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スケルトン

「颯月様!」


 和巳に連れられて訪れた、颯月の執務室。彼は来客用の長ソファに体を横たえ、目元を覆うように腕を載せてぐったりとしている。その様子に、綾那は息を呑んでその場に立ちすくむと、言葉を失った。


(あんな颯月さん、見た事ない。本当に苦しそう……!)


 マスクの下の瞳に、じわりと涙の膜が張った。彼は一体どういう状況に置かれているのか。本当に綾那の「解毒」で助かるのか。あのまま死んでしまうのではないか。

 綾那はまるで、足元が崩れていくような感覚に陥った。そんな綾那を置いて、和巳は颯月の下へ駆け寄る。


「――和か」

「ええ、戻りました。席を外して申し訳ありません」

「全くだ。さすがに、長く働き過ぎて……話し相手が居ねえと、今にも寝落ちしそうだっていうのに――」


 颯月の声色は酷くぼんやりとして不明瞭で、(うな)されているようだ。


「すみません、『特効薬』の存在に思い至ったもので」

「特効薬? なんだかよく分からんが、とにかく、今寝るのはまずい……確実に悪夢を見る自信がある。良いか、俺が気力を回復するまでは絶対に寝かせるなよ――綾?」


 億劫そうにゆっくりと体を起こした颯月は、ゆるゆると頭を振ってから顔を上げて――そこで初めて、部屋の入口で立ちすくむ綾那の存在に気付いた。彼の顔色は青白く、その表情はげんなりとしていて、いつもの覇気がない。しかし綾那の姿を認めた途端に、彼はパァアとその表情を明るくした。


「――特効薬……なるほど、考えたな和。でかしたぞ」

「恐縮です」

「そ、颯月さん……一体、何が――」

「綾、悪い。断じてセクハラしてるつもりはないんだが、今すぐに抱かせて欲しい」

「………………――はっ!?」


 ただでさえ何が起きているのか、綾那には理解できないのに――いきなり何を言い出すのか。綾那は颯月ではなく、事の説明と彼の制止を求めるつもりで、勢いよく和巳を見やった。

 すると、先ほどまでの必死の形相は見間違いだったのか、彼はいつも通りの柔和な笑みを浮かべて口を開いた。


「抱かれてください」

「――抱かれてくださいっ!? え? 「解毒」が必要なのでは……? あ、あれは別に、肌に直接触れていれば効果があるので、手の平を当てるだけでも十分なのですけれど……?」

「……「解毒」? ああ、まあ、確かに「解毒」が必要と言えば必要だ。ただ、手の平の柔らかさだけでは補えない、極めて深刻な状況だ」

「やわらかさ……?」

「とにかく人助けだと思って、黙って抱かせて欲しい。和、俺が妙な気を起こさんようにここで見張れ。最悪「風縛(バインド)」して構わん」


 颯月の指示を聞き、和巳は鷹揚に頷いた。そして綾那へ視線を送ると、「さあ、早く」と言わんばかりに顎をしゃくる。

 綾那は己の置かれている状況が何一つ理解できないまま、しかしソファに腰掛けたまま両手を広げて待つ颯月を見ると、「抗えない……っ、魔性の、力――っ!!」と呟きながら、その腕に吸い込まれた。


 綾那はソファに座らずに立ったままだ。颯月は綾那の腰に腕を回すと緩く引き寄せて、みぞおちあたりに顔を埋める。そして、「はああぁ……」と、心の底から安堵するようなため息を吐き出した。


「――骨じゃない」

「骨……?」

「綾、やっぱりアンタ、間違いなく俺の特効薬だ。お陰でスケルトンに襲われる悪夢を見ずに済む――」

「………………あの、和巳さん。颯月さんは一体、何を仰っているのですか?」


 颯月に抱きつかれたまま顔だけで後ろを振り向いた綾那は、いつのまにか颯月と反対側のソファに腰掛けて、優雅に茶をすすっている和巳に問いかけた。彼はことりとカップをテーブルに置くと、神妙な面持ちで頷いた。


「実は、夜通し街の外を巡回していた帰りに、街中で女性に囲まれてしまいまして」

「はあ」


 綾那が初めて颯月と出会った時、彼はたった一人で街の外を巡回していた。だからてっきり、寝る間も惜しんで社畜を窮めているのは彼だけだと思っていたのだが――どうやら、時にはお供を付ける事もあって、しかもそのお供まで社畜らしい。


 颯月と和巳は、動画を視聴した女性の間で人気ナンバーワンの座を争っている。そんな二人が街中で肩を並べて歩いていたら、それは囲まれて当然だろう。


「綾那さんもご存じの通り、颯月様は、その……アイドクレースの女性があまり得意ではありません。くわえて、夜通し労働した後で仮眠を取るタイミングと重なったため――精神的に追い込まれて、本部へ戻って来た途端に倒れてしまわれたという訳です」

「そ、颯月さん、そこまで痩せた女性が苦手なんですか!? 倒れるほどに……!?」


 驚愕の声を上げた綾那の下で、颯月は顔を埋めたまま小さく頷いた。絶句した綾那を他所に、和巳は続ける。


「どちらにせよ仮眠を取るタイミングだったので、倒れたのは構わないのですが……しかし、颯月様が「このまま寝るとスケルトンに襲われる夢を見るから、絶対に寝たくない」と駄々をこねるものですから」

「――その『スケルトン』というのは、もしかしなくても骸骨の魔物でしょうか」

「ええ」

「いや、待ってください。痩せた女性が魔物に見えているって事ですか!? まずくないですか、ソレ!?」


 綾那は頭を抱えた。「苦手」と言ったって、限度があるだろうと思っていたのだ。なんなら、今後集まってくる女性の相手をしている内に、苦手意識さえ薄れるのではないか――なんて、呑気に考えていた。


