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閑話 侍女見習いアンジェリカのお仕事2

閑話2 侍女見習いアンジェリカのお仕事2



 私は奥様と奥様付きの侍女に連れられて、アルカイト様のお部屋に向かいます。


「覚悟はよろしくて?」


 覚悟ってなんですか!? 奥様。

 いきなり怖くなること言わないで下さい。


「だ、大丈夫です」


 私は気合いを入れ直して奥様に続きます。


「ここがアルカイトの自室です。隣が寝室、向かい側がクローゼットです。他にも息子が使っている部屋がありますが、それは追々把握していけばいいでしょう」

「アルカイト様は御在室ですか?」


 奥様付きの侍女が、部屋付きのメイドに尋ねます。


「はい、御在室に御座います」

「今日は言いつけを守っているようですね。アルカイト、母です。入りますよ」


 奥様は、ノックと声掛けを同時にしたかと思ったら、いきなりドアを開けて部屋に踏め込みます。

 御子息とはいえ、返事を待たないのは礼儀に反するのではないでしょうか?


「どうせ何かに夢中で、待ってても返事は返って来ませんよ」


 私がいぶかしげな表情をしていたのに気づいた奥様が説明して下さいます。


「貴女もアルカイトの部屋に入る時はそうしなさい。でも、うっかり他の人のところではしないようにね」


 確かにこれに慣れてしまうと、うっかりやってしまうかもしれません。


「さあ、お入りなさい。あれが息子のアルカイトです」


 自室の小さな机に座って、なにやら書き物をしているようです。

 髪は肩口くらい有りサラサラでわずかに毛先が波打って、奥様似の可愛らしく、優しい顔立ちです。


「えっ! 息子ですか? お嬢様の方ではなく?」


 あんなに可愛い子が男の子なんて信じられません。

 五歳と聞いていましたが、少し小柄でしょうか。

 ちんまりと椅子に座って書き物をしている姿は、なんとも微笑ましい光景です。

 お絵描きでもしているのでしょうか。

 こんなにかわいい子のお世話ならやりがいも有るというものです。


「アルカイト、今朝お話した新しい侍女見習いを連れて来ました。ご挨拶なさい」


 奥様がそう促すものの、彼は書き物を止めません。

 なるほど没頭すると周りの音すら聞こえなくなる質なのですね。

 これならこの『はりせん』なるものが必要なのも頷けます。


「やっておしまいなさい」


 私は頷き、それを思いっきり振り下ろしました。


 スパーン!


「イタ!」


 アルカイト様は頭を抱え、涙目でこちらを見ます。

 その仕草は奥様とそっくりです。


「あれ、母上。わざわざ僕の部屋に来るなんて、何か有りましたか?」

「何かではありませんよ。今日は、新しい侍女見習いが来ると言っておいたでは有りませんか」

「そうでした」


 彼は立ち上がるとこちらに向き直ります。

 先ほどスパーンとやられたことは露程も気にしていらっしゃらないようで、満面の笑顔で姿勢を正し、完璧なボウ・アンド・スクレープ。


「フラルーク公爵が子息アルカイトです。本日はお会いできて恐縮至極にございます」

「あっ、はい。メルクール男爵の六女となりますアンジェリカです。アルカイト様の侍女見習いとなります。よろしくお願いいたします」


 五歳とは思えぬ立派な挨拶に私のほうがタジタジです。

 私も完璧と思っていたカーテシーで挨拶し返しますが、田舎者が真似っ子しているだけのような気がします。


「アルカイト。挨拶は立派ですが、時と場合をわきまえなくてはなりませんよ?」

「はて? 何かおかしかったでしょうか?」


 彼は自分の手足を見つめて何が悪かったのかと首を傾げます。


「礼の仕方に問題はありません。しかし、侍女見習いにする礼ではありません」

「なるほど、簡易版でよかったのですね。素敵なお嬢さんでしたのでつい」

「まあっ!」


 相手は五歳の子供だというのについトキメイてしまいました。


 すぱこーん!


