子守
確かに、颯月の言う通り――廃れた外観に反して――教会の中は美しかった。
真っ白な床は、天井の照明を反射する程よく磨かれている。外からは曇って見えたステンドグラスも、内側からだと外光を透過して美しい。
まず綾那が案内されたのは、礼拝堂だった。等間隔で長椅子が並べられていて、奥には祭壇やオルガンもある。もしかすると、ただ子供を預かるだけの教会ではないのかも知れない。冠婚葬祭だって執り行えるだろう――住民にとって忌避される、悪魔憑きの存在さえなければ。
颯月は本日、視察という名目で教会を訪れている。本人曰く視察といっても名ばかりで、息抜きがてら遊びに来ているだけらしいのだが、それでも仕事は仕事だ。
その視察ついでに、静真と子供らが普段生活している二階の居住スペースにも案内してもらった。大きな窓から外を見やれば、教会の裏手に芝の植わった庭が広がっている。長い物干し竿には、真っ白いシーツが数枚干されているようだ。
(あ、さっきの子達――)
綾那を見るなり逃げ出した黒ローブの子供達は、風にはためくシーツの真下を陣取っている。寝転がったり膝を抱えて座ったり、思い思いに過ごしているようだ。
「あの、綾那さん……本当に無理はなさらないでくださいね。悪魔憑きがどうと言う以前に、性格的に難のある子供ばかりでして――」
不安そうな表情の静真に、綾那はニッコリと微笑み返す。一通り教会の中を案内されて、いよいよ子供達の居る裏庭へ足を踏み入れる時が来た。
颯月はこれから、教会の運営について――そして、近隣住民の様子や子供達の状態についてなど、静真と話し合うらしい。
その間、保護者不在の子供らと遊ぶのが綾那の仕事だ。
「アンタがドロドロに甘やかすから、生意気になるんだ」
「うるさい。とにかく、もし何かあればこちらへ来てくださいね」
「はい、分かりました」
ただでさえ膨大な魔力をもつ悪魔憑き。中でも幼い子供は自制が効かず、時に魔法を暴発させる事もあって大変危険なのだという。
仮にそうなった場合、魔法の使えない綾那ではどうしようもない。万が一にも事故が起きてはいけないからと、颯月と静真は目の届く位置――裏庭へ続くテラスで話し合う事になった。
「仲良くしてもらえるように努めますね。お二人もお仕事、頑張ってください」
「はい、よろしくお願いします」
綾那が小さく手を振れば、静真は深々と頭を下げた。
(よーし、遊ぶぞー!)
踵を返し子供達の元へ歩き出した綾那は、気合を入れるためにグッと拳を握った。
◆
青々と茂る芝生の上。自然のカーペットに腰を下ろした綾那は今、三人の子供に囲まれている。
結論から言うと、綾那は子供達の心を開くのに見事成功した。何せ子供達は既に、『異形』を隠すために被っていたらしい黒いローブを脱ぎ捨てて、はしゃいでいるのだから。
「なーなー、なんでお前そんなにムチムチしてんの? 牛みたいだよな、絶対アイドクレース人じゃねえ――アデデデデ!」
子供の一人が、綾那の二の腕をギュッと掴む。そして、どこか感心するように暴言を吐いた。体形について揶揄された綾那は、笑顔で少年――幸輝の両頬を掴むと、容赦なく左右に引き伸ばす。
「なんて悪いお口なのかしらー? あらー、幸輝のお口はよく伸びるわねー?」
「や、やめ! い、いひゃい!!」
幸輝の頭には、まるで山羊のようにくるりと曲がった黒い角が生えている。しかし、それ以外は普通の少年だ。年はおよそ十歳らしい。
彼は颯月と同じように、肩より少し長く伸ばした髪をハーフアップに結っている。
「えー楽しそう! 僕の口も伸びる? ねえねえ、伸ばしてみて!」
「うーん、朔は悪い事を言っていないから、伸びないんじゃないかなあ」
一番幼い朔は、まだ七つらしい。彼は一見すると普通の子供だが、しかし口を開けば鋭く尖った歯がびっしりと生え揃っている。よく見ると歯は縦に三列ほど並んでいて、まるでサメのようだ。
朔は綾那の膝に飛び乗ると、鋭い歯を見せながら屈託なく笑った。