 しかし実際、こうして倒れた颯月を目の当たりにすれば、思うのは「正妃様、教育熱心も程々にしてください」である。正妃の実子である王太子と颯月は仲が良いらしいが、もしかして王太子も同じように痩せた女性が苦手なのだろうか。だとすれば綾那は切実に、「正妃様、どうかもっとお手柔らかに」と伝えたい。余計なお世話なのだろうが。


「それで、「気力が回復するまで話し相手になって、俺を寝かせるな」と命じられて……ふと、我が団にはスケルトンとは全く違う女性が居たなと思い至った次第です」


 にっこりと笑う和巳に、綾那は「よくよく考えると、失礼な事を言われていないか」と目を眇める。アイドクレースに居るとどうしても、綾那は肉感があると捉えられてしまう。今まさに綾那の腹に顔を埋めている颯月だって、「骨じゃない」と言って安心しきっているのだから。

 何度も言うが、綾那だって決して太ってはいない。ただアイドクレースに住む女性が細すぎるというだけだ。


 とは言え、ここまで頻繁に自尊心を傷つけられると、綾那自身「本当はめちゃくちゃ太っているのでは……?」と不安になってくる。

 なるほど道理で、アイドクレースに移住してきた他領の女性まで、日が経つと共に痩せていく訳である。集団心理とでも言うのか――これは最早、洗脳や脅迫観念に近い。


「や、やっぱり、もう少し強度を上げて体を絞るべきでは……?」


 運動量が少ない割に騎士と同量の食事メニューをとっている綾那は、とり過ぎたカロリーをなんとか消費しようと、毎晩寝る前に倒れるギリギリまで「怪力(ストレングス)」のレベル5を発動させるという、ややチートなダイエット法を続けている。


 お陰で体形を崩さずに済んでいる訳だが――しかし四重奏のキャラ的にも、師と陽香の「太りすぎるな、痩せすぎるな、現状維持」という教え的にも、やり過ぎは禁物なのだ。

 うーんと小さく呟いた綾那の言葉に、颯月がパッと顔を上げた。その顔色は今までと打って変わって、随分と明るくなっている。


「頼むから、綾はそのままで居てくれ。俺の心が死ぬ」

「死――いえ、でもやはり、郷に入っては郷に従えと言いますから。ここに居る間くらいは、痩せた方が良いのかも……」

「ダメだ、やめろ。ただでさえアンタ、腰回りが三センチも細くなっているんだぞ――あ」

「……三センチ」


 口が滑ったと言わんばかりに、ばつが悪そうな顔をする颯月。綾那自身も知らない、あまりに詳細な数値を彼が把握している理由と言えば、一つしかない。


「颯月さん、また勝手に私の事を「分析(アナライズ)」しましたね……?」

「違う、誓って下心じゃない。いつも健康管理のつもりでやっているから、何も心配しなくていい」

「いいい、いつもやっていらっしゃる!?」

「俺は綾が心配なだけだ。だから、アンタの全てを把握しておかないと」

「そ、そんなDV彼氏みたいな事を言わないでくれますか!? ――和巳参謀、颯月騎士団長が無茶苦茶なんですが! セクハラです、プライバシーの侵害です、やめさせてください!」

「婚約者同士、仲が睦まじくて大変よい事です」

「そんな話は今、していませんけどね……!」


 柔和な笑顔でのほほんと茶をすする美貌の騎士に、綾那はグッと下唇を噛みしめた。幸成辺りが居れば話は違ったのだろうが、今この場に綾那の味方もまともなツッコミ役も居ない。

 四重奏だけに飽き足らず、アイドクレース騎士団にも深刻なツッコミ不足問題があるのか。暴走しがちな颯月のブレーキ役――とは名ばかりの竜禅は、彼のやる事、成す事全肯定派。和巳も出会い初めこそ警戒心が強いものの、しかし一度懐に入れてしまえば割と豪胆な性格である。


(これは、幸成くんの苦労が忍ばれるよ……旭さんも真面目だけど彼はまだ入団したてだから、この人達にツッコむなんて荷が重いだろうし――)


 幸成は一番軽薄そうに見えて、その実、誰よりも厳格で常識人だ。だからこそ綾那も、彼に認められるまで約ひと月もの時間を要したのである。

 こうして騎士達が好き勝手に話すようになったという事は、恐らくそれだけ、綾那の存在を仲間として認めてくれたという事に他ならない。それは嬉しいのだが、しかしここまで一方的に振り回されると、さすがに辛いものがある。


 綾那は深いため息を吐き出して、「仮眠をとるなら、私もう帰っていいですか?」と投げやりに問いかけた。


 颯月は再びごろんとソファに横たわると、いつもハーフアップに()っている白い紐をほどいて、抜き取った。そして結んだ跡のついた髪の毛をくしゃくしゃと、手で乱雑に撫でつけている。

 綾那は彼が髪を下ろしたところを初めて目の当たりにして、「ああ、やっぱり素敵」と、感嘆の息を漏らした。颯月は頭だけ起こすと、綾那に悪戯っぽい表情を向ける。


「帰るなと言えば、添い寝のサービスは受けられるのか?」

「そ……、や、――な、……うぅ、受けられません!」

「かなり揺れましたね」


 即答できなかった綾那に、和巳が粛々とツッコミを入れた。「ツッコミできるじゃないですか!」と吠えた綾那は、退室の挨拶を口にしながら、逃げるように執務室から出て行ったのであった。

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