ネットの海の灯台
私は電子の海を漂っていた。
自分が書いた小説を読んでもらう為には、ネットを利用するのが良いのではないかと考えたからだ。
前作は、小説投稿サイトに載せても閲覧数は思うように増えなかった。宣伝を全くしていないのだから当然だ。知ってもらわなければ、読んでもらえるわけがない。こんな単純な事を見落としていた。
新作では、ツイッターによる宣伝を行ってみることにした。別に賞が欲しい、本にしたいという気持ちはさほど強くない。ただ、純粋に私が書いた小説が面白いかどうか、第三者の意見が欲しかったのだ。
周囲の友人では、感想に色眼鏡が入るだろう。その点、見ず知らずの方であれば、様々な意見が頂けると期待した。あと、知り合いに目の前で私の小説を読まれるのは恥ずかしいということもある。
さて、アカウント自体は数年前に作り、塩漬けになっていたものがある。これを活用してフォローとフォロワーを増やせば良いのだろうか。
ツイッターをしたことが無い私には手探りだった。
同じ物書き相互フォローというものがあることを知った。これは私向きではないだろうかと考え、恐る恐る生まれて初めてフォローをしてみた。
フォロワー0人のアカウントにフォローがつくのだろうかと半信半疑だったが、意外にもツイッターの世界は予想よりも優しい世界だった。
炎上や煽りなどと怖い話を聞いていたが、皆、優しい方ばかりだった。私の恐れは杞憂だった。
もちろん、それは運が良かっただけに過ぎない事は理解している。
世の中には想像もつかない事が起こるのだから。
程なく創作試験問題というタグを発見した。お題に対しツイッターの文字数内で短編小説を発表するものだった。
私は飛びついた。百四十字ならば、仕事が忙しい中でもすぐに読めるし、書ける。
色々な作家さんの短編小説を読むと同じお題でも着眼点、単語の使い方、話の展開、私が考え付かない世界があった。
一気に私の世界は広がった。全てを吸収するつもりで読み込んだ。
そして、創作試験問題の主催者さんから必ずコメントを頂いた。たくさんの投稿がある中、丁寧に全ての方へと返信をされる。同じコメントは無い。使いまわしも無い。これは、大変な労力であり、何と難しい事を実行できるのかと感心した。
コメントは、その小説の良いところを褒めて下さる。絶対に貶しめたり、否定することは無い。
作者の長所を伸ばそうという気遣いが見えた。
私の中でこの人は、真面目で優しく思いやりのある人物であろうと感じた。
当時は、性別不明。逆にそれをクイズにされていた。十中八九、若い女性であろうと予測はしていたが、証拠が無い。名前にヒントがあるそうだが、それを指摘することができなかった。
陽向舞桜。
女性が好みそうな文字の集合体だ。だが、そこから女性である証明を私は出来ず、断念した。
幾人かは、正解した方がいた。そう言えば、その答えを未だに知らない。いったい答えは何だったのだろうか。少し気になるが、その後の歌やツイキャスで私の想像が正しいことは証明された。
やはり、うら若き女性だった。私のこういった勘は、よく当たるのだ。
ただ、ツイキャスが平日の昼間に移ってしまい、時間が合わなくなり参加できなくなったのが残念だ。
彼女との一番の思い出は、運命という曲をyoutubeに上げられた時の事だ。詞は無く、曲のみだった。それを何度か繰り返し聞いている内に、詞をつけたくなってしまった。
生まれて初めての感情だった。未だになぜ作詞をしようと考えた自分を理解できずにいる。
一生懸命に曲のイメージから浮かぶ単語を書き留めていく。そして、もう一度聞く。そして、書き起こす。何度も繰り返し、詞は完成した。
だが、産まれて初めての詞など恥ずかしくて公表などできない。だが、誰かには知って欲しい。二律背反に苛まれた。
何気なく、会話の最中に彼女に作詞をしてみたと告げてしまった。今考えれば、プロにこの様な事を言い出すとは恐ろしくて出来ない。当時はプロだとは知らなかったのだ。
だが、彼女は嬉しそうに詞が見たいと言ってくれた。恐る恐る詞を送ってみた。
彼女は優しい。拙い素人の作詞にもかかわらず、褒めてくれた。
お世辞であろうことは十分に承知しているが、褒められて気分が悪くなる人間は居ない。
その後、彼女がプロであることを知り、恐縮するばかりである。
私は、ますます彼女のファンになった。
彼女と出会わなければ、今の私は存在していない。
現在、連載している小説もこんなに長い期間続ける事はできなかっただろう。
広大なネットの海で、陽向舞桜という灯台に出会えた奇跡は、私の宝物である。