悩みの種
街の大衆食堂で宣伝動画の公開を始めてから、三日。綾那は毎日竜禅と食堂へ足を運んでは、視聴者の反応を調べた。訪れる事のできない時間帯の様子については、店の者から話を聞いた。
騎士という、どこか堅さを感じる職業。「表」でいうところの警察官の役割も担っている。
過去に騎士とひと悶着あったような少々気性の荒い者から見れば、あの映像は「油断するな、あれは一般人ウケ狙いの演技、演出をしてすり寄っているだけだ」「魔物の肉なんて、わざわざ騎士にならずとも、傭兵になりゃ食える」と――。
騎士と同等か、それ以上に生真面目な者からは、「騎士なんだから遊んでいないで、粛々と職務を全うしろ」と言われる事もある。何事も万人に無条件で受け入れられるはずもなく、否定的な意見が出るのは覚悟の上だった。しかし今のところは、綾那が予想していたほど過熱したアンチは現れていないらしい。
更に言えば、綾那が期待していた「意外と楽しそうだな」「俺にもできるかも」「一回訓練の様子を見学しに行ってみるか」なんて言葉が、酒の席で冗談交じりに飛び交うらしい。
同じ席に座る女性が口を揃えて「あなたが騎士になってくれたら、私達も『広報』に口利きしてもらえるかも? お願い、騎士になって!」「あなた元々、騎士に向いてると思っていたのよ!」なんて囃し立てるものだから、男性陣は満更でもない様子との事だ。
人員補填を目的に広報に雇われた綾那としても、「力を持て余している人は、お願いだから騎士になって」である。そうでなければ、綾那が雇われた意味がないのだから。
食堂内で動画の続編を望む声はチラホラ聞こえてくるものの、まだ第一弾が盛況なので、もうしばらくはあれ一本を繰り返し楽しんでもらいたい。
そもそも演者の騎士らが多忙過ぎて、新たな撮影に手が回らないのだ。また近い内に撮影しようという話は上がっているものの、なかなか実行に移せずにいる。
綾那にできるのは、次の撮影がいつ始まっても良いように、企画だけは練っておこうと頭を悩ませる事くらいだろう。騎士らは若手の訓練と書類の整理に忙しく、綾那も視聴者の反応をリサーチする時以外は、ずっと自室に篭りきりだった。
見た目が派手過ぎるため「水鏡」なしで単独行動はできないし、気分転換に宿舎内を歩こうにも――仕事に関わる間は忘れがちになるが、そもそも綾那は人見知りなのだ。見知った者が傍に居ない状態で一人歩きするのは、あまり気が進まない。
「今日も、凄い人」
綾那は自室の窓辺に立つと、遠くの方に見える騎士団の訓練場を眺めて、ぽつりと呟いた。訓練場では、漆黒の騎士服を身に纏う騎士達が、熱心に剣の指南を受けている。
騎士団本部を含むこの敷地内は、王都を囲む外壁と同じようなものでぐるりと囲まれている。だから正門にしろ裏門にしろ、門から壁の中に入らねば中の様子を窺い知る事はできない造りになっているのだが――しかし、訓練場だけは違う。
恐らく、「気軽に見学できた方が、働いてみようと思う人間が増えるかも」という期待を込めての事なのだろう。訓練場だけは、道路に面した壁の一部が鉄格子に変えられている。つまり街の人間は、見ようと思えば格子越しに騎士が訓練する様子を見学できるのだ。
今までは、「騎士は死ぬほど婚期を逃す」という意味をあまり理解していない小さな子供達が、目をキラキラと輝かせて訓練の様子を見に来るくらいだったらしい。しかしここ数日は、明らかに食堂の動画が原因としか思えない、若い女性が道に溢れている。
あの動画の演者であり、普段から訓練場に居る騎士といえば、軍師であり訓練の責任者たる幸成。そしてアイドクレース騎士団に入って日の浅い、旭だ。道に立つ女性陣は、もっぱらがフリーの旭目当て。間近で見る生の演者に、彼女らはキャーキャーと黄色い声援を上げている。
そんな旭目当てで足を運んだらしい女性達も、いざ近くで幸成を見るとやはり「顔が良い」と気付くのか――彼に桃華という愛する女性が居る事を知りながらも、熱い眼差しを送る者が後を絶たない。
綾那が「まずは女性向けのものを! 動画を見た女性をメロメロにしていけば、その内男性もついてくる!」と考えて作った動画なのだから、これは大成功だ。大成功なのだが、しかし、こうも毎日騒ぐ女性が集まるところを眺めていると、段々と「もしかして、とんでもない間違いをやらかしたのではないか?」と不安になってくる。
