オーブ
ひとしきり「あれが悪魔だなんて、詐欺だ! いや、悪魔をカメラに収められた事を、誇るべきなのか!?」と頭を抱えた後、陽香は顔を上げて綾那を見やった。
「ちょっと待て。アーニャもしかしてあの時、悪魔と一緒に「転移」したのか? 直接話したって事?」
「ううん、ちょっと色々あって……ええと、何から話せば良いのかな――」
綾那は逡巡するように目を泳がせた。そもそも今、騎士が集まるこの場で、「表」から「奈落の底」へ落ちた時の話をしても良いのだろうか。いっそ、綾那と陽香にしか存在を知覚できないルシフェリアが、こっそりと説明してくれれば騎士に話を聞かれる事もなくて、助かるのだが――。
正直に全て話すべきか、誤魔化すべきか。見るからに迷っている様子の綾那に、陽香はなんでもない事のように明るく笑い飛ばした。
「別に、最初から全部話して良いって。ここに居るのはアーニャが信頼してるヤツらなんだろ? 例えどんな話でも、今更「頭がおかしい」っつって追い出される事はねえと思うけど」
「……うん」
陽香の言葉に、綾那は頷いた。そうして、自身に起きた事を一から全て話そうと口を開きかけた――その時。陽香が突然、音を立てて椅子から立ち上がる。
彼女はひどく怯えた様子で、隣で怪訝な表情を浮かべている右京を抱きすくめた。見た目十歳児に縋りつくその姿は、違和感しかない。
「――お、オーブが!!」
「オーブ? 急にどうしたの? 陽香――」
「うーたん! またオーブが出た、やばい!! 最近めっきり見なくなったから、安心してたのに……こんな朝っぱらから出るなんて、意味が分からん!!」
すっかり気が動転しているらしく、イマイチ要領を得ない陽香。彼女に纏わりつかれて迷惑そうな顔をした右京は、辺りを見回すと細く息を吐いた。
「もう、またなの? ――どこ? やっぱり僕には、何も見えないけどね」
「居るだろうが、そこによ! しかも、前に見た時より大きくなってやがる!! ヤツがこのまま大きくなっていったら、どうなっちゃうんだ? 最後にはあたし、呪い殺されるとか!?」
綾那は、陽香の視線の先を辿った。すると、いつの間に部屋の中に入って来ていたのか。窓際でふわふわと浮くオーブ――もといルシフェリアの姿を見つけて、困り顔になる。
「ねえ陽香、オーブってもしかして――」
『いやあ……なんか彼女、僕の事を見ると普通じゃあなくなっちゃうんだよね。いつもああして、会話が成り立たなくなるんだよ』
まるで肩を竦めるように上下した光の球は、「ところで、オーブって何? 僕という存在がまるで宝玉のように神々しくて、恐れおののいているって事?」と、得意げに問いかけてくる。綾那はその言葉に、ひくりと口元引きつらせた。
(陽香、絶対にルシフェリアさんの事お化けの類だと思ってる――)
陽香の口から飛び出た『オーブ』とは、恐らく玉響現象の事だろう。幽霊の魂と言われているアレだ。心霊写真としてとり上げられるモノや、ホラー映像などに映り込んだ謎の光は、大抵がオーブと称される。
四重奏の頼りになるリーダーで、しかも元ヤンキー。周囲から怖いもの知らずのイメージを抱かれやすい陽香だが、しかし彼女には、どうしても克服できないものが存在する。
それが、お化け――幽霊の類だ。魔獣や人間相手ならば「物理が効く相手なら問題ない」の一言で済ませるのに対して、幽霊だけは「物理が効かないなんてズルい、チートだろ! 無理無理のムリだ!!」と怯え逃げ惑い、どうにも太刀打ちできないらしいのだ。
そもそも綾那は幽霊をハッキリと見た事がないので、見えないモノに怯えられても対処の仕様がなく、いつも困るだけなのだが。
「ルシフェリアさん。もしかして、陽香になんの説明もできないままだった原因って――」
『うん。彼女が僕の話を一切聞こうとせずに逃げちゃうってのも、理由のひとつだね』
ルシフェリアはそのまま、「でも、本筋は別だよ?」と続けた。慣れた様子で会話する綾那と光の球体に、陽香は目を見開くとびしりと指差した。
