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夢中

「――綾……なあ綾、もう魔具は良いんじゃねえか」


 あれから綾那は、颯月にカメラ魔具の使用方法を教わった。実際に触ってみれば良いと勧められて、喜び勇んで試し撮りを始めたものの――久々に触れる本格的な撮影機材に、綾那はすっかり夢中になってしまった。


 魔力を注いで発動するという点以外、基本的な操作は「表」のカメラと同じだ。映像のコントラスト、明度の調節、ズーム機能や暗がりでも撮影できる夜景モード、手振れ補正も搭載されている。しかも広角レンズに変えれば、パノラマ撮影も可能らしい。

 ちなみに撮りっ放しで終わりではなく、「表」でいうパソコンに似た魔具を使えば、動画の編集も可能だそうで――そちらの使い方についてはまた後日、教示してもらえるそうだ。

 説明を聞いた綾那は目を輝かせると、ひとしきりソファに座る颯月を撮影したのち、テーブルの上の茶器を映した。そして今は窓辺に立ち、雨が降る外の風景を撮影している。


 その背に颯月が声を掛けているのだが、カメラに夢中の綾那の耳には一切届かない。少し前まで颯月の執務の待ちぼうけをしていたのは綾那だったが、今は逆に彼の方が待ちぼうけを食らっている。

 颯月はため息交じりに腕を組んで、綾那の背中を眺めていたが――しかし、いい加減待ち時間に飽きたのか、おもむろに立ち上がると綾那のすぐ傍まで歩み寄る。

 そして熱心にカメラの画面を注視している綾那の腹に両腕を回すと、ぎゅうと抱き寄せた。


 突然の事に綾那は肩を大きく跳ねさせて、「――ヒャィヤアッ!?」と素っ頓狂な叫び声を上げる。あまりの驚きで一瞬カメラが手から離れて宙を浮いたが、大慌てでそれを掴み直した。

 ドッドッと色々な意味で早鐘を打つ心臓に、綾那は背後に立つ颯月を振り返り見上げた。


「――も、もう! どうしてそう、軽率に人を懐に招き入れちゃうんですか!?」

「どうしてそう、いとも簡単に人の懐へ引き込まれちまうんだ?」

「なななななんですか、藪から棒に!? 本当に驚かさないでください、危うくカメラを落とす所でしたよ!」

「藪から棒じゃあねえ、ずっと呼んでた」


 思いのほか不機嫌な声を出した颯月に、綾那は目を瞬かせる。慌てて「ごめんなさい、つい夢中になっちゃって――」と謝罪したが、しかし颯月に「これは没収だ」とカメラを奪われて、「あぁ」と切ない声を上げる。


「随分と楽しんでいるようだから、大目に見ようかと思ったが――周りが一切見えてないのはまずい。業務外での魔具(カメラ)の使用は今後禁止する」


 背丈が190センチある颯月の手により、高々と持ち上げられたカメラ。綾那はつい反射的にカメラへ手を伸ばしたが、こうも身長差があっては届くはずもない。


「で、でも、業務で使用するための試用運転だったので、つまりこれは業務に含まれるのでは……!」

「試用運転の域はとっくに超えていただろう、アンタかれこれ一時間は俺の事を無視してたのに」

「――なんと」

「なんとじゃねえ、ちゃんと謝ってくれ。辛過ぎて泣きそうだ」


 言いながら颯月は、綾那の手が届かない高さの本棚の上へカメラを載せた。綾那は彼の言葉を聞いて顔を青くすると、その場で勢いよく頭を下げた。


「わ、私なんかが神に不快な思いをさせてしまうなんて、心の底からお詫びします……! 颯月さんの笑顔を取り戻すためなら、どんな事だって――」

「……どんな事だって?」

「どんな事だってやります! いえ、やらせて下さい!」

「ああ、それは良いな。もう許したぞ、戻ってこい」


 彼の顔に笑みが戻った事にほっと息をついた綾那は、ちらりと本棚の上に目線を送った。


「あのぅ、カメラは……」

「――今は業務外だろうが」

「仰る通りです」


 再び笑みを消した颯月にすげなく言い捨てられて、綾那はしゅんと項垂れながらソファへ戻った。

 撮影するのが楽しくて、つい夢中になってしまった。しかし、一時間も颯月の言葉を無視していたなど、綾那自身「ちょっとソレは、人としてどうなのだ」と思ってしまうため、こればかりは自業自得である。


 おずおずと正面に座る颯月を見やれば、彼は無表情で窓の外を眺めている。怒らせてしまっただろうか。いちファンとして、神に嫌われたくはない。


「颯月さん――?」


 綾那の弱々しい呼びかけに、颯月がぴくりと反応する。紫色の瞳が窓からこちらに移動したところで、綾那は彼の顔色を窺うように上目遣いになって小首を傾げた。


「颯月さん、あの、本当にごめんなさい」


 落涙するまではいかないにしても、しょんぼりと反省しきりの顔で謝罪する綾那。颯月は綾那の顔を黙って眺めた後に、小さく息を吐いた。


「アンタ、「得な顔をしている」と言われた事はないか? あの恐ろしい破壊力した泣き顔と言い……本気で人に怒られた事がねえだろう。その顔を見て尚いたぶろうなんて思うヤツは、人としてどうかしていると思うぞ」

