閑話 侍女見習いアンジェリカのお仕事3
大騒ぎだった昨日から一夜明けて、今日は朝からアルカイト様のお世話をいたします。
とは言っても、まだ見習いですので、筆頭侍女が付き添いです。
しばらくは侍女のどなたかに付き添って頂けるようです。
早々に朝食を終え、アルカイト様をお起しし、朝食を召し上がっていただいた後は、お部屋でしばしの休息です。
何でもアルカイト様は、勉学の大半を終わらせてしまっている為、授業は週二回のマナーとダンスと剣術の授業のみだそうで、今日は授業は無いので昼食まで自由時間です。
「アルカイト様、本日はいかがお過ごしになられますか」
主人の必要とする物を準備するのも侍女のお仕事ですから、予定の確認は重要です。
外で駆け回るとなれは、着替え等を用意しなければなりません。
「今日は金策ですね」
「『きんさく』ですか? えっ! 金策?」
何か幼児から出てはいけない単語が出て来ましたので一瞬何のことかわかりませんでした。
「そう、金策。昨日家にはお金が無いことがわかったからね。お金を工面しないといけないんだ」
「えーと、公爵様達が昨日、会議をしていましたので大丈夫なのではないですか?」
アルカイト様は、こてっと首を傾げ、ちょっと考え込みます。
「ここの財務は基本『どんぶり』勘定だからなー。『財務諸表』も作って無いくらいですし、ちょっと不安です」
五歳児に心配される領主様って。
こめかみを汗が流れていく感覚がします。
「という訳で、今日は金策です。無駄なら無駄でいいんです。どうせ子供の落書きみたいなものですから」
その落書きで昨日領主様達がてんやわんやだったんですからね。
今日の領主様、目の下にクマが出来ていましたよ。
昨日、寝ていらっしゃらないのではないでしょうか。
今日も寝せない気ですかそうですか。
「という訳で、まずは書庫です」
「どういう訳か存じ上げませんが、書庫へ向かうという事でよろしいですか?」
「はい」
私は筆頭侍女の方をみて確認します。
頷いていますので問題ないのでしょう。
奥様からも危険が無い限り自由にさせておくようにと言いつかっていますし、とりあえず昼食の時間までは自由時間ですから。
私は部屋付きのメイドを呼び出し、書庫へ案内させます。
「おお、ぼんか。今日は何の資料が欲しいんだ?」
書庫付きの文官が気さくに声をかけてきます。
地位的には爵位を持たない陪臣ですが、おそらく王家の遠縁ならではの気安さでしょう。
王家といえども王になれなかった家系は、少しずつ地位を落としていき、三代目か四代目には大抵爵位を失い陪臣まで地位が下がります。
アルカイト様はよほどヘマをしない限り一代貴族になれるでしょうが、その子供が貴族となれるかはアルカイト様とその子供の能力次第ですね。
「税収と支出に関しては、財務諸表を作った時に調べましたから、今度は、領民関係の資料と産業関係の資料が欲しいですね。人口比率とか、ここに有りますか?」
「また変わったものを。とりあえず農民の人口とか調べたのはあるな」
「えっ、農民のだけですか?」
「そりゃあ農民の人口を把握しておかないと、配給だってできないし、耕作可能な畑の面積も把握できないしな。町の人間は、配給もしていないし、定期的な税も取っていないから、把握していなくても問題はない」
「そんなー、問題ありありですよ。各産業の人口比率が分からないと、どこが『ボトルネック』になっているかわからないじゃないですか」
「ぼん、そうは言うがな、それを誰が調べるんだ? とてもそんな暇はないぞ」
「あー、なるほど、そういう事ですか。これは金策も、一筋縄ではいきませんね」
「アルカイト様、何がそういう事なんですか?」
ここまでの会話でどこが金策に関わるお話だったのでしょうか。
私にはわかりません。
「ここで調べることはありませんから、部屋に戻って、ゆっくりじっくり説明しましょう」
アルカイト様は、とてもイイ笑顔で歩き出します。
あれ、陪臣の人と筆頭侍女が、気の毒そうに私のことを見ています。
わ、私、何かやっちゃいました?