「アッ、アーニャもそのオーブ、見えんのか!? 見えるよな!? ――やっぱ、居るよな!!」
「あの、陽香、これはオーブじゃなくてね?」
「うーたん! 助けろ!! やっぱ居るぞ!!!」
「だから、僕には何も見えないんだってば」
ぎゅうぎゅうと右京を締め上げる陽香に、彼はすげなく「苦しい、いい加減にして。あと全体的に硬くて、げんなりする」と言い放っている。ちなみに陽香の体が全体的に硬いのは、間違いなく服の下に着用した防弾チョッキのせいだ。
(うーん。一度こうなると陽香、長いんだよなあ……ホラー映画やホラーゲームも、一切ダメだったから)
ホラー全般が苦手という特性のお陰で、彼女が怯え大騒ぎしながらプレイするホラーゲームの実況動画は、視聴者に大人気だった。しかしこれでは、彼女が落ち着くまで話どころではない。
『とりあえず、僕と君だけで話をする?」
「それも良いですけど、結局、陽香が聞いてくれないと二度手間なので――」
『うーん……じゃあ、話ができるように落ち着かせて?』
「それが簡単にできれば、苦労しないんですけどね」
綾那が苦笑を浮かべてルシフェリアと話していると、陽香は右京の陰から恐る恐るといった様子で口を開いた。
「アーニャ、そのオーブと知り合いなのか……?」
「オーブじゃなくて、この方はルシフェリアさん。今はこんな姿だけど、この世界を作った神様なんだって」
『神様よりも天使がいい! 天使って呼んで!』
「……天使様なんだって」
「天使」
綾那と会話する様子からして、ルシフェリアが幽霊ではないらしいと気付いたのか。陽香は途端に右京から離れて姿勢を正すと、彼の小さな頭に腕を乗せて、不遜な表情を浮かべた。
「――ハーン! まっ、気付いてたけどね!! あたしレベルになれば!」
「陽香……その変わり身はさすがに、見ていてちょっと恥ずかしいかも知れない」
「はっ、恥ずかしいとはなんだ、恥ずかしいとは!?」
ドヤ顔をした陽香に綾那がツッコミを入れれば、彼女はグッと気まずそうに眉を顰めた。その下では右京が「頭、重いんだけど?」と苦言を漏らしている。
「良いだろ、うーたん! お前小さいから、肘置きに丁度いいんだよ!」
「まあ……成長期を終えて尚その身長のオネーサンに、何を言われたところで――ね」
「なんだお前、メチャクチャ感じ悪いぞ!?」
『まあまあ――とにかく、落ち着いたのかな?』
「オッ……お、おお、あたしは最初から落ち着いてんよ? 全く、何を言い出すんだか」
ルシフェリアの呼びかけに、陽香はびくりと体を揺らした。幽霊ではないにしろ、見るからに物理が無効そうな存在に対する怯えが勝るのだろう。彼女はそそくさと椅子に座り直すと、何度も頷いた。
大きな緑色の猫目は泳ぎまくっており、机の下で右京の手でも握っているのか、彼は表情一つ変えずに「手汗がすごくて気持ちが悪い」と呟いた。
「少し話が逸れちゃいましたけど、じゃあ――最初から全部、説明していきますね」
綾那は、己の肩掛け鞄の中からスマートフォンを取り出した。この中には、超深海の映像――そして、海を抜けて「奈落の底」へ到達した時に、空中から撮った映像が残っている。
綾那は一つ深呼吸してから、「表」からここへ至るまでの道のり全てを、包み隠さずに説明した。
◆
「時間帯によって明るさの変わる、太陽みたいなモンが浮いてるにしても――その上の空は四六時中真っ黒で、不思議だなーとは思ってたんだ。アレ全部、海だったのか」
説明を聞き終えた陽香は、「道理で、光一つ通さず真っ暗な訳だ」と、興味深そうに窓の外を眺めている。
綾那は、何から何まで話した。自分達の暮らして居た「表」の世界が、リベリアスの真上に存在する事。二つの世界は空――もとい超深海を隔てて繋がっている事。この世界に強制転移させられた経緯や、ルシフェリアとの出会い。その力を取り戻すための、眷属の数を減らすという依頼についても話した。
