鉄人病
夕暮れ時、まだまだ暑さが残る時間帯。とある病院の個室の前に、スーツを着た若い男が1人。
コン、コン、コン。
斉藤 孝夫は左手に花束を持って、開いた右手で三回ノックする。
孝夫はそのまま個室のドアを開けると、そこには孝夫に背を向ける形でベッドに腰掛けながら夕日を見やる女性が1人。
「……なんだ、寝てないのか」
そう言いながら、孝夫はベッドに腰掛ける妻の静に声を掛ける。
静は動きずらそうに孝夫に振り向くと、ぎこちなく笑いかける。そして、静の長い黒髪から微かに見える首筋は鈍い青色の輝きを放っていた。
「どうだ、今日の調子は?」
「えエ、だイブ良いワ」
静は喉から絞り出すように答える。声は所々機械音声のような甲高い音が混じり、一昔前の玩具の様であった。
体が動かしにくいのか、ゆっくりとベッドへと戻る静の肩を支える孝夫。
「腕、見せてみろ」
静の腕は指先から肩まで青銅色に染め上げられていた。彼女を苦しめているのは『鉄人病』なる奇病。
2021年、日本で『鉄人病』なる奇病が発生した。最初は体の末端から表皮の色が変わり青銅色になる。そして病が進行するにつれて四肢、胴体、臓器などが段々と青銅へと変っていくのだ。
さらにこの病気の厄介なところは皮膚が青銅のように錆びたようになり、皮膚が激痛とともに剥げていくことだった。
「痛いところ、ないか?」
孝夫は妻の腕に錆止めを優しく塗りつける。この病気の治療法が分からない今、こうやって錆止めを塗布することで皮膚の脱落を防ぐのが1番の療法であった。
自身の腕を見つめながら、静をぽつりと声を漏らす。
「ネえ、アナた。わたシ、もウ長くないんデシょう?」
「いや、きっと治るさ。なんでも最近、アメリカの学会でもこの病気について論文が出されたって聞くし、近い将来にはきっと……」
孝夫の言葉を遮るように肩まで震わせて涙を目に溜めながら、ゆっくりと静は言葉を振り絞る。
静はベッドの脇に備え付けられたスケッチブック一式を取り出すと、そっと白紙のページを開く。
「マだ腕ガ動クうちに、あなタを書キたいノ」
腕は満足に動かせず、指先などは細かく動かしようもなかった。そのため、静は小さい子供が箸を持つように拳で鉛筆を握りしめる。
そしてゆっくりと日の落ちる病室の中、ただただ鉛筆を走らせる音のみが響いていた。
「ふぅ……」
突然、響いていた鉛筆を走らせる音が止まり、ぽつりと静が声を出す。
時刻はすっかりと夕日が落ち、いつの間にか病室内を照明が照らしていた。
「どれどれ?」
今までずっと動かずに居た孝夫は首をゴキリと鳴らしながら、静の背からスケッチブックを覗き込む。
そこには不自由な手で書いたとは思えないほど、精巧に描かれた孝夫の姿があった。
「おお、凄いじゃないか!」
静は嬉しそうに微笑むと、何かに気がついたのかパタンとスケッチブックを閉じる。
急にスケッチブックを閉じたことに孝夫は不思議そうな顔をする。
「マだ、未完成ダから」
静がスケッチブックを閉じたと同時に、病室のドアが数回ノックされる。
一拍置いて看護婦がトレーに夕食を乗せて部屋に入ってくる。
「こんばんわ。あのそろそろ今日の面会時間は終わりなんですが」
申し訳なさそうな表情を作りながら、看護婦は孝夫に告げる。
孝夫は名残惜しそうに、静の方を見ると軽く手を振る。
「また、明日も来るから」
それだけ言い残すと、孝夫は病室を出て行く。
その後ろ姿を、静も名残惜しそうに見つめるのであった。
病院を出た孝夫はタクシーを待ちながら、夜空を見上げる。
煌々と月が輝き、足下に影を作る。
「『また、明日』ね」
孝夫は誰に聞かせるのでなく、独り言をつぶやく。
明日また妻の静は朝を迎えられるのだろうか?、むしろ自分が毎日来ることで重荷になっているのではないのか?。
孝夫はそんなことを頭の中でぐちゃぐちゃ考えながら、静と自分に『また、明日』が来ることを祈るのであった。
「神話伝承の収集が趣味の俺が転生したらミミック♀でした 〜転生しても伝承探索、そして実検証〜」https://ncode.syosetu.com/n7089he/
こちら、作者の連載作品です。よろしければどうぞ。