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街の外へ

「――ああ、綾那お姉さま! ご機嫌麗しゅう!」

「桃ちゃん、こんにちは」


 勢いよく飛びついて来た桃華を抱きとめると、綾那はマスクの下で目元を緩ませた。


 今日はいよいよ、アルミラージ退治――もとい、広報動画の撮影日である。メンバーは当初の予定通り、颯月、竜禅、幸成、和巳、旭、そして撮影担当の綾那。更に、幸成のモチベーションが下がらぬようにと、桃華が呼ばれた。

 彼女の両親が経営する店『メゾン・ド・クレース』まで馬車で迎えに行けば、大はしゃぎの桃華が綾那に飛びついて来たという訳だ。


 桃華は、誘拐騒ぎ以降別館を出て、実家で生活している。そのせいで、綾那とは顔を合わせる回数が極端に減ってしまった。時たま颯月の許しを得て街へ降りた時には、カフェでお茶する事もあったのだが――その時も桃華は毎回、こうして体全体で喜びを表現してくれる。


「今日は街の外に行かれるんですよね? 私、外にはあまり出た事がないので、とっても楽しみです! まるでピクニックみたい」

「桃華、遊びに行くんじゃないんだから、はしゃいで怪我すんなよ? 綾ちゃんも仕事なんだから、ベタベタ引っ付いて迷惑かけない事」

「まあ、失礼ね! 私がお姉さまに迷惑かけるなんて、あり得ないでしょう!」


 むくれ顔の桃華に、幸成は気の無い返事をした後に「さっさと乗りなよ」と乗車を促した。

 桃華は綾那に抱きついたまま、共に馬車へ乗り込む。そうして中で待機していた旭と目が合うと、「あ」と小さく声を漏らした。彼女が旭と顔を合わせるのは、実は事件以来初めてらしい。旭は気まずげな表情を浮かべると、ぺこりと頭を下げた。


 綾那としては――これだけ旭の容貌が変わったのに――桃華はよく彼に気付けたな、と言ったところである。


「こ、こんにちは。アイドクレースの騎士になられたんですよね」

「はい。その節は、誠に申し訳ありませんでした。将来王族に連なる方を誘拐したなど、本来であれば、自分も幸成様に罰せられて然るべきなのですが――団長と幸成様の慈悲により、生きながらえました」

「いいえ、そんな! あの時、本物の暴漢から助けてくださいましたし……それに、幸成から聞きました、ご病気の妹さんが居たと」

「だからと言って、それが免罪符になる訳ではありません。あなたを誘拐した罪が消える事もありません」


 旭は眉根を寄せて、悔いるような表情になった。まるでお通夜状態の彼に、桃華はなんと言って良いものか戸惑っている。そうして馬車の中に流れる微妙な空気を打ち消すため、綾那はパン! と一つ拍手を打った。


「ほら旭さん? 桃ちゃんは気にしてないって言っていますし、そんな沈痛な面持ちでは困りますよ。演出したいのは明るく楽しい騎士団なんですからね」

「明るく楽しい騎士団――そ、そうですよね。しかし、本当に自分にできるのでしょうか」

「できますよ。ほんの少し口角を上げるだけでオーケーです、期待していますから」

「……ぜ、善処します」


 うーむと真剣に考え込む旭を見て、桃華は安堵するようにほっと息をついた。


「アルミラージって、どの辺りに生息しているのですか?」

「本当に街を出てすぐですよ。夜は巣に籠りますが、昼間は食事のために活発に行動するので……彼らは草食の魔物ですが、気性が荒く人にも襲い掛かります。あまり近付き過ぎないよう注意してくださいね」


 綾那の問いかけに、和巳が答えた。綾那は、初めて見るアルミラージという兎の魔物に興味津々である。早く撮影がしたいと、(はや)る気持ちで積み荷のカメラをひと撫でした。


「ねえ、本当に俺も映らなきゃダメかな。意外とさ、颯や和巳だけでも十分だと思わない?」


 未だに演者となる覚悟が決まらないらしい幸成が、往生際悪くも提案してくる。綾那はやんわりと首を横に振った。


「確かに、颯月さんと和巳さんの美しさと言ったら、並の女性では太刀打ちできない代物ですが――人には向き不向き、キャラクターに合った役割担当というものがあります。美しさも大事ですが、ただ見目麗しいだけでは、イマイチ盛り上がりに欠けるんです」