オロオロしている私に、筆頭侍女が、声を掛けてくださいます。
「気を確かに持って下さい」
ええー、アルカイト様とお話しするだけですよね?
気を確かにって、それは助言なんですか? お悔やみなんですか?
私はこの廊下が、ずっと続けばいいと願わずにはいられませんでした。
そんな願いなど聞き届ける価値などないとばかりに、神は私を見放し、アルカイト様の自室に戻って来てしまいました。
「さて、僕が何を持ってそういう事かと言ったかでしたね。アンジェリカの疑問は」
「はい、そうです」
私は諦めて彼のお話に付き合います。
お話し相手も立派な侍女の務め。
実際のところ、侍女の仕事なんて、実作業はメイドや召使いがやりますから、私がするのは作業の伝達や、段取り、監視くらいです。
ほとんどの時間は暇なので、主人の話し相手が業務の大半を占めるといっても過言ではありません。
「僕が注目したのは、『それを誰が調べるんだ? とてもそんな暇はない』という言葉です」
「それがどうしました? 貴族もその陪臣も、とても忙しいですもの。私のお父様も、いつも忙しそうにされていました」
「正に問題は、そこです。貴族はみんな忙しすぎる。財政改革をする暇もないくらいにね」
なるほど。
金策しようにも人手が足りないと。
それがわかったから書庫で調べるのを止めたのでしょう。
調べるための資料も集められず、調べてもそれを実行出来ないのですから。
「でもそれでは公爵様達が昨日徹夜で検討していたことは無駄だったのですか?」
「いや、無駄じゃないよ。直近の問題は、膨れ上がった借入金の元本に有るので、これを減らせば、五年で破綻するところを一〇年、あるいは二〇年に延ばせるのですから」
「結局破綻は避けられないのですね」
「このままだとね。なにしろ、お金が無いから借金をするのであって、お金があったら借りる必要は無いからね。収入を支出が上まわっているかぎり、借金が減ることはない。簡単な算数だね」
「お金がなくて借金をしているのに、元本を減らせるのですか?」
「一度だけならだけど。お金がないとはいえ、うちは曲がりなりにも公爵だから。宝物庫には、使っていない宝飾品とかが眠っている。これを売り払えば、元本をかなり減らせるはずさ。父上にも助言はしてある」
幼児の助言で領地運営とか、頭痛くなって来ました。
「しかし構造的な問題があり、これを解決するのは至難の業だ。君ならどうする?」
「私ですか? そうですね。収入を増やすのは大変ですから、とりあえず支出を減らせばいいのでは?」
「それも平行してやらないといけないんだけど、それでは足りない。足りないから借金しているわけだし」
減らせるなら、そもそも借金しませんか。
借金して無駄遣いということもないわけではないでしょうけど。
「支出は減らせない。減らせたとしても限定的だ。かといって、収入を増やそうと思っても、今度は人が足りない。何か新しいことをしようとすると、人を増やすか、何か別のことをやめるかしかありません」
「でも、人を増やせば今度はお金がかかりますよね?」
「ですね。なので今できうる手立ては、手間の割に儲からない事をやめて、なにか新しい収益を上げることをする。それだけしかないわけです」
「それは簡単にできることなのですか?」
「難しいでしょうね。必要だと思ってやっている仕事をそれは無駄だ、新しい事をしろといってもなかなか受け入れられないでしょう。また収益の上がる仕事というのは、逆の立場なら収益が下がる人が出てくる可能性があります」
「収益の下がる人、ですか?」
「例えば新たなる税を掛けるとします。こちらは潤いますが、税をとられる方としてみればたまったものではありません」
「新たな税金をかけられたら困る人も出てきますね」
「困る人がいる限り抵抗されます。そのせいで破産する人もいるかもしれません。表立っては従順かもしれませんが、腹の底ではいつか思い知らせてやると恨みを持つものも出てくるでしょう」
