颯月の出生
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書き溜めていたものがなくなってきたので、3月からは不定期投稿になるかも知れません。
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「綾、「水鏡」を覚えているか?」
「へ? え、ええ、それは勿論――竜禅さんから頂いたマスクにも掛けられていますし」
綾那は、机の上に置かれたマスクに視線を向ける。あのマスクは目の部分に穴がない。しかし、「水鏡」というマジックミラーに似た魔法がかけられている事によって外からそう見えるだけで、実は穴が開いているのだ。
つまりマスクを付けている者は問題なく視界を確保できているが、外からは装着者の目元が見えない、という訳だ。どうして今そんな話をするのだろうかと不思議に思っていると、颯月がふと口元を緩めた。
「全部、見えてるぞ」
「……うん?」
「俺のこれも「水鏡」だ」
「…………もぉおおおお! 先に言っておいてくださいよぉ!!」
これと言って眼帯を指差した颯月に、綾那は両手で顔を覆うとソファ――颯月の反対側――に勢いよく倒れ込んだ。
――なんという事だ、全て見られていたとは。それはもう、相当にだらしない顔をしていた自信がある。
綾那がソファに沈み込んだまま呻いていると、颯月が笑い交じりに話し始める。
「これだから、綾の事は嫌いになれん。アンタ裏表がねえっつーか……本気で俺が――いや、俺の顔が好きなのが分かる」
「最初からそう言ってるじゃないですか、好みド真ん中だって――」
「ああ、そうだったな……綾、この下見たいか?」
「――みっ、見せてくださるんですか!?」
眼帯の留め具に手を掛けた颯月を見て、綾那はがばりと体を起こして目を輝かせた。その様子に颯月は笑みを深めると、留め具を外して眼帯を机の上に置いた。
「ぁっ……あぁあぁああ~~……っありがたやぁ……!!」
綾那はまるで祈るようにぎゅうと両手を組むと、恍惚の表情で颯月の顔を眺めた。顔の右半分に刻まれた茨の蔓のような、稲妻のような黒い刺青。紫色の左目とは色の違う、赤い右目。
「人間国宝……っ顔が良いベストオブザイヤー殿堂入り! はあ、好きぃ……っ!」
「――個室で口説くのは、マジになりそうだからやめてくれ」
「あるがままの事実を述べているだけです! だいたい、こんな顔の良い人を口説けるものですか、負け戦にも程がありますよ!」
「いや、要らん心配せずともアンタ相当俺のタイプだからな」
言いながら颯月は、綾那の髪の毛をひと房手に取ってくるくると弄び始めた。やはり彼は、人の髪の毛に触れるのが好きらしい。綾那は、ふと彼がよく話す女性のタイプが悉く正妃の真反対である事を思い出した。
「颯月さんは、その――正妃様の事が苦手でいらっしゃるんですよね」
「……苦手なんてかわいいモノじゃあねえ」
颯月はげんなりとした表情を浮かべると、ソファの背もたれに体を沈めて息を吐いた。そして、ぽつりぽつりと話し始める。
「俺は、曲がりなりにも陛下の子だって話をしただろう? 俺が生まれた時、陛下は他に子が居なかった。元々体質的に恵まれにくかったんだろうが――正妃サマとの間にも、他の側妃の間にも居なかったそうだ。母上に執心するようになってからは、尚更だろうな」
「本当に、輝夜様の事がお好きだったんですね」
「さあ、俺は母上を知らんからなんとも。ただ陛下は、母上が死んだショックでしばらく臥せっていたらしい。その間、俺を育ててくれたのは正妃サマと禅なんだが……王族は血筋が全てだ。他に世継ぎが居ないとくれば、俺を王太子に据えるしかないだろう? その頃はまだ、俺が一生悪魔憑きで子を成せんとは思われていなかったらしいし」