二つの異なる世界について聞かされた騎士は、初めこそ言葉を失い、困惑していた。しかし、綾那の撮影した映像を目にすれば、確かに海を渡って――正しくは沈んで――来たらしいと納得せざるを得なかったようだ。
「それで、私達が元居た所へ戻るためには、ルシフェリアさんの力を取り戻す事が必要不可欠らしいのですが――こちらは、魔法を使えない身ですから。いきなり「眷属を減らせ」と言われても、どんなものなのかも分からないし……簡単には頷けなくて」
『キラービーの巣を楽々持ち上げられる力があるのに、何を恐れる必要があるんだか~』
なんでもない事のようにサラリと言ってのけるルシフェリアに、綾那は目を剥いて反論した。
「で、でも私、ヴェゼルさんから切り落とした足には、全く太刀打ちが出来ませんでしたよ? あれも眷属なのでしょう?」
『あれは――眷属といっても、かなり特殊な生まれ方だったから。だって、ほぼ悪魔だよ』
「そもそもどうして「切れ」なんて言ったんですか? ルシフェリアさん、ああなる事が初めから分かっていたんでしょう」
『うーん……素敵な出会いの、スパイスになればと思って? 事実そうなったし、怪我もなかったんだから良いでしょう? 僕ってやっぱりキューピットだよね!』
愉快げな笑い声を漏らすルシフェリアに、綾那はグッと唇を噛みしめた。そうでもしなければ、ついつい「この悪魔!」と罵ってしまいそうだったからだ。
ふう、と小さく息を吐き出した綾那は、そのまま説明を続けた。
「とにかく、依頼を受けるにしろ断るにしろ、まずは家族と合流すべきだと――けれど家族は全員、遠く離れた位置へ飛ばされていて。彼女らと合流する事さえも、結局はギフトの気配を辿れるルシフェリアさん頼みだったんです」
「僕の目には見えないから、なんとも信じがたいけど……その『創造神』は、どうしてオネーサンと話ができなかったの? もっと早い段階で会話できていれば、再会するのにここまでの時間はかからなかったでしょう?」
右京の疑問はもっともである。陽香が、ルシフェリアをオーブ――もとい幽霊だと思い込んで、怯えていた事とは別の理由。綾那としても、この回答は気になる。
ちらりとルシフェリアを見やれば、「良いの? 本当に? 聞いても後悔しないの~?」と思わせぶりな事を聞いてくる。内心、面倒なノリだと思いつつも綾那が頷けば、ルシフェリアは陽香の周囲をくるくると飛び回った。
『答えは簡単。彼女が強く呪われていたせいで、僕が『祝福』しなければ生きられそうになかったから』
「はは、なるほ――おん!? のろっ……は!?」
全く予想していなかった言葉に、陽香は酷く取り乱した。綾那もまた眉根を寄せて、「どういう事ですか?」と首を傾げる。
『何に――誰になのか知らないけど、とにかく彼女は強く想われている。恨みか執着か、はたまた好意か……その辺は微妙だけどね』
「それは、どういう――?」
『あまりに強い負の感情は、よくないモノを呼び寄せる。彼女が初めに落ちた場所が、どういう所なのか知りたい? 三百年以上前に人間同士が殺し合い、今なお彼らの怨念が色濃く漂う場所――古戦場跡だよ。あそこは、アンデッドやゴースト系の魔物が多い』
ルシフェリアの言葉を聞いて、陽香はぴしりと体を硬直させた。あまりに強い力で握りしめているのか、その隣では右京が「手が折れるってば!」と叫んでいる。
『そういう魔物って、負の感情に魅かれやすいんだ。僕が気絶した彼女を見つけた時、一体どれだけの魔物に囲まれていたと思う? 追い払うために大慌てで祝福したせいで、こっちは姿を保てなくなっちゃったって訳さ。しかも、すぐに呪いが強まるからその度に祝福しなければいけなかった。どこかで誰かが眷属を減らしてくれても――僕の力が戻るそばから、彼女の祝福に使っていたんだ。だから、まともに話す暇なんてなかった。感謝してくれていいよ』
すっかり青ざめて黙り込んだ陽香に、右京は首を傾げた。綾那がルシフェリアの言葉を通訳すれば、「よく分からないけれど、オネーサンはゴースト系の魔物が心底苦手――って事だけは理解した」と頷いている。
