よき友人として
「つまり、彼女を騙して「契約」した、と――?」
「騙してはいません。確かに言葉足らずだったとは思いますが、彼女は俺に同意しましたから」
「何、子供みたいな事を言っているのよ……騎士団長ともあろう者が、そんな真似をするなんて」
颯月と綾那が「契約」を行使するに至った事のあらましを聞いた正妃は、頭痛を堪えるような表情になった。しかし長いため息を吐いたあと、おもむろに綾那を見やると口を開く。
「いえ、もうこの際、始まりはソレでも良いわ。綾那、お前は絶対に颯月と結婚するのよ」
「――はい!? な、なんでそうなるんですか、できませんよ!!」
つい先ほどまで「どうせ別れるなら早い方がいい」という話をしていたはずなのに、あまりの急展開に綾那は目を白黒させた。正妃が突然手の平を返した理由が、全く分からない。
「できない? なぜ? お前、颯月の素顔を見てもなんともないのでしょう。であれば、何も問題はないじゃない」
「い、いいえ、問題だらけです!」
「何が問題なの。颯月はアイドクレース騎士団の栄えある団長よ。性格は――少々難があるかも知れないけれど、高い地位があり、人望もあり、悪魔憑きだけあって魔法を使わせれば敵なしよ。何が気に入らないの? ああ、子を成せない事なら気にしなくていいわ、欲しくなれば他所で作って良い事になっているから」
正妃の言葉を聞いて、綾那は首を傾げる。言い争いばかりしているから、てっきり仲が悪いのかと思ったが――どうやら、そういう訳でもなさそうだ。
途端に颯月の優れたスペックを並べ立て始めた正妃に目を瞬かせたが、しかしハッと我に返って首を横に振った。
「あの、家族が絶対に――絶っ対に、許しません」
「家族……はぐれた仲間の事ね? ――こんな状況ではまた会える保証もないのだから、気にせず颯月の事だけを考えれば良いんじゃなくて?」
「な、なんて不吉な事を仰るんですか……!」
きっと会えると信じて毎日頑張っているのに、酷い言われようである。
綾那が瞳を潤ませると、横に座る颯月が「言って良い事と悪い事の判別もつかないのですか」と正妃に苦言を呈した。
正妃は「確かに言い過ぎたわ」と答えたものの、しかし間髪入れずに話を続ける。
「そもそもお前の人生なのだから、家族の意見は関係ないでしょう。私はお前個人の感情が知りたいのよ」
「か、関係ない事は、ないような……? でも、個人――個人、ですか」
隣に座る颯月を見下ろすと、綾那は眉尻を下げた。そして、やや考えてから正妃に向き直る。
「その、個人的な感情を言えば、颯月さんはとても好ましいです。何度でも咲き声で「颯様」と咲きたいぐらい」
この『咲く』とは、ビジュアル系バンドの演奏中の楽曲に合わせて、ファンがバンドマンに向かって両手を広げる動作の名称である。これはファンの求愛行動であり、「抱いて欲しい」という意味合いをもつ。
諸説あるが、両手を広げる様がまるで蕾が花開くように見える事からこの名称が付けられたらしい。咲きながら甲高い声でメンバーの名前を呼ぶ事もあり、この時の甘えた声の事を『咲き声』と呼ぶのだ。
――閑話休題。
颯月の事を憧れのバンドマン目線で見ている綾那からすれば、これは至って正常な感覚である。しかし言葉の意味が理解できない正妃と颯月は、首を傾げるしかない。
「相変わらずお前の言う事は難解だけれど、好ましいなら良いじゃない」
「いえ――そもそも、私レベルでは颯月さんの相手として相応しくない、と言う事が大前提ですよ? その上であえて言いますが……実は私、とても独占欲が強くて嫉妬深いんです。ですから実際問題、一夫多妻の男性に嫁ぐなんて無理無理のムリなんですよ」
「無理無理の……!? そ、そんなに重ねる程に!?」
「ええ、無理です、ごめんなさい」
言いながらしょんぼりと肩を落とした綾那の隣で、颯月がフッと笑みを漏らして口元を押さえた。正妃は大層ショックを受けたらしく、頭を抱えている。
「ええと、結婚はできませんが、ファン――いえ、もし颯月さんが望んでくださるのなら、よき友人でいる事はできます」
「友人……ええ、そうね、確かに友人の存在も大切よね――けれど本当に惜しいわ。綾那お前、もし気が変わったらすぐに知らせなさい? 私が方々へ根回しするから」
「正妃様、は……颯月さんが大事なのですね」
きっと正妃は、悪魔憑きとして生き辛い思いをしている颯月の事が、心配で仕方ないのだろう。素顔を見せれば人が手の平を返して去って行くというのは、恐らく実体験に基づく話のはずだ。