「イタ!」

「こらこら、お預かりしているお嬢さんを口説かないように」


 奥様がいつの間にやら手にしていた『はりせん』でご子息の頭をすぱこーんとして釘を刺されます。


「『ナンパ』ではありませんよ。こんな小さくて可愛らしい方が親元を離れ働きに来るなんてとても立派です。だからここは礼を持って尽くさねばと思っただけです」


 がーん。


 小さい子に小さいって言われました。


 実際には身長ではなく幼いという意味の小さいだったようですが、当時の自分はそんなこと思いもしませんでした。

 あとになってあの時のことはそういう意味だったのかと気が付きましたけど。


「気持ちはわかりますが、立場の違いというものがあります。過分な取り立てはかえって迷惑となる場合もあるのです。気をつけなさい」

「なるほど、偉い人から過分に持ち上げられると嫉妬する人とかがいるということですね? わかりました今後気をつけます、母上」


 五歳児なのに嫉妬とかよく知っていますわね。


「ところで先程は何に夢中になっていたのですか?」

「ああ、これは領の財政状況を検分していました」


 はい? 領の財政状況ですか?

 お絵かきじゃなかったんですか?


「過去の財政記録から『財務諸表』を作成し、今それを分析していたところなんです」

「『ざいむしょひょう』とはなんですか?」

「『財務諸表』とは『貸借対照表(B/S)』『損益計算書(P/L)』『キャッシュ()()フロー計算書()』とかですね」

「『ぴ-える』?『びいえす』?」

「この表ですね、これを見れば財務状況が丸わかりなんです。すごいでしょう」


 すごい、のでしょうか?。


 私は何を言っているか全くわかりませんでした。

 奥様たちもわかっていないようでしたので、もしかしたら子供のお遊びかしら?


「すごいですね。それで何かわかりましたか?」

「残念ながらこの領はこのままだと長くても後五年ほどで破綻しますね」

「破綻するのですか?」

「ええ、借入金が増え続けています。なにか手を打たないと来年早々には利子が払えなくなります。実家からの援助もそろそろ限界でしょう。今援助が打ち切られたら即詰みですね」


 えっと、それって大変なことでは?


「そうなの。それは大変ね―。では、今からお父様のところに行ってお話してあげなさい。きっとなにか対策してくださいますわ」


 全く大変そうに聞こえない口調で公爵様に丸投げのお奥様。

 それでいいんですか?


「はい、そうします」


 彼はニコニコとしながら『ざいむしょひょう』とやらをまとめ始めます。


「えっと、よろしいのですか? 公爵様のお仕事のじゃまになるのでは?」


 私はこっそり奥様の耳にささやきかけます。


「いいのです。私には財務のことはわかりません。息子の言葉が単なる子供の戯言なのか、そうでないかは夫が判断してくださるでしょう。真実であればそれで良し、たわごとであっても父と息子の触れ合いの場となるでしょう」

「はあ、奥様がそうおっしゃられるのであれば構わないのですが」

「よくこういう事があるので、決して否定せず好きにさせておきなさい。子供の失敗やワガママは許されるべきものですからね。少なくとも今は」


 貴族の子弟なら歳とともに許されない事が増えていく。


「あの子は甘えたい盛りのくせに、ほとんどわがままも言わないし甘えるというということをしません。そのかわり何か自分で役立てることはないかとこんなことばかり。もう少し歳相応に甘えてほしいのですけどね」


 あれでも父親のお手伝いをしているつもりなのだろう。

 それが彼なりの甘え方なのかもしれない。

 そう思うとちょっと涙が出そうになりました。


「ですからあなたは、息子の面倒を見るだけではなく姉のように接してほしいのです。ただよく訳けのわからないことを言い出すので、その場では聞き流すだけにしてあとは分かりそうな人へ丸投げでいいですから。真剣に聞いていると気が変になりますよ」


