カメラテスト
「本日は、どちらへ向かわれるのでしょうか?」
「街周辺に生息する、アルミラージを討伐しに行くところだ」
颯月はカメラではなく前を向いて歩きながら、流れるように答えた。彼の様子に、綾那は心中で「なんて自然な受け答えなんだろう」と感心する。棒読みでもないし、カメラを意識して変に気取った様子も、緊張した様子も見られない。
正に普段通りとでもいうのか。綾那と話す時と何一つ変わらない、いつもの颯月がカメラに映っている。
「アルミラージ――兎型の魔物だとお聞きしました。お恥ずかしながら、私は普段街から出ないので……どういった生物なのか、見当もつきません」
「ああ、兎の魔物で間違いない。個体にもよるが、体長はおよそ五十センチ。頭の角を含めれば八十センチ程度だな。毛皮は黒、角の色は金――毛皮はコートやマフラー、角は装飾品に使われる事が多い。年中温暖なアイドクレースでは需要のない戦利品だが、北のルベライト辺りに輸出すると考えれば、良い資金源になる」
「なるほど、意外と大きな兎さん。大人しければ、ペットとして飼いたいぐらいです……きっと毛皮もふかふかなんでしょうね」
綾那は不意に、素の感想を呟いた。角の生えた大きな黒兎など、可愛いに決まっている。和巳からは気性が荒いと聞かされたが、しかし「表」の魔獣ほど凶暴で理性を失っている訳ではないはずだ。
まだ見ぬアルミラージの姿を想い描いていると、フッと颯月が小さく笑みを漏らした。
「草食とはいえ、好戦的で人にも平気で襲い掛かって来る――良いか? くれぐれもバカな事は考えんように。人前で流せん衝撃映像でも撮るつもりか?」
カメラ――いや、それを持つ綾那を見たのだろう。颯月がこちらに向かって、悪戯っぽく笑いかけた。色気がありつつもあどけなく破顔した表情は、しっかりとカメラに収められた――収められてしまった。
(うわぁ、コレ……街の人に見せるの? 本当に――?)
綾那はつい、マスクの下で目を眇めた。街の人間は颯月を遠目に眺めてばかりだから、彼がこんな風に笑う事も知らないはずだ。しかしこの動画を見れば、嫌でも分かるだろう。彼の笑顔が、どれだけ美しく――そして、可愛らしいか。
こんな顔もするのだと知るだけでも、颯月に対する偏見が薄まるかも知れない。彼の熱狂的なファンは、瞬く間に増えるのではないだろうか。
いずれ颯月を慕う女性は確実に増える。そうなれば、あっという間に綾那の特別感は消えてしまうのではないだろうか? 今は良い。彼が悪魔憑きだからと遠巻きにする女性ばかりで、相対的に綾那は特別視されているのだ。ただでさえ颯月は、アイドクレース領民に蔓延る痩せ型の女性が苦手だ。だから、たまたま綾那のタイプがその真逆だったというだけ。
しかし今後、颯月のタイプが領民に知られたら。痩せ型じゃない女性も増えて、そんな女性達がこぞって颯月に言い寄るようになったら。「契約」なんて簡単に解除されて、婚約指輪も回収されて、綾那などお役御免になるのだろうか――。
(だ、ダメよ、しっかりして! 颯月さんがインディーズからメジャーに行っても、応援するって決めたじゃない! 余計な事は考えない、私は純粋なファンだよ! そもそも、付き合ってもいないのに何を不安がっているんだか、全く烏滸がましい!!)