「なるほど……」
「しかし陛下は、俺の事を殺したがっていると来たもんだ。正妃サマは、例え俺が悪魔憑きだろうが母親殺しだろうが……周りが黙るぐらい優秀に育てば問題ないと考えた。あの教育漬けの日々と言ったら――思い出したくもない」
やや遠い目をして呟いた颯月には、深い哀愁が漂っている。綾那は思わず苦笑を浮かべた。
正妃の考えも、分からない事はない。実父の国王でさえ颯月の存在を認めないのだから、それは教育熱心にもなるはずだ。颯月がダメなら他の世継ぎを――と言ったって、肝心の国王が臥せっていてはそれも望めない。であれば、颯月を立派に育てて周囲の人間に認めさせるしかなかったのだろう。
やり方はともかくとして、我が子でもない颯月の事をそこまで手塩にかけて育てたのは――恐らく正妃自身も、亡くなった輝夜の事を好いていたからに違いない。
「物心ついた頃から一般教養は勿論、王族として法律の勉強を強要されて……周りがうるさいから魔法の勉強もして、自衛のために体術の稽古までさせられて。同じ年頃のガキ共は楽しそうに外を駆け回っているっていうのに、どうかしているだろう」
「なかなかのスパルタ教育ですね――ですが、颯月さんがやたらと優秀な理由がよく分かりました」
「まあ確かに、その点は感謝してる。数年はそんな日々が続いたが、結局……復活なされた陛下と正妃サマとの間に、殿下が生まれた。そこで俺はお役御免って訳だ。十になったかどうかって歳に勘当されて、特にやりたい事もなかったから、生きるために騎士団へ入った」
颯月はたったの十歳でブラック企業に入団したのか――そして四年後には、団長にまで昇り詰めた。
散々跡継ぎとしての教育を施しておいて、他の世継ぎが生まれた途端に放逐されるとは。なんとも勝手だが――しかし、そもそも国王が颯月の事を認めていないのだから、仕方がなかったのだろう。
正妃は己の役割を、国王の意に沿う事と言っていた。なんとか颯月の事を認めさせたいという気持ちはあったに違いないが、きっと国王は頑なだったのだ。
「綾は色違いの目も金混じりの髪も、この薄気味悪い模様すら全く厭わん酔狂な人間だから、理解できんだろうが――」
「だ、誰が酔狂な人間ですか! 人を変人みたいに言って……」
「少なくともここじゃあ、十分に変人なんだよ」
綾那は唇を尖らせて、「誠に遺憾である」と呟いた。颯月は目を細めながら続ける。
「俺のコレは、本気で忌避される。ガキの頃は特にそうだった。世話係の女中には怯えられるし、友人をつくるなんて夢のまた夢だ。悪魔憑きが暴れたら手がつけられんのはよく知られているからな。いつ魔法の暴発で殺されてもおかしくない、そんなガキには近付きたくないに決まっている」
「――こんなに素敵なのに?」
「素敵かどうかじゃあねえ、生きるか死ぬかの問題だ。ただ幸いな事に、母上が半分もって逝ってくれたお陰で、模様と目は隠せる。隠したところで俺が悪魔憑きである事は変わらんが、あからさまに目を逸らされる回数は随分と減った。この魔具を付けるよう勧めてきたのは、正妃サマなんだ」
言いながら颯月は、外したばかりの眼帯を手に取った。
やはり正妃は颯月の事を想っているのだ。一生悪魔憑きの彼が、少しでも生きやすくなるようにとの配慮だろう。綾那はじっと眼帯を眺めた後、颯月に視線を戻した。彼はまたしても、表情をげんなりとさせている。