「担当? 盛り上がり、ねえ――」

「例えば、私の仲間でいうと……明るく元気な進行役とか、女性的でお洒落担当の子とか、知的で落ち着いた説明係――とか? それぞれに役割が与えられていました」

「ふぅん、そういうモノなんだ。ちなみに、綾ちゃんの役割は何だったの?」

「――え?」


 綾那の脳内に、陽香の声で「アーニャはお色気担当大臣な!」という言葉が再生された。


(さすがにコレは――私の口から言うものじゃあない気がする)


 綾那は「えっと」と口ごもった後、ややあってからにこりと笑った。


「私は、皆を見守る役……そう、保護者、みたいな?」

「保護者――ああ、なんか()()ね。やけに間が空いたのがちょっと気になるけど」


 うふふと誤魔化すように笑った綾那は、そのままの勢いで幸成の説得にかかる。


「だから、動画の役割担当的にも幸成くんは必要です。それに、本当にいつも通りで良いんですよ。明るくて、人懐っこい笑顔が素敵――ね、桃ちゃん?」

「え? ええ、そう思います」

「ほら、桃ちゃんもこう言ってる」

「…………あーあ、綾ちゃんまで桃華をダシに使うようになっちゃって、まあ――」


 幸成は眉根を寄せると、「全く、やってられないよ」と不貞腐れたように顔を逸らした。

 颯月と和巳の容姿が整っていると言うが、しかし幸成だって、十分に整った顔立ちている。肩にギリギリつく長さの黒髪は癖一つなく、金色の目が眇められても、ぶすっと不貞腐れた表情をしていても、それでも街行くお嬢さん方を振り向かせられる、魅力のある顔立ちだ。


 幸成に向かって、桃華が「今日はお姉さまの仕事のお手伝いなんでしょう? ちゃんと頑張りなさいよ」と声を掛けている。彼が生返事するのを横目に見ながら、綾那は苦笑した。


(うーん、嫌がる人を無理矢理撮るっていうのは、どうにも気が引けるけど――実際、どうなるかなあ。私が初めて撮影した時ってどんなだったっけ? でもあの頃は、ただ皆で楽器の演奏するところを撮影しただけだったから……そう考えると私も、初めはカメラが得意って訳じゃなかったか)


 四重奏が動画投稿を始めたのは、今から七、八年前だ。あの頃はグループ名通りに、四人で楽器の演奏をする姿を撮影していて――当初、カメラに向かって喋るのは陽香とアリスの二人で、綾那と渚は本当にただ演奏するだけだった。

 初めはやはり、カメラに向かって一方的に喋るというのは抵抗があったのだ。回数をこなし、徐々に撮影に慣れていった事で、楽器の演奏以外も恥らいなくできるようになった。


 それを考えれば、幸成や旭の反応は至極当然のものだ。どちらかというと、なんの抵抗もなくすんなりと受け入れた、颯月達の方が珍しいのかも知れない。


「颯月さんや和巳さんは、撮影される事に抵抗はないんですか? この国にはそもそも、撮影した映像を不特定多数へ見せる文化がないと言っていましたけど」

「うん? まあ生憎と、好奇の目に晒されるのには慣れているからな」

「私も似たようなものです。よく知りもしない相手からの視線など、いちいち気にかけていられませんからね」

「つ、強いですね……!」


 物心つく前から悪魔憑きだった颯月はともかくとして、和巳は今までの人生で一体何があったのだろうか。いや、あれだけ中性的な美貌の持ち主で、しかも彼は男所帯の騎士団勤務だ。女性に間違えられるのが嫌で騎士になったと言うくらいだから、それはもう男女問わずに好かれて、さぞかし大変な人生を送って来たに違いない。


 ごくりと生唾を飲み込んだ綾那に、和巳が笑いかける。


「とは言っても、やはり経験の無い事ですから。幸成や旭に限らず、私達もそう上手くはいかないと思いますよ」

「そうでしょうか……でも、そうですね。初めての事ですものね」


 綾那が納得して頷くと、不意に馬車が動きを止めた。まだ街から出てすらいないが、何か問題でも起きたのだろうか。そうして目を瞬かせていると、和巳が「通行証の確認ですよ」と微笑んだ。