 そうですね。

 彼は私が聞いたこともない言葉を使います。

 それが私が知らないだけか、彼だけにしか通じない言葉なのか私では判断が付きません。

 なにしろデビューしたての一二歳。

 マナーや一般常識的なことは叩き込まれましたけど、財務とか土地の経営だとかは男の領分ですので、触りくらいしか教えていただけませんでした。

 旦那様に丸投げは正しい判断でしょう。


「息子の付き添いついでにあなたのことも紹介しておきましょう。付いてきなさい」

「はい。奥様」


 私は初めて対面する公爵様に緊張しながら、あとを付いていきます。

 天上人、本物の王子様です。

 男爵家の六女などまずお目にかかる機会などないお方です。


「息子を連れて行くついでにちょっと紹介するだけだから。そんなに緊張しなくても大丈夫よ」


 緊張するなと言ってもそれは無理な話。


「正式なものではないから何も話す必要はないわ。にっこり笑ってカーテシー。それだけよ」


 それだけが難しいんです!

 そう叫びたかったがすでに声は出ない。

 喋れって言っても無理だったでしょう。


「息子が準備をしている間に先触れを」


 奥様は控えていた侍女に命じます。


「はい奥様」


 侍女は部屋を出てさらに部屋付きのメイドに先触れを命じます。


「母上、準備が出来ました」


 『ざいむしょうしょう』をまとめ終わった頃に先触れに出たメイドも帰ってきました。

 ずいぶん時間がかかったなと思いその『ざいむしょうしょう』を見た時、私は目が丸くなりました。

 何しろ紙の束で何十枚もあったからです。

 紙は結構高いのですがそれが子供のいたずら書きで何十枚も。

 実家ではとても許されない贅沢ですね。


「アンジェリカ、それをメイドに持たせて付いてきなさい」

「はい、奥様」


 私はアルカイト様から紙の束を受け取り、更に部屋付きのメイドに渡します。


「では参りましょう」


 筆頭侍女が先頭でその後に奥様とアルカイト様。

 その後ろがメイドで私は最後尾です。

 私の仕事はアルカイト様のお守りとメイドなどの下働きの使役と監視なので、この位置です。

 そして執務室らしいドアの前で立ち止まると筆頭侍女が部屋付きのメイドに奥様と御子息が到着されたことを伝えるよう命じます。

 すぐに侍従らしき人が出てきます。


「奥様、お坊ちゃま。旦那様がお待ちです」


 彼に促されて私達一行は執務室の中へ。

 そこには厳しい顔をした公爵様がいらっしゃいました。


「執務中に訪ねてくるとは、何かあったのか?」

「息子が何やら言っているのですが、私では判断がしかねまして」

「うむ、アルカイトが? わかった。話を聞こう。ところでその者は?」

「今日から息子の侍女見習いを務めるアンジェリカです」


 私は言われたとおりカーテシーを決める。


「うむ、職務に励むように」


 公爵様はそれだけいうと興味を失ったかのように息子を呼び寄せる。

 まあ普通こんなものです。

 侍女に対してアルカイト様のように礼などしない。


「長くなりそうだから、私達は部屋に戻るわ。あなたはそこで控えて二人の話が終わったら息子を部屋に連れ帰って頂戴。夕食の前に使いを出すから、あなたの業務はそれで今日は終わり。明日、また迎えを出すからその指示に従って頂戴」