「しかし隠した途端、今度は妙な女共が寄り付くようになった。俺より年の若い女だと、そもそも俺の素顔を見た事がない世代だろう? 桃華にちょっかいをかけていたような女共なんか、正にソレだ。眼帯の下を知らんくせに、周りの大人が「アイツはやめておけ」と言っても聞く耳をもたん」
「ええ、分かります。何せ魔性の男ですものね」
「基本は放置してりゃあ冷めるから、別に良いんだが――たまに熱を上げすぎる手合いが出てくる。そうなったら、アンタの時みたいに……正妃サマがやって来て、「眼帯を外せ」と言ってくる」
「え」
「そうすれば全員、顔色を変えて俺の前から消えるからな」
颯月の言葉に綾那は考え込んだ。じっと彼の顔を見て、やがてぴんと閃くと、したり顔で頷いた。
「――ははーん、美しすぎて自信喪失という訳ですね!? 分かる~!」
「気味が悪くて引くんだよ、言わせんじゃねえバカ」
強い語気に反して、颯月は笑いながら綾那の頭を小突いた。綾那は小突かれた頭を押さえながら、「解せぬ」と呟く。颯月は綾那にとって宇宙一格好いい男だ。そんな彼の顔を見て「気味が悪い」と思うなんて、綾那には全く理解ができない。
「そういう事が何度も続くと、この顔がどれほど異質なのか嫌でも気付かされる。正妃サマには、割と早い段階から散々注意されていたんだ。「お前の顔は普通じゃない」「いくら隠しても普通の人間にはなれない」「素顔を見れば皆離れていくのだから、初めから妙な期待は抱くな」と。物心つく前からそう言い聞かされて育てられたんだ、そりゃあトラウマにもなるだろう――しかも実際、正妃サマの言う通りに男も女も離れていった」
ため息交じりに紡がれた言葉に、綾那は「そうなんですか」と答えた。何故そうなるのか理解できずに、不可解な表情しか浮かべられない。
彼の顔がこの国に住む人間にとって畏怖の対象になると言うならば、恐らく正妃は、彼が深く傷つく事のないようにと考えたのだろう。綾那の時と同じだ。深い仲になる前に、去るならさっさと去ってしまえと。そうすれば、颯月が深く落ち込む事はないと思ったのかも知れない。
(どうやらちょっと、やり過ぎちゃったみたいですけど――)
「だから俺は、あの人に似た女を見るとどうにも恐ろしくなる。強気で口の達者な女も、痩せた女も生理的に受け付けん」
颯月は声を潜めてそう話した。
なかなか根が深いトラウマである。しかし、綾那は同時に納得した。道理で彼は、やたらと容姿に対する自己評価が低いはずだ。幼少期より正妃に言い聞かされて育ったから――つまり、悪い方向に刷り込みがなされているのだ。
これは由々しき事態である。颯月には正しく自己評価をしてもらいたい。
「颯月さんは、とっても格好いいですよ」
「だからそれは、アンタが酔狂なだけで――」
「いいえ。きっとこの国に、顔に刺青を入れる文化がないから、皆驚いちゃうだけですよ。いっそ見慣れるぐらい刺青を普及させちゃいましょう、なんなら私も入れましょうか?」
「――綾の顔に? 絶対にダメだ、その顔を汚すな」
「汚すって……汚れじゃありませんよ。颯月さん、まるで師匠みたいな事言う」
むうと頬を膨らませた綾那は、じっと颯月の顔右半分に広がる刺青を観察した。すぐさま頬に溜めた空気を抜くと、首を傾げる。
「格好いいけど――なんの模様なんでしょう。颯月さんを呪った眷属は、どんな姿をしていたんですか?」
確か悪魔憑きは、呪いの元となった眷属の見た目に左右されると言っていた。このような刺青のある眷属だったのだろうか。小首を傾げる綾那を見返した颯月は、なんとも言い難い複雑な表情を浮かべた。
「薔薇らしい」
「ばっ、薔薇がモチーフ!? そんなところまでビジュアル系で攻めますか、さすがですね――!」