(そっか。入る時に必要なんだから、街を出る時にも必要だよね)


 初めてアイドクレースを訪れた時、綾那は通行証をもたずに苦労したものだ。まあ、苦労したのは綾那ではなく、颯月なのだが――。

 実はこの通行証、綾那も既に手に入れている。と言っても、手に入れたのはつい先日の事だ。和巳が書類を揃えて――偽造したともいう――新たに発行してくれた。


 荷台にかかる幕を上げて、積み荷と同乗者の確認が終わるまで待つ。一か月以上ぶりに通る関所を眺めながら、綾那はふと、初日に交わされた颯月と門番とのやりとりを思い出した。

 初めは、いくら騎士団長の口添えがあっても、通行証を持たない人間を街へ入れる訳にはいかない――と難色を示していた門番。しかし、颯月が「森で眷属に襲われているところを助けた」と口にした途端、彼らは手の平を返したのだ。


「颯月さん、以前門番さんとお話していた時って、どうしてすんなり通らせてもらえたんですか?」

「うん? あの時の門番は、綾の事を眷属に呪われたばかりの悪魔憑きと勘違いしたんだ」

「え、そうだったんですか?」

「餅は餅屋というだろう? 悪魔憑きの後見人をさせるなら、俺以上の適任は居ない」

「だから門番さん、私が平穏に暮らせるようお力添えを――って?」

「ああ」


 言いながら頷く颯月に、綾那は素直に感心した。己が悪魔憑きである事を逆手にとって、「身寄りのない訳アリの悪魔憑きを保護したから、通行証の慣例を無視してでも通さなければならない」とミスリードさせたのか。ただでさえ立場の弱い存在なのだから、人道的にも保護対象なのだろう。

 しかも他でもない颯月が相手では、門番も悪魔憑きを蔑ろにするような言動をできるはずもない。よくあの短時間でそんな手法を思いついたものだ。


(やっぱり颯月さんって、渚と似たタイプだ。味方に居ればこの上なく心強いけど、敵に回すと――ってヤツかも知れない)


 口が達者な人間というのは、根本的に賢く、そして頭の回転も速い気がする。必要とあれば平気で嘘も交えるので、基本的に人を疑わない綾那には、到底太刀打ちできないタイプの相手だ。

 既に何度か颯月に騙されている綾那は、今更ながらできるだけ彼には逆らわず、波風を立てずにいようと心に決める。――と、話している内に通行証の確認が終わったらしく、再び馬車が動き出した。


 重厚な門扉が開く音が聞こえて、荷台に掛け直された幕をそっと手で押し上げる。そうして外を見ると、綾那は「わあ」と感嘆の声を上げた。

 何せ、初日は真夜中だった。しかも突然「奈落の底」へ落とされるわ、天使と悪魔に遭遇したかと思えば、地球外生命体に追われるわ――しまいには宇宙一格好いい男と出会うわで、外の様子などゆっくり見ている暇がなかったのだ。


 本日は雨も降らず、空に浮かぶ魔法の光源は燦々(さんさん)と輝いている。その光を受けて輝くのは、青々と茂った草原の葉。街から見て東の方角には、綾那が初めてこの地に降り立った森が見える。

「表」では――特に綾那が暮らしていた東京では、なかなか見る事ができないのどかな風景だ。王都は人口が多く、どこもかしこも賑わっていたので、そこまで差異を感じなかったのだが――やはりここは、綾那が住んでいた世界とは根本的に違うらしい。


 綾那がマスクの下で目を輝かせていると、不意に颯月が腕を引いた。


「――綾、馬車から降りて歩くか?」

「え? あ、いやでも、良いんですか?」

「だって、じっくり見たそうな顔してるだろ」


 図星を突かれてはにかんだ綾那に、颯月は僅かに目元を緩めて「アルミラージが出るのはすぐそこだから、別に構わん」と続けた。

 綾那はパッと喜色ばんで頷くと、カメラを片手に立ち上がる。そして、颯月が御者席に座る竜禅に速度を緩めるよう命じたのち、馬車が人の歩行速度ぐらいまで下がった所で、荷台から飛び降りた。


