデビュー前ですよ? 当事者ではありますから同席してはいますが」
「今更であろう」
「まあそうですね。では僭越ながら僕の考えはこうです。古麦が買えないのであれば新麦を買えばいいじゃないですか」
どこのマリーさんだよ。
うちのマリエッタはそんな事言わないようにしっかりと教育しなくては。
「それをするだけの金が無いから困っておるのであろう」
「無いなら稼げばいいんです」
「稼げばいいとは言うが、そう簡単に稼げれば誰も苦労はしないぞ」
「大丈夫です。『パソコン』も売れ始めましたし、新たなキラー商品『スマホ』もあります。売って売って売りまくりましょう」
幸いなことに稼ぐネタはいくらでもある。
「『ぱそこん』は高価だ。作るのにも時間がかかる。そんなにすぐには売れんだろう」
パソコンはね。
箱も大きいし、キーボードの製造は結構な時間もかかる。
「そこで登場するのがこの『スマホ』です」
僕は自分のスマホを取り出しプレゼンを始める。
「元々は『USBメモリ』だったものを改良し、魔石とインクを一体化したものです。これを起動するとこのように机にディスプレイとキーボードが表示されます」
僕は実際に起動してみる。
「このように、『エディタ』や『表計算』も普通に使えますし、『メール』も出せます」
そういいながら次々とアプリを起動していく。
「必要があれば『ディスプレイ』や『キーボード』を後付けも出来ますし、こうやって手に持てば中空に表示させることも出来ます。キーも押せますね」
キーは一応シールドを一枚展開し触ったところに反応するようにしてある。
前はキーひとつにつき一枚のシールドを貼って魔力激食いにしちゃったけど、一枚なら余裕だ。
指一本でしか操作できないがモバイル用途ならそれで十分だろう。
「それから今回の目玉『電話』アプリですね。遠方とも直接会話ができるので、他領との買付や営業も直接話して行えます。ちょっと買付担当に新麦の相場を確認してみてください。おそらく新麦を売ったお金で古麦を買っているでしょうから新麦の相場は落ちているはずです」
まだ新麦は出回っていないけど、先物相場っぽいものは有る。
古麦は新麦が出る前に売り出されるので、こんな制度が各領地毎にあったりする。
「貸せ」
父上は文官長からスマホを受け取る。
「このまま話せばよいのか?」
「はい」
「うむ。聞こえるかハイデンよ。フラルークである」
「は、聞こえます。公爵様」
「そなたは新麦の相場を確認したか?」
「はい、新麦の売値と比較するため確認しております。今年は新麦の相場がかなり安くなっているため、古麦との価格差がかなり縮まっており、このままですと新麦を売っても1.2倍から良くても1.4倍程度の古麦しか買えないものと思われます」
「わかった。また何かあれば尋ねるゆえこのまま待機しているように」
父上はスマホを文官長に返す。
「なるほど。これは便利だな。遠方のことでも知りたいことがすぐわかる。とりあえず新麦は安く買えそうだ。しかし、領地をまかなえるほど、これが売れるのか? 領民が食べる分だけではないぞ。麦を売らないのであれば税収はゼロということだ。このままでは領地運営に支障をきたす。それをまかなえるだけの収入が得られるのか?」
父上の問いかけに僕はゆっくりうなずいた。
飢餓というやつは食料がないから起こるのではなく、食料の偏在によって起こります。
要は金持ち連中が食料を買い占めているため、低収入の人が飢えることになってしまっています。
実際の所穀物の生産量だけ見れば、全人類を養うのに十分な食料が生産されているそうです。
しかし我々はそれを公平に分配せず、家畜の飼料にしたり、バイオ燃料としたり、フードロスとして廃棄したり、場合によっては作りすぎたときなどそのまま廃棄してしまったりするため、食料を買えない人々というのが大量に出ているのです。
かと言ってバイオ燃料を作るのをやめたり、肉の消費量を押さえたりしても、フードロスを減らしても飢える人の人数は変わらないでしょう。
なぜならそういう人は食料を買うお金がないからですね。
穀物価格が下がれば農家は生産調整して価格を維持しようとします。
穀物消費量を抑えれば、生産量も当然下がり価格は維持され、貧乏人のところへ食料は回っていきません。
飢えをなくすためには結局のところ完全な共産主義とするか、お金がない人が稼ぐ手段を与える必要があるってことですね。