「かしこまりました、奥様」


 私は侍従や侍女用の控えの間で彼らの話が終わるのを待ちます。

 メイドなどの控えの間より広く立派で、ソファやテーブル、水差しなどが置かれています。


「侍従のクロードです。今後顔を合わせる機会もありますでしょうから、よろしくお願いいたします」

「侍女見習いのアンジェリカです。ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」


 初老の侍従と挨拶を交わした後は、特に会話もせずに呼び出されるのを待つだけだ。

 すぐに終わるかと思われたが、意外に長くお呼びがかからなかった。


「クロード! こちらへ」

「お呼びのようですので行ってまいります」


 彼は優雅に立ち上がると、執務室へと足を運びます。


「クロード。文官を全員大至急召喚せよ」

「現在商業ギルドとの会合に出ている者が二名おりますが」

「使いを出して呼び戻せ。その者たちが戻ってこなくても緊急会議を始める。第一会議室を開けておけ」

「かしこまりました、旦那様」


 クロードさんが慌ててメイドを呼び更にそこから急使が出されたようです。

 一体何が起こったのでしょうか?

 私は控えの間で唯一人事情がわからず、かと言って聞きに行くことも出来ず、ただそこに控えているしかありません。


「侍女見習い!」

「はい、ただいま」


 いきなり公爵様に呼ばれて、私は慌てて立ち上がり部屋を出ます。


「アルカイトを部屋に戻せ」

「かしこまりました。お坊ちゃま、参りましょう」

「うん、父上、それではこれで失礼します。あっ、そうだ、文官さんのこと怒っちゃだめだよ? 彼らは知らなかっただけなんだから」

「……わかった」

「じゃあ、行こっか」


 私はアルカイト様に連れられて部屋に戻りました。

 これは仕方がなかったのです。

 部屋付きのメイドはみんな出払っていて案内して下さる人がいなかったのですから。

 まだお屋敷の中を把握していない私はアルカイト様にくっついていくしかありませんでした。


「一体何が起こっているのですか?」


 私はアルカイト様に尋ねました。

 あの時執務室には公爵様と彼しかいなかったのですから彼なら何があったか知っているはずです。


「ちょっと財務状況がまずくなっているのでその対策会議だと思う」


 ちょっと待ってください。

 あれ、マジだったんですか?


「あの最長五年ほどで破綻するっていうのですか?」

「はい。『財務諸表』や『グラフ』を見せて説明したら、父上も納得してくださいまして」

「あのいたずら書きが?」

「いたずら書きとはひどいです。一生懸命書いたのに」

「も、申し訳ありません」


 ちょっとすねた顔のアルカイト様に慌てて頭を下げます。


「あの文官達を怒らないでとおっしゃっていたのは?」

「文官たちは破綻しそうなことを知っていたわけじゃないからね。ただ、計算方法を知らなかったからまずい状況だと気が付かなかっただけなんだ」


 文官たちが知らないことをなぜ彼は知っていたのでしょう?


「まあ、今から対応すればなんとか間に合うから、よっぽどヘマをしない限り大丈夫でしょう」

「間に合うんですか?」

「はい、金利というのは元本を返さない限り雪だるま的に膨らんでいきます。最初は小さな金額でも五年後一〇年後となれば手がつけられない金額になることがあります。逆に言えば早めにこの元本を減らせば必然的に将来返さなければならない金額は大きく減ります」

「はあ、そうなんですか」


 財務のことはよくわかりませんが、アルカイト様の言葉で公爵様が動き出したということは、それが正しいことだからでしょう。

 本当にこの子五歳ですか?

 公爵家の文官が凡人な訳ありません。

 凡人どころか一流の優秀な文官が集められているはずです。


 それさえもたった一人で凌駕するとは。


 確かに生真面目な常識人ではこれに耐えられないかもしれません。

 私の常識はありえないと言い続けています。

 ですが事実がそれを否定します。

 奥様が聞き流せと言われるのも納得です。

 こんなのまともに考えていたら気が狂いそうです。

 お父様、お母様、アンジェリカはとんでもない職場に来てしまったようです。

 私ここでちゃんとやっていけるかしら。

 とんでもなく不安になってしまいました。



 なろう作品でカーテシーはよく出てくるけどボウ・アンド・スクレープって出てくる作品は少ない気がします。

 まあ、男の気取った挨拶なんかあんまり見たくはないかw


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