「何が攻めでさすがなのか、俺には分からん。俺を身ごもった当時、陛下には母上の他にも何人か側妃が居たらしい。だが、陛下は母上だけ過剰に愛し過ぎた――他の側妃が妬むほどに」
「妬む、ですか」
「母上を妬んだ側妃の一人が、出産祝いと言って特別な薔薇を病室に届けさせた。その結果、生まれたばかりの俺は悪魔憑きになって――ただでさえ出産で衰弱していたのに、無茶して眷属とやり合った母上は呪いの反動で死んだ」
「え……っじゃ、じゃあ颯月さんと輝夜様は、その側妃の方のせいで――」
「ああ、陛下はそれが原因で正妃サマ以外の側妃全員と別れたらしい。これだけ豪華絢爛な屋敷なのに、庭園に花が一つもないと思った事はないか? 雑草じみた小さい花は別としてな」
確かに、和巳と共にカタバミの小花を眺めて和んだ記憶はあるが、この敷地内にあるのは緑生い茂る葉の生け垣ばかりで、花が全くついていない。まるで城のような屋敷なのだから、よくよく考えれば薔薇園の一つや二つくらいありそうなものなのに――だ。
「元々、母上は薔薇や牡丹なんか――派手な花を好んでいて、専用の花園もあったらしい。しかしソレが原因で死んだとなった途端に、陛下が全部焼き払った。それ以来、この敷地内で花を育てるのは禁止されているんだとよ、花弁の大きなものは特にな」
「過激派……! いや、気持ちは分からなくもないですけれど――」
「ちなみに、女の戦闘を禁止する法律。アレも、無茶して死んだ母上のせいで陛下が制定しちまった悪法だ――今更そんな法律をつくったところで、もう母上は居ないのに」
颯月は「お陰様で騎士も傭兵もジリ貧だ」とぼやいた。
綾那はと言うと、国王のあまりの執心ぶりに絶句してしまった。想像以上に国王の闇が深い。それは、病気と評されるはずである。
――そして、颯月の生い立ちも大概苛烈だ。よくここまで生きてこられたと言うべきか。
「颯月さん、よくぞご無事で」
「無事――かどうかは微妙だが、俺には禅が居たからな。ヤツだって、俺が生まれたせいで主を亡くしたのに……まあ、母上の遺言には逆らえんのだろう」
「確かに、竜禅さんは何を考えていらっしゃるのか判断しづらいですけれど……でも、きっと他でもない輝夜様の忘れ形見だから、大切に守ってくださるのではないですか?」
「……ああ、分かってるよ」
颯月は僅かに口元を緩めた。続けて、「そろそろ眼帯を戻していいか」と問いかける。綾那は露骨に残念な表情を浮かべたが、しかし「もう腹いっぱいなんだ」と言われ、慌てて頷いた。
悪魔憑きは際限なく大気中のマナを吸収してしまう。それはまるで、「もう飲めない」と言っているのに無理やり水を飲まされ続けるような苦痛であると、他でもない颯月から聞かされているのだ。
眼帯を付け直した颯月の姿を認め、綾那は安堵したように息を吐いた。
「ごめんなさい、私がお願いしたばかりに」
「いや、いい、俺が勝手に外したんだ――見せるとアンタ、こっちが引くほど喜ぶから」
引くほどと言われて、綾那はぐうと喉を鳴らした。確かに綾那自身、前のめりになっている自覚はあるのだ。しかし彼の美貌を前にすると理性のタガが外れてしまう、こればかりは仕方がない。
うんうんと一人頷いている綾那に、颯月は目元を甘く緩ませた。
「――綾が遊んでくれるって言うなら、休みを取るのも悪くないかもな」
「へ? あ、それは良いですね! 是非お休みしましょう? この私が、社会人の休日というものを教えて差し上げます!」
「ああ、アルミラージ退治が済んだらな」
言いながら頷く颯月に、綾那はニッコリと微笑んだ。「男女二人で遊ぶのはデートでは」「ただでさえ関係性が謎なのに、これ以上男女の仲を深めてどうするのか」――とは、露ほども思わずに。