奈落の底に住まう住人にとって、彼の姿は刺激が強いのかも知れない。だからこそ、早い段階で綾那に彼の素顔を見せたかったのだ。浅い関係ならば去っても「仕方ない」で済むだろうが、深い関係になった後に去られては、颯月の負う傷が深くなると。
綾那からすれば、顔半分を覆う刺青が入っていようがオッドアイだろうが、好ましい事に違いはない。ただそれは、綾那が悪魔や眷属などとは縁遠い「表」の人間であり、魔法の恐ろしさを正しく理解できないから。そして職業柄、好奇心が旺盛だからだ。奈落の底の人間とは根本的に価値観が違う。
だからこそ正妃は、綾那を颯月の傍にと望んでいるのだろう。まるで、我が子の行く末を心配する母親のようだ。
綾那が微笑めば、正妃は言葉に詰まった。しかしすぐに咳払いすると、ツンと顔を逸らして口を開く。
「義理とはいえ、息子よ。当然、変な虫がついているのを見れば追い払うし――逆なら、捕まえて逃がさないわ」
「ああ、息子……――ッは!? 息子!?」
「何を驚いているの? 知らずに婚約者になった訳でもあるまいし……颯月が未婚の女性の間で人気なのは、顔が一番の理由じゃなくて王家直系の血筋だからじゃない。まあ、颯月は子を成せないから後継はつくれないし、結婚したところで王族にも、国母にもなれないけれど」
綾那は言葉を失ったまま、チラっと横に座る颯月を見やった。いつの間にか調子を取り戻したらしい彼は、正妃の前にもかかわらず行儀悪く片肘をついて手の甲に顎を乗せている。
颯月は綾那の視線に気付くと、蠱惑的な笑みを浮かべた。眼帯を付けていない、両目が揃った状態で初めて見せた彼の表情に、綾那はウッと胸を押さえる。
しかしすぐに頭を振ると、颯月を問いただす。
「お、王族じゃないって言ったのは?」
「嘘じゃねえ。俺の母上は陛下の側妃だった。だから陛下の血を引いてはいるが――もう勘当されてる」
「勘当?」
「陛下は、随分と母上にご執心だったらしくてな。母上が死ぬ直接の原因になった俺を、殺したいほど憎んでいらっしゃる」
「え……」
「とはいえ、他でもない母上が遺した忘れ形見を手に掛ける事もできなかった。だから陛下の広い御心で、勘当するだけに留めてくださった。つまり俺はもう王族じゃない、ただの颯月だ」
「う、嘘でしょう、知らなかったの? それは、驚かせて悪かったわ」
(お、驚いたなんてものじゃあ――やっぱり、颯月さんまで王子様だった? い、いや、というか、今日は驚いてばかりでもう、何が何やら……一回、帰って眠りたい)
すっかり疲れ切って虚ろな目をした綾那は、そっと自分の席へ戻ると腰を下ろした。
「ねえ、綾那。お前、普段は騎士団の宿舎に居るのよね? 陛下はまず騎士団に近寄らないから、平気だとは思うけれど……顔を隠しておいた方が良いわ。例えば――」
「あ、いえ、普段はマスクで目元を隠すように言われています。竜禅さんが提案してくださって」
「――ああ、さすが竜禅ね、陛下の事をよく分かっているわ。颯月、しっかり陛下から綾那を隠しなさいね。この顔を見たら、陛下はきっとお前から綾那を取り上げてしまうわよ」
正妃の言葉に、綾那は目を瞬かせる。人を取り上げるとは穏やかではない。颯月も思うところがあったのか、眉根を寄せて正妃を見やった。
「まさか、陛下が? そこまで病的なのですか」
「不敬よ、颯月。ただ――輝夜の事になると、人が変わるの。恋は盲目と言うでしょう? お前が綾那と共に在りたいと願うなら、くれぐれも気を付ける事ね」
「…………肝に銘じます」
「私も心に留めておくけれど――私の役目は、正妃として陛下の意に沿い続ける事だから。どうしてもお前達の事を優先できなくなる時がくるわ、まず見つからない事が重要よ。綾那が陛下に召し上げられたら、困るでしょう」
「いくら母上の面影があるからと言って、一体年齢差がいくつあると……いい歳した男がやるには、あまりにも痛々しい所業だな――」
「颯月、不敬だと言っているでしょう、やめなさい」
独り言のような声量で国王に悪態をつく颯月を、正妃がぴしゃりと諫めた。血の繋がりはないため容貌こそ違うが、こうしてやりとりしているのを見ると、不思議と親子のようにも見えてくる。
(なんだか色々とあったけど、とにかくあの居た堪れない空気が消えて良かった)
結局なんの話だったのかさえ分からなくなってしまったが、正妃の言葉からして、ひとまず綾那がアイドクレースを追い出される事はないのだろう。であれば、この際なんでも構わない。
ほう、と小さく息をついた綾那は、そこで初めてテーブルに置かれた飲み物を手に取った。甘く濃厚な桃ジュースの味に目を細めていると、個室の扉が数度ノックされた。




