ある企業戦士の定年
二話目、過去を振り返ります。
僕はその時、六〇歳の定年を迎えていた。
日本の高度成長期の始めに生まれ、高度成長期の終わりころにコンピュータ系の会社に就職。
その当時、過労死とかまだ問題になっておらず、企業戦士だの二四時間戦うなど、毎月の残業時間が二〇〇時間を超えたこともあった。
コンピュータが、プログラミングが好きで、個人でパソコン(当時はマイクロコンピュータ、マイコンと言われていた)を買って、ゲームを作ったり、ゲームを作るためのツール、エディタやコンパイラ、簡単なゲームエンジンなんかも手作りするくらいコンピュータが好きだった。
そして今、定年を迎えたとき、何をしていいかわからなくなった。
会社で大規模なシステムを組んできたため、いつの間にやら趣味でプログラムを組むことはなくなっていた。
ちょっとしたマクロやツールはそれなりに作ってきたが、あくまで仕事を便利にするためであり、趣味とは言えない。
初めて買ったパソコンは八ビットCPUでメモリも四八キロバイトしかない。今なら組込み用CPUにも劣る性能だが、その当時は何でもできると思ったものだった。
今のパソコンは当時のスーパーコンピュータをも超える性能を持つが、自分でプログラムを作るより何倍も使いやすく優れたものが無料あるいは安価で使える。
趣味のプログラムに関するモチベーションは著しく下がっていた。
仕事が趣味です。
そんな僕が嫁をもらえるはずもなく、職場も女性社員など事務系に何人か居るだけでほとんどむさくるしい男ばかりなのだ。
出会いすらなかった。
そして気がついたら定年。
再雇用の道もないではなかったが、今は世界的な不景気で、僕が勤めている会社も再雇用枠はほとんどなく、他の社員などは早期退職を打診されていたほどだから、定年まで置いてくれたのは、僕の能力を買ってくれたからだと思う。
だがそれも再雇用してくれるほどではなかったということだ。
「ジョブズと同じ年の生まれなのにどこで差がついたのかなぁ」
僕は会社を後にしてそうつぶやく。
方やアップルコンピュータの創始者。方や寂しく去る元企業戦士(笑)。
まあ、圧倒的に僕と同じ人が多いのだから、悲観してもしょうがない。
数少ない女子社員から手渡された花束を持って僕は一人家路につく。
「これからどうしたものか……」
仕事はないが退職金は満額もらえたので当分生活に困ることはない。
困ることがあれば前倒しで年金をもらうこともできる。
だがこれから何をすればいいのだろうか。
養わなければならない妻も子供もいないし、両親もとっくに他界している。
唯一の趣味であるプログラミングにしても今の時代、個人でしょぼいプログラムを作ったって、誰も使ってはくれない。
自分だってしょぼいプログラムなんか使いたくはない。
ユーザー皆無のプログラムを作って何が楽しいというのか。
そんなことを考えながら道を歩いていたのが最後の記憶だった。
そして……
男女雇用機会均等法が施行されてずいぶん立つのに、コンピュータ業界に女性が少ないのは法律違反だとは思いませんか?
えっ、機会は均等でも志望者が均等とは限らないって?
なら、法律の文言から機会を取り除いて、男女同数にする法律作ってくれる議員さんはいませんでしょうか?
三話目行きます