「あれ絶対、訓練の邪魔になっているよね……? ていうか、桃ちゃんにも申し訳なくなってきたような――」
綾那は一人、大きなため息を吐いた。
幸成が二十歳を迎える来年に、ようやく結婚できるのだと話してくれた桃華の笑顔。もしかして、彼女の笑顔を曇らせるような事態を引き起こしてしまっているのではないか。
絨毯屋の大倉庫を焼け野原に変えるほど、桃華を深く愛する幸成の事だ。彼が他の女性に目移りするような心配はしていないが――しかし、いくら目移りしないからと言って、好きな男性が多くの女性に囲まれている様を見るのは桃華も辛いだろう。
効果覿面なのは喜ばしい事だ。しかし何事も、行き過ぎは良くない。
綾那は彼女らの様子を間近で見た訳ではないので、全て人伝の話になるが――どうやら騎士はあのたった一本の動画で、「表」でいうアイドルにジョブチェンジされてしまったようだ。
今まで「堅い」「危ない」「結婚できない」上に「団長が悪魔憑きでヤバイ」などと、騎士の内情をよく知ろうともせずに「皆がそう言っているから間違いない」と遠巻きにしていた街の人間達。
それがたった一本の動画をきっかけに意識を変えてくれるとは、綾那としてもスタチューバー冥利に尽きるというものだが――。
訓練場に見学しに来ている女性達は、演者を眺める事だけに飽き足らず、まるで新人発掘オーディションでもしているかの様相である。「あの若手は顔が良いから、大成するに違いない」「若手の内にツバをつけておいて、街に配属されたところを狙う」など、動画公開からたった三日で、早くも若手に目を付け始めているらしいのだ。
よく見れば、『広報』本来の目的である男性の見学者も存在するのだが――格子前を熱量の高い女性陣が占拠していては、見学どころではないだろう。そんな女性の姿を見て、逆に「これだけモテるなら、やっぱり騎士になるのも悪くないぞ!」と思ってくれるならまだ良い。しかし、女性の様子に引く者が出てくると困るのだ。
「うーん……いや、こうなるように仕向けたのは私だけど――私なんだけど、そっか……結構、この世界の女性って行動力あるんだな……次、どうしよう」
結果はどうであれ、騎士に対するイメージが「意外と親しみやすい」に軟化したのだ。
動画の方針もしばらくこれで行きたいと思っているところ、いきなり「でも命の危険はあるし、この通りすっごい怪我もするよ! 良い事ばかりじゃないから、甘く見ないでね!」なんて水を差す動画は作りたくない。
そういう現実的な動画は、もう少しクッションを挟んでから作らねば。折角「騎士になってもいいかも?」と思い始めてくれた男性が、全員「何を夢見ていたんだか」と目を覚ましてしまう。
「でもやっぱり、私一人じゃあ企画力に限界があるか……そもそも四重奏の企画って、ほとんど陽香がしていたもんなあ――」
今まであまり深く考える事なく、ただ彼女の発案する企画を享受していたが――綾那は「再会した暁には、陽香をもっと労おう」と心に決めた。そして再び訓練場に目を向けると、やはりあの様子はよくないなと頭を悩ませる。
――と、そんなある日の昼下がりに、事件は起こった。
「綾那さん、いらっしゃいますか!?」
「か、和巳さん?」
いつも物腰柔らかく、温和な彼にしては珍しい。焦った声色でダンダンと扉をノックする和巳に、綾那は慌てて扉を開けた。
「どうされました?」
廊下に立つ和巳の顔色は大層悪く、焦燥しているのがよく分かる。
――もしや、あの訓練場に集まる女性陣がついに問題になったのだろうか。問題を作った原因である綾那は、すっぱりとクビを切られるのだろうか。
ビクビクと怯えた様子で沙汰を待つ綾那。和巳は綾那の両肩をがっしりと掴むと、こちらが予想していなかった台詞を口にする。
「颯月様が倒れました」
「――え」
「とにかく執務室へ来てください、あなたの力が必要なんです」
「私の? わ、分かりました! 急ぎましょう!」
和巳の言葉に、綾那は血相を変えて部屋から飛び出した。綾那の『力』が必要で、颯月が倒れたという事は――ほぼ間違いなく、彼は「解毒」が必要な状況に置かれているのだろう。誰かに毒でも盛られたのか、それとも外回りをしている間に、魔物から毒を受けたのかは分からない。
分からないが、他でもない颯月の身に危険が降りかかっている事は確かだ。綾那にできる事があるならば、なんだってする。
綾那は和巳と共に宿舎の廊下を走り、颯月の待つ執務室へ向かった。