「でも、ある程度は仕方がないのではありませんか? 領地が破綻すれば、確か特別管理領となって、領民全てに資産の徴収や、労役の義務など課せられるのではなかったですか」
「ええ、それは借金を返し終わるまで続けられますが、借金がなくなっても苦しい状態は続きます。なにせ資産、蓄えがごっそり持っていかれるのですから、何かあればすぐに破産です」
「それに比べたらずっとマシでは?」
「みんながそう思ってくれればいいのですが、人間切羽詰まってみないと幸せには気が付かなかったりするものですよ。今我慢すれば将来楽になるとわかっていても、今我慢できる人は少ないのです。将来の苦しみより今の享楽です」
「新たな税金がだめとなると、もう打つ手はないのではないですか?」
「あります。税金は税金でも喜んで出させればいい」
「喜んで出す人なんかいませんわ」
「いえ、います。さっきいったことの逆を行く人が少なからずいるのです。将来儲かるとわかっていれば、今苦労してもいいという目端の利く人が」
「わかりました。商人ですね」
「ええ、正解です」
彼は嬉しそうに微笑みます。
「商人は将来を見据えて今を生きています。今多少の損を出しても将来何十倍にもなって取り戻せるなら喜んで損するでしょう」
「でも、そんなうまい話があるのですか?」
「あるわけないじゃないですか? あったらそれは詐欺です。気をつけましょう」
「アルカイトさま~」
からかわれているのでしょうか、私。
「ごめんごめん。実際のところうまい話があったら詐欺と思ったほうがいいです。実際僕がやろうと思っていることもほとんど詐欺ですからね」
「アルカイト様、詐欺はだめですよ?」
「ほとんどであって、全部じゃないから『セーフ』?」
「『せーふ』ってなんですか?」
「つまり黒に近い灰色だから犯罪じゃない」
「黒に近かったらもう犯罪ですよ」
「大丈夫黒じゃない。儲かるか儲からないかは自己責任だ。僕の責任じゃない」
すまし顔のアルカイト様に呆れ返ってそれ以上の追求は無駄と悟りました。
「その黒に近い灰色の方法ってどんなのですか?」
「例えば、国や領で『銀行』を作る。で、商人にはそこへ金を出してもらう」
「『ぎんこう』って、なんですか?」
「あー、まあ、金貸しのようなものだ」
「金貸しって、もうありますよね? 実際この領でも借りているわけですし」
「そう、あるけど金利が高い。で、国で低い金利で金貸しをする」
「金貸しの人怒りませんか? 商売敵になるんですから」
「怒らない怒らない。なにしろ商人にとって金は余っていても信用のおける貸し手というのはほとんどいない」
「そうなんですか?」
「そうなんです。なにせ金を借りるということは商売がうまくいっていないと同義ですからね。お金を借りてまで儲けを増やそうという考えがないのです。借金が返せなければ即借金奴隷ですからリスクも大きい」
「確かに、借金のある使用人はだいたい何かやらかしますから」
うちの使用人でも時々盗みを働く者がいて、大抵は借金まみれで魔が差したとかです。
私達のような上級の使用人の仕事に下級使用人の監視があるのはそのためです。
「ですが国は違います。金を借りてでもやらなければならないことというものがあります。道の整備、農地の開墾、治水、魔物の討伐。これらは早くやればやるほど、あとになって効果が高まります。逆に遅くなればなるほど、発展が遅れ、お金もかかるということでもあります。しかも担保は国民領民ですから、金を貸す方としても安心です。国民領民がいなくならない限り税金は取れますから、いつかは返してもらえるという安心感がある」
「それと国が金貸しをするのとどう関係があるのですか?」
「実は、国の作った銀行は主に国に金を貸すからです。安い金利でお金を集めて、安い金利で国に金を貸す。国は金利が安くて嬉しい。金を預けている方からすれば金利が安いけど貸し倒れがないから安心して貸せる。貸す相手を吟味する手間もかからない。いい事尽くめです」
「でも、それなら国の銀行ではなく個別に国とか領地に貸したほうが高く貸せませんか?」