「え? えっと、いえ、メンバー……家族からは結構、本気で怒られていましたよ」


 主に異性関係で――とは、わざわざ口にせずとも良いだろう。

 確かに師からは「得な顔をしている」と評されていたが、四重奏のメンバーは至って普通に綾那と接していた。思い返せば彼女らは、綾那――そして四重奏のためを思って残念な異性交遊に口出しはしても、しかし綾那が本気で泣くほどの何かをした事はなかった。


 つまり、師から隠しギフトと評された泣き顔を、彼女らに向けて見せた事はないのだ。

 どれだけ顔がタイプで付き合っていた男性でも、皆アリスの「偶像(アイドル)」に釣られて、いとも簡単に綾那から鞍替えしてしまう。本来ならばそれは「本気で泣くほどの何か」なのだろうが、しかし他の何が許せても、浮気だけは許容できないのが綾那だ。どんなに好きな男でも、鞍替えされた時点で心底どうでもいい男に成り下がってしまう。

 そんな男が己の元から去って行こうとも、遅かれ早かれこうなっていたのだと思えば、悲しむ事もない。


 ちなみに、家族に男を奪うような真似をされて怒りを覚えないのかと問われれば――そこは綾那生来の気質と、「怪力(ストレングス)」もちとして生まれ、国に育てられた弊害とでもいうのか。

 答えは「それぐらいの事では怒らない。むしろ他所の知らない女と浮気されて惨めな思いをせずに済んだため、アリスに助けられたという思い」である。そもそもアリスは、釣り上げるだけ釣り上げて綾那の目が覚めた途端に、「じゃあ、お疲れ」と男を放逐するのだ。

 己が便利なギフトをもっているからと、綾那のためを思って汚れ役を買って出てくれる彼女に、怒りなど覚えない。


(颯月さんもきっと、アリスに夢中になっちゃうんだろうな)


 綾那は、じっと颯月を見つめた。

 絢葵(あやき)を超え、綾那にとって「宇宙一格好いい男」となった颯月。顔が整っている事は勿論、高身長で鍛え上げられた体は逞しく、声は低く艶っぽい。まだ性格の全てを把握できるほど長く過ごしてはいないが、態度や口は悪くても不思議と気品があり、騎士団長らしく責任感、そして正義感もある。


 正妃の言う通り、やや意地が悪く性格に難があるようには思うが――その程度の事ならば、綾那にとってデメリットにならない。これだけ素晴らしい男が、本気か冗談かは知らないが綾那を養いたいと言ってくれているのだ。今後の人生で彼以上に綾那好みの男が現れるとは考えづらく、本来であればこの機を逃す手はない――のだが。


 例え颯月が相手でも、浮気されるのだけは嫌だ。

 アリスの「偶像」には、男女問わず効きやすい相手、効きにくい相手が居る。しかし、それでもギフトに惑わされずに綾那の元へ残った男は、今のところ一人も居ない。綾那だけを一心に愛し続けてくれる、そんな男が居ればどれだけ幸せだろうか。そんな相手ならばきっと、四重奏のメンバーも交際を認めてくれるに違いないのに――。


「また難しい顔をして……今度は何を考えている?」

「へ? あっ、いえ、えっと――颯月さんに、嫌われたくないなって……?」


 ――あなたがアリスにメロメロになる未来を、少々憂いていましたとは、さすがに言えない。

 タイミングよくと言うと不謹慎だが、今は颯月に謝罪している最中である。「嫌われたくない」というのは、会話の流れ的にもおかしくはないだろう。

 颯月は、やや困ったように表情を和らげて見せた。


「それだけは有り得ねえから、安心していい」

「でも、人の心は変わるものだって、他でもない颯月さんが言っていたじゃありませんか」

「それは他人(ひと)の話であって、俺の話じゃあない」

「ムチャクチャ言ってませんか……?」


 他人は心変わりするものだが、己は絶対に心変わりしないとは、一体どういう理屈なのか。颯月は苦笑する綾那を手招くと、「こっちに座れ」と己の座る側のソファへ呼び込んだ。

 綾那は「神との間には、守るべき距離感というものが――」と思案しながらも、しかし言われた通りに腰を上げた。颯月の座る横に長いソファ。彼はその真ん中に座していて、両脇が空いている。


(颯月さんの右、左、どっちに――いや、ここは右側一択! 近くで眺める権利を得たからには、またあの刺青が見たい! 眼帯で隠れていても、こめかみ辺りは見えるはず!)


 守るべき距離感とは一体何だったのか。綾那はウキウキと上機嫌で、拳五つ分ほどのスペースを空けて颯月の右隣へ腰かけた。


「迷いなく右なんだな」


 ぽつりと呟かれた言葉に小首を傾げながら、綾那はじっと颯月を凝視した。彼はポットを手に取り、空になったカップに茶を注ぎ入れている。


(あ、眼帯で見えないから、もしかしてこっちに座ったのは失礼だったかな? でも颯月さんから私が見えないなら、どんなにだらしない顔で見ていても許される気がする)


 綾那は、ここぞとばかりに颯月を見つめた。

 艶のある黒髪に混じる金髪。顔の右半分を覆い隠すファントムマスクのような黒革の眼帯。それに散りばめられた、アメジストに似た色合いの魔石。

 じっと注視すれば、髪に隠れているが、やはりこめかみから頭皮にかけて伸びた刺青が見える。


(ああ、また見たいなあ、本当に格好良かった。アリスに頼んで、颯月さんと全く同じデザインのタトゥーメイクしてもらいたい)


 彼の素顔を思い出した綾那は、瞳を熱っぽく潤ませて、ほうと息を吐く。颯月は一口茶を飲みカップを机に戻すと、おもむろに口を開いた。

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