「そ、それって、これからどうなるんだよ、あたし? リアルにいつか呪い殺されるのか?」
『どうかなあ……ここに居る以上は、呪いの元をどうにかするしかないんじゃない? 「表」に戻れば魔物は居ないから、どれだけ呪われたって平気だろうけど――誰かに強く恨まれる心当たりは?』
「あると言えばあるし、ないと言えばない……」
『ハッキリしないなあ』
何せ陽香は元ヤンキーで、当時は喧嘩もそれなりに嗜んでいた。それらが大きな問題になって教師に呼び出されるたび、綾那の『隠れギフト』で泣き落として、事なきを得ていたのだ。
四重奏として活動を始めてからは、さすがにそういった事とは無縁だったが――しかし彼女は、スターダムチューブ始まって以来の快挙、スターオブスター殿堂入り確実と謳われるグループのリーダーだ。良くも悪くも目立つ。
集めるのが憧憬の眼差し、好意的な意見だけであるとは、さすがに思えない。その上、神子だ。神子というだけで、無条件に嫌悪する人間だって存在する。
「とにかく、「表」に戻るためにはルシフェ――長いな、お前男? 女?」
『ええ! 天使に性別を聞くなんてナンセンスだよ! 両性具有と決まっているじゃないか』
「は? ああ、そうなのか? じゃあ……今からシアな」
『――シア。もしかしてそれ、あだ名ってヤツ? 神様に対して恐れ多いとか、ないんだ?』
「でも、天使なんだろ? やっぱ天使は親しみやすくなくちゃな」
陽香の理屈も「天使は両性具有」と主張するルシフェリアの説明もよく分からないが、しかし天使と呼ばれたルシフェリアは「まあね~! 僕は懐の深い天使だからぁ、あだ名くらい許すけど~!?」と、すっかり上機嫌になっている。
「結局どうあっても、あたしらはシアの手伝いをしなきゃならん訳だよな。早いとこ、アリスとナギも見つけたいし……「転移」のギフトをいくらか吸ったって言ってたけど、その力で二人を探せるのか?」
『いやあ……持っている核、全部渡して欲しいってのが本音かな。あの子ケチでさ、君からもなんとか言ってやってよ』
「核を? オイオイ、アレ一ついくらで取引されると思って――」
『ここにも守銭奴が居た!! 聞いたよ、一つ最低五万でしょ? 君らの仲間の命って、そんなに安いんだ!!』
ビュンビュンと上下に飛び回り抗議するルシフェリアに、陽香は目を眇めて「取引額だけじゃなくて、アレ納めると税金まで減額されんだよ」と独りごちた。
綾那が所持している核は、元々七つ。ルシフェリアに助けられた際の礼として渡したのが二つ。そして昨日再会した際に一つ渡したので、残りはあと四つだ。
(単純計算で、二十万……前回渡した十万円分の核も、秒で溶かされたもし――)
悩む綾那に対して、ルシフェリアが問いかける。
『そんなに核を渡したくないなら、君達が要らないと思うギフトを渡してくれてもいいけど?』
「ギフトを渡す?」
『そう。ギフトが減った所で君達が神子である事に変わりはないし、普段使わないギフトなら、あっても邪魔なだけでしょ?』
「うーん……いえ、どれも無くなると困ります。強いて言うなら、「追跡者」ですけど――」
『アレはハズレじゃないか。貰ったところで、大した力にはならないね。ワンコインぐらいの価値しかない』
「ワンコイン」
「表」でもハズレギフトの一つとして数えられていた「追跡者」。それは綾那自身よく知っているが、しかしこうもハッキリ、面と向かって言われるのは複雑である。
『僕さあ、できれば「偶像」が欲しいんだよね――どうせ要らないでしょ? あんな面倒で厄介なギフト』
「えっ、待て待て。アリスのアレがなくなると、アーニャの異性交遊がメチャクチャになるだろ!」
『でも、持っている本人は辛くない? 無い方が良いのに~と思ってそうだけどな』
ルシフェリアは「まあ、ギフトが渡せないなら、核で手を打つけどさ」と呟く。綾那は陽香と顔を見合わせると、震える手で鞄から核を取り出したのであった。