 思えば、街では舗装された道ばかり歩いていたから、柔らかい地面の感触は久々である。ぐぐ、と大きく伸びをした綾那は、おもむろにカメラの魔具にスイッチを入れると、周囲の風景を撮影し始めた。


 空に浮かぶ魔法の光源、その奥――遥か上空に広がる、真っ暗な「奈落」と呼ばれる「表」の超深海。王都アイドクレースをぐるりと囲んだ真っ白な外壁、街の外に広がる草原。アイドクレースから東の森へと繋がる、草の生えていない道は街道なのだろうか。馬車の(わだち)がくっきりと残っている。


(――楽しい)


 初めて見る景色に、綾那は今にも鼻歌を歌い出しそうなほど上機嫌になった。思い返せば、馬車の撮影だって「表」では機会に恵まれなかった。ひとしきり風景を撮り終えた綾那が馬車へカメラを向ければ、タイミングよく、颯月が軽やかに荷台から降り立つところだった。


(いや、冗談抜きで()になる人だな)


 いつも通り禁欲的な漆黒の騎士服を身に纏い、その背にはフード付きの外套。本日も猛暑日だというのに正気を疑う装いだが、彼の涼しげな表情からは外気温の高さなど感じない。しかも、汗一つかいていないのだから不思議だ。

 もしかするとあの騎士服には、体温調節をするための特殊な魔法か何かが掛けられているのだろうか。


 早くも撮影を始めている綾那に気付いた颯月は、やや困ったような笑みを浮かべて小首を傾げた。綾那は彼にレンズを向けたまま歩み寄ると、「颯月騎士団長」と呼び掛ける。曲がりなりにも騎士団の公的な動画を撮影するのだから、さすがに「颯月さん」なんて気安く呼ぶのは、相応しくないと思ったのだ。


 颯月は僅かに目を丸めたが、しかしそれも一瞬の事だ。すぐに口元を緩めると、「どうした、何か質問でもあるのか?」と答えてくれた。やはりどの角度から見ても完璧に宇宙一で、綾那はグッと言葉に詰まってしまう。


 そもそも綾那が考えたプランでは、宣伝動画の認知度が上がるまでは、眉目秀麗な颯月達の『顔』を売りにしたいと思っている。

 初めは男性向けというよりも、むしろ女性向けのものを作りたいのだ。女性が今まで以上にキャーキャーと騒ぎ始めれば、男性だって騎士がただ婚期を逃す職業とは思わなくなるのではないか。全体の認知度が上がれば、騎士になりたいと考える男性も増えるはずだ。


 そのため、本来ならば女性である綾那の声すら邪魔で、動画に入れたくないレベルである。

 四重奏は見目麗しい神子(みこ)の女性四人組みのグループだ。一応男女問わずファンは居たものの、それでも男性の割合が全体の過半数を占めていた。それを考慮して――リーダー陽香の方針で――異性とのコラボ動画だけは、過去に一度も撮影していない。

 四重奏にとっても、コラボする異性のスタチューバーにとっても、メリットよりもリスクの方が遥かに大きいからだ。


 有名スタチューバーといったって芸能人と比べれば身近で、そして素朴な存在だ。しかし、決して一般人ではない。その身近さと、手が届きそうで届かないアンバランスなスター性に惑わされるのか、距離感を測り間違えるファン――スタチューバーに本気で恋して過度に執着してしまう、所謂(いわゆる)『ガチ恋』のファンが現れやすいのだ。


 同性ならまだしも、異性のスタチューバー同士がコラボすれば、まず間違いなく両陣営が炎上する。それでも尚コラボする猛者は不思議と後を絶たないが、恐らくそういった者は炎上すらも追い風にして上へと舞い上がれる、(したた)かな人間なのだろう。


(だから本当は、私自身邪魔なんだけど――まあ、そもそも動画配信の概念がない世界だから、あまり神経過敏にはならない方が良いかな)


 一人納得した綾那は意識を引き戻すと、カメラを向けたまま颯月へ言葉を投げかけた。

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