「もちろんそうですが、一度この『銀行』ができてしまえば、他から借りる必要がなくなりますからね。資金は商人だけでなく一般の職人とかから少額を集めてもいいし、裕福な領や国に出資してもらってもいい。お金さえ集めてしまえば、国や領主はそこから借りられる。そうなれば金貸しは大口の借り手を失いますから貸金業には少額の顧客か破綻する危険のある顧客しか残らない」
「それだとやっぱり、金貸しに恨みを買いませんか?」
「要は同じかそれ以上に儲けさせればいいのですから、低金利でたくさん借りればいいのです」
「金利を安くさせて沢山借りるですか。なんか詐欺っぽいですね」
「でも詐欺じゃ無いです。貸し手は今以上に儲けられる、こっちは今以上のお金を安く借りられる。良いこと尽くしじゃ無いですか」
「そ、そうなのかな? そうですね。はい、誰も損していません。すごいです」
「君は、お金借りないように」
「な、なんでですか~」
「損はしていないかもしれないけど、『リスク』は有るんだよ」
「『りすく』ですか?」
「そう。借り手は、大金を返さなくてはいけないし、貸し手は、手元にお金が残らなくなるから、緊急時に対応が出来なくなる。もちろんその『リスク』に応じて金利が決まるから、結局借りるも貸すも自己責任で判断するしかない」
「さっきおっしゃられていた自己責任がここに繋がるのです」
「そういうこと。ただし、これをするには人手がいる。困ったことに。お金が有っても人はすぐに何とかなるものじゃないからね」
「駄目じゃないですか」
「ここで借金の元本を減らして、破綻を伸ばした事が利いてくる。一〇年有れば僕だって成人だ。一五年有れば生まれたばかりの赤ん坊だって成人する。それだけあれば使える人を増やす事が出来る」
「一〇年計画ですか? 気の長いお話ですね」
「一〇年なんてすぐさ。国作りなんて一〇〇年一〇〇〇年で考えていかないと。そうでなければ、国なんて数十年で消える。下手したら三日天下、なんてこともある」
「三日ですか? それはいくらなんでも有り得ないのでは?」
「確か有ったはず。どこで見聞きしたか忘れたけど。アンジェリカの領地だって昔は別の国だったけど、この国の母体となったユーシーズ王国に吸収されたわけだし。国として存在した期間は確か、七〇年ほどだったはず」
「建国から七二年ですね」
「それはまだ長い方だね。短い所だと、一〇年で併合されたり、隣の帝国だと、半年で征服っていうのもある。まあこれは、反乱を起こして独立し、その後半年で平定されたという奴だから、帝国は国と認めていないけど」
「よくご存知ですね。アルカイト様、本当に五歳ですか?」
「ピカピカの五歳です」
「何がピカピカか分かりませんが、先生方が匙を投げたのも分かりますね」
「匙を投げたわけでは有りませんよ? 卒業したのです」
「はいはい、その卒業生のアルカイト様は、一〇年計画として、貴族を増やそうとお考えなのですか?」
「いえ、貴族は増やしません。というか貴族を増やすのは不可能なんですよ」
「でも先ほどは、人を増やすっておっしゃっていましたよね?」
「言いましたけど、増やすのは、仕事が出来る人であれば、貴族でなくともいいのです。というか貴族はお金が掛かりすぎるので、出来れば減らしたい」
「貴族を減らすのですか? アルカイト様、命は大切にした方がいいですよ?」
「やっぱりそうですよね。既得権益を取り上げるのはとてつもなく難しいですからねぇ。なので増やすのは陪臣か、貴族家の女性です」
「貴族家の女性ですか!? 陪臣はまだしも、女性に男性と同じ仕事をさせるなんて不可能です」
「不可能ってことはないでしょう。あなただって働いているわけだし、そこに男の仕事が少し入るだけですよ。何も全部同じように完璧にこなせと言っているわけではありません。一部の仕事、例えば手紙の代筆や文書の清書だけでも、だいぶ楽になるでしょう。貴族女性なら、手紙の書き方は叩き込まれているでしょうし、清書するだけならば、特別な知識はいりません。今すぐだって即戦力です。君だって出来るでしょう?」