綾那は雑念を打ち消すように、一度きつく目を閉じた。数秒経ってから目を開くと、既に颯月はカメラの方を向いていなかった。
思わず「ああ、これ以上カメラに顔を収めずに済んだ」と安堵して、しかしすぐに「いや、街の人にもっと色んな颯月さんを知ってもらわなければいけないんだ」と思い直す。
(まさか、こんな所で躓くなんて。それもこれも全部、サービス精神旺盛な颯月さんが悪い)
――適切な距離感を保つのだ。どれだけ彼に優しくされても、勘違いしてはいけない。
綾那が颯月『ガチ恋勢』になってどうするのか、曲がりなりにもプロのスタチューバーだというのに。綾那は唇を引き結ぶと、心の中で気合いを入れ直した。そしてカメラに意識を戻すと、視界の端――いつの間にか後ろ側の幕を開け放ったらしい馬車の荷台から、幸成と旭が感心したような表情でこちらを眺めている事に気付く。
「颯って、実は綾ちゃんみたいな仕事してた事ある? ちょっと手慣れ過ぎなんじゃねえの、なんか怖いんだけど」
「ええ、出来過ぎ感がありますね――」
幸成と旭の言葉を受けて、颯月は笑みを深めると「ああ、実はそうなんだ」と嘯いた。
実際問題、十歳で騎士団に入団して十四歳の頃には騎士団長、そして現在進行形で社畜を窮める彼に、副業をやる暇などない事は全員承知の上である。
しかし綾那でも、颯月の話し方について「なんて自然な受け答え」と感心したのだ。撮影される事について抵抗感しかない幸成達から見れば、さぞかし異様に映った事だろう。
「冗談はさておき――恐らくカメラ持ちが良いからだ。カメラじゃなくその先の綾しか見てないってだけだ、緊張も何もする必要はない」
「でも、間にカメラ挟まれてんじゃん」
「邪魔なモンは視界から消せ。まあ、今のは撮影テストみたいなもんだろ? 実際は、離れた所から記録映像を撮るって話だったよな」
「え? あぁー……いえ、うーん。こちらの編集機能が、どういった感じのものかにもよりますが――切り貼りして使いたいですね。とてもよく撮れていたので、是非」
颯月は「そうなのか? まあ、綾に任せる」と頷いた。綾那からすれば複雑だが、やはりあの笑顔は皆に見てもらいたい。更に言えば、どさくさに紛れて今もカメラを回しており、馬車に揺られる幸成と旭の姿はバッチリ映っている。話の内容はともかくとして、この映像も編集次第では使えるはずだ。
幸い桃華が座っているのは奥の方なので、彼女が映り込む事はない。例え映ったところで、編集で修正すれば済む話だが――騎士の広報動画に彼女を出すのは反対だと言われているため、約束は守らねばならない。
和巳と竜禅が映っていないのは残念だが、あまり中を覗き込めばカメラを回している事を幸成達に気取られてしまう。まあ、竜禅には解説を頼んであるし、和巳については後からたっぷり映ってもらえば良いだろう。
「――禅、この辺りで良いんじゃねえか」
颯月が声を掛ければ、御者席の竜禅が手綱を引いて馬の動きを止めた。
青々と伸びた草原が一面に広がり、色とりどりの花も自生している。桃華の言った通り、ピクニックにお誂え向きのロケーションである。難点があるとすれば、草の高さがあって足元が不明瞭な事と――日陰一つないせいで、夏の日差しがきつい事か。
「綾、見えるか? アルミラージの角が日を反射して光っているだろう」
「えっ! 居るんですか!?」
颯月が指差す方にカメラを向ければ、確かに草むらの陰でキラリと光るものが見える。なるほど、草の高さがあるため体は隠れているが、頭から生えた角だけ飛び出しているのだ。金色の角は一定の間隔で出たり潜ったりを繰り返している。恐らく食事中なのだろう。
(もっと近くで見たい!)
すぐそこに目的の兎が居るというのに、姿が見えないのでは据え膳にも程がある。
綾那自身が見えていないというだけでなく、カメラにも収められていない。視聴者の事を考えると、もどかしい。
「念のため言っておくけど、女性の戦闘行為は禁止だからね。近付くのはナシだよ、綾ちゃん」
いつの間にか馬車を降りたらしい幸成にぽんと肩を叩かれて、綾那は「はぁい」と残念極まりない声色で返事をした。
「綾那殿、桃華嬢。私と共に見学しようか」
「はい、竜禅様!」
綾那が「解説よろしくお願いしますね」と声を掛ければ、竜禅は鷹揚に頷いた。
――思えば、颯月が戦うところなど初日以来目にしていない。アルミラージの姿、そして肉の味も楽しみだが、それと同じくらい騎士達の戦う姿が楽しみだ。
綾那はカメラを抱え直すと、期待に高鳴る胸を落ち着けようと大きく深呼吸した。