「えっと、そのくらいなら」
「ちょっとした計算が出来れば、僕の作ったような『財務諸表』だって作れます。貴族を増やさなくても女性を登用すれば男性の手が空き、もっと別のことや、もっと高度な事が出来るようになります。既存の戦力を底上げ出来れば、人数を増やさなくても戦力を上げることはできます」
「で、でも。貴族の男性がそれを認めるでしょうか?」
「難しいのはわかります。仕事の独占も既得権益のひとつですから。ですが、『背に腹は代えられない』ともいいますし、このままだと大変なことになりますよ、といいながら仕事をガンガン増やしてやればいいのですよ。『猫の手』でも借りたくなる程忙しくなれば、男性だの女性だの言っている暇さえなくなります」
「アルカイト様の言葉で一部意味不明な所も有りますが、仕事があふれれば、どこかに回さざるを得ないと言うことですか?」
「正にその通り。あなたも思ったことはありませんか? 男性だったら士爵位は賜れたのではないかと。六男だとさすがに難しいかもしれませんが。少なくとも陪臣にはなれたはずです」
「残念ながら女性ですのでそのような望みは持ったことがございません」
「陪臣は望まなくても、幸せな結婚は望みませんでしたか? 六女のあなたは結婚持参金も用意することが出来ず、我が家に出仕するか教会にでも行くしか選択肢がなかったのでしょう。多くの女性は望まぬ結婚をし、またその他の女性も決して幸せとは言えない生活となる人も多い。あなたはそれに憤りを感じませんでしたか?」
公爵家に生まれた男子のあなたには言われたくないです。
「感じないわけ無いでしょ! 男爵令嬢に生まれながら六女であっただけでデビューと同時に出仕だなんて。それも領地を遠く離れて。すごく不安だったしすごく怖かった」
「そうでしょうとも。でも、自活する道があればどうでしょう。少なくとも陪臣程度の能力と給料があれば、普通の平民以上の暮らしができます。貴族との結婚は無理かもしれませんが陪臣とならよりどりみどりです。彼らは貴族の娘と縁を結びたいと思っている者も少なくありません。陪臣は准貴族扱いとはいえ平民ですからね。貴族の娘は輿入れしたがらず、貴族家としても縁を結ぶ旨味がない。貴族の結婚は所詮利益優先ですから。益のないところへ嫁を出すくらいなら教会に押し込むなり、あなたのように出仕に出します。あとで益のある結婚相手が見つかるかもしれませんからね」
「私はもう戻らない。戻るつもりはないわ」
お父様お母様は愛してくれてたけどそれは貴族としての愛だ。
家のため、それが第一で、娘のことなど、一〇番目以下の優先度でしょう。
そんなのわかっています。
「戻るつもりがないのであれば、あなただけの技能を身につけるのです。我が家にとって欠かすことの出来ない人材になれば、父上だって無碍には扱わないでしょう。あなたを囲い込むために、良縁の世話もしてくれるかもしれません。幸いにして僕は授業免除されていますから、基本的に暇です。僕が知る限りのことを教えましょう」
「いいんですか、お仕えすべき方に教えを請うなんて……」
「主人がいいと言っているのですからいいでしょう。さあ、女性代表として、新たなる職業婦人を目指しましょう。貴方が世界を変えるのです」
「アルカイト様!」
すぱこーん! スコーン!
「あイタ!」
「きゃん!」
熱く語り合う二人の頭上でいい音が弾けました。
「う~、いきなり何をするんですか、フランシスカ」
どうやら筆頭侍女に『はりせん』を食らったようです。
「アルカイト様。いたいけな少女を洗脳してどうしようというのです」
「洗脳だなんて人聞き悪いなぁ。せめて教唆とかたぶらかすとか言いようがあるでしょう?」
「教唆もたぶらかすも洗脳と大して変わりありませんよ。アンジェリカもアルカイト様の言葉は聞き流せと言われていたでしょう? 洗脳されかかってどうするのです」
せ、洗脳? この私が五歳児に?
「私、洗脳されていたのですか?」
「まさしく洗脳でしたね。貴女、今にも世界を変えそうになっていましたよ」
「いやー。世界を変えるとか、どこの物語の主人公よ」
「世界を変える。かっこいいじゃないですか。どこがいけないんです?」
「自分から行動するならその人の勝手でしょうが、扇動やら洗脳やらで人を動かしてもその人の人生をめちゃくちゃにするだけです」
「なるほど。確かにその通りですね。アンジェリカ、自分の意志で世界を変えたくなったら僕のところへ来てください。貴方に力を授けましょう。世界を革命する力を」
すぱーん!
「いた!」
「だから、そ・そ・の・か・す・のは禁止です」
二度も『はりせん』を食らって涙目のアルカイト様は本当に五歳の、いえもっと幼い子供にしか見えません。
しかし私はこの子に洗脳されかかったのです。
ふと私は昔聞いた悪魔の話を思い出しました。
悪魔には二つのタイプがいるそうで、ひとつは恐ろしい容貌と異形の姿で強大な力を持つ悪魔です。
その悪魔は人の欲望につけ込み、力を求める者が生贄を捧げることで力を貸します。
悪魔らしい悪魔ですので、本当に絶望した人か、欲望に忠実な人くらいしか悪魔に願わないでしょう。
もうひとつのタイプは、天使のような愛らしい容貌で誰にでも優しい天使のような悪魔です。
見た目は天使、その言動も天使のような優しさ。
しかしその悪魔は人の闇を見逃しません。
人間誰しも闇を抱えているものです。
その悪魔は人間の持つ小さな妬みやそねみ嫉妬欲望といった感情をたくみに暴き出し、小さなそれを本人でさえ知らないうちに大きく育てていきます。
特別な力を使うでもなくただ優しく話しかけ、傍に寄り添い、そして時に怒って見せ、信頼を勝ち取ると、その人の心の隙間に入り込みます。
いつしか小さな闇は本人ではどうしようもないくらい膨れ上がり、そして悪魔に願い出るのです。
私に力をと。
彼はその容貌といい、言動といい、まるでその天使のような悪魔です。
私、本当にここでやっていけるのでしょうか?
いえ、私が私のままでいられるのでしょうか?
知らないうちに何か別のものに変えられる恐怖に私は震えます。
何人もの侍女見習いが自らやめていったというのも納得です。
こんな恐怖にどうやって耐えればいいというのでしょう。
私、やはり教会に行くべきだったのでしょうか?
これは神の元を嫌がった私への罰なのでしょうか?
「気を確かに。さあ、これを持って、思いっきり振り下ろすのです」
私は半ば呆然としたままその言葉に従います。
スパコーン!
「イタ! 僕何もしていないよね!? なんで叩くの?」
「!」
今の感じ。
何か目覚めそう。
わたしはそれがなんなのか確かめるため、もう一度振りかぶります。
すぱーん! スパコーン! ぱこーん!
「いた! 痛い! うわーんやめてよう。僕が何したっていうのさ」
「反省していないようですね。私を洗脳しかけた罰です。もう二、三発くらいいきますか」
「反省してる、反省しているから叩かないで」
「見事です。これならアルカイト様を任せても大丈夫でしょう」
筆頭侍女のお墨付きをいただきました。
そうです。
私にはこれがありました。
悪魔さえ退ける紙の、いえ神の鉄槌『はりせん』が。
公爵家の侍女見習いとして間違った方向に向かっているような気もしないでもありませんが、筆頭侍女も奥様さえもそれを望まれるのであれば、私がお坊ちゃまを変えてみせます。
私がアルカイト様を革命するのです!!
まだ少し洗脳の効果が残っているかもしれません。
すぱこーん!
もう一度お見舞いして私は心の平穏を取り戻したのです。
金策という言葉を聞きたくない人は、会社の経営者のみならず、個人でも多いのではないでしょうか。
金策って言葉はお金に困っているという事が前提になっていますからね。
幸いにして自分は金策というほどのことはしたことがありませんが、今後も無縁でいたいものです。