「ええー! 悪い事ってなに、『牛女』とかー!?」
「悪い事を言うのもだけど、人の膝の上へ土足で上がるなんてダメでしょう」
「あっ、イダダダダダ!? ――アッハッハッハ! すっごく痛い! 伸びたー!」
「伸びたねえ。ついでに楓馬も伸ばそうか?」
「おい、俺は何も言ってないじゃん! だいたい、子供の言う事にムキになるなんて、全く恥ずかしい大人――いっだい! もう! やめろババア! あっ、くすぐるなって! ふはっ、や、やめっ――やめてください!」
楓馬は一番年上で、十二、三歳ぐらいだそうだ。
彼は顔や体が所々石化していて、肌は土気色。石化した肌はザラザラとして硬いが、神経はしっかり通っているらしい。指で強く弾けば痛がるし、くすぐれば身を捩らせて逃げ惑う。
ばたりと芝生に倒れ込んでしまった楓馬を助け起こしながら、綾那は頬を緩めた。
「本当に元気いっぱいだねえ」
初め綾那を見た子供達は、これでもかと警戒心を露にしてした。シーツの下から出てこずに、黒いローブも脱ごうとはしなかった。
しかし、やや離れた位置にしゃがみ込んで――まるで、警戒心の強い野良猫を餌付けするように――根気強く話しかけ続けた綾那に、一番幼い朔が興味を示したのだ。
悪魔憑きの彼らは、信用に値する相手かどうか手っ取り早くふるいにかける術を知っている。それは、己が異形である事を見せつけて、相手の反応を見るという方法だ。
おもむろにローブを脱いだ朔は、あーんと口を開けて綾那に鋭い歯を見せた。綾那が耐えるなら遊べばいいし、怯えて逃げるぐらいなら、それまでの人間だと思ったのだろう。
綾那は最初、なんの前情報もなく見た朔の歯に驚いたが――しかし口をついた言葉は「すごーい! どうなってるの?」だった。
異形で不自由している彼らには悪いと思いつつも、まるでゲームや漫画に出てくる亜人のような姿に、胸を躍らせたのだ。朔の両頬に手を添えて「あーんして?」と小首を傾げる綾那に、彼は破顔して大口を開けた。
その様子を見ていた幸輝が「俺は朔ほど簡単じゃねえぞ!」とローブを脱いだものの、綾那は彼の角に反応するよりも先に「あれ、颯月さんと同じ髪型だね! 格好いいね!」と、やや見当外れな意見を述べた。
幸輝曰く、頭に角が生えた姿はいかにも『悪魔』的な容貌なのだそうだ。リベリアスでは群を抜いて嫌われるタイプの悪魔憑きらしい。
(そう言われても、私が唯一見た悪魔ってダイオウイカだし……角なんて生えてなかったもん)
しかも、彼の体の一部から生まれた地球外生命体を見た後では――人間の頭に角があるぐらいでは、「ハロウィンみたいで可愛いね」としか思えないのである。コスプレと同じだ。
幸輝はキョトンと目を丸めた後、ハッと我に返って「これならどうだ」と、隣に座る楓馬のローブを取り払った。
楓馬はよほど人目に姿を晒すのが嫌なのか、不快げに眉を顰めていた。しかし綾那は、まるで人とゴーレムが混じったような楓馬の姿に目を輝かせてしまう。
そもそもスタチューバーという職業柄、人・モノ問わず『珍しいもの』には目がないのだ。まるでビックリ人間のような楓馬に詰め寄ると、石化した肌の感触が気になるから触らせて欲しいと懇願した。
そうして、綾那の勢いに圧された楓馬が引き気味に頷いた途端、石化した顔や体を大はしゃぎで撫で回したのである。
綾那のくすぐり攻撃に耐えきれずに楓馬が大笑いしたところで、ずっと警戒を解かなかった幸輝も、安堵したように息を吐いた――という訳だ。
「はー……っもう、マジくすぐり禁止、俺疲れた……」
「僕はくすぐってもいーよ? 平気だもん」
「頬っぺた痛ぇ、無理ぃ……」
そうして子供達と打ち解けると、互いに自己紹介をして、広い庭で追いかけっこしたりボール投げしたりと、目いっぱい遊び回って――今は芝生に座って休憩中だ。『遊び』に休憩というのも、少々おかしな話だが。
颯月の言う通り、どうも彼らは静真に甘やかされて伸び伸び育っているらしい。年の割に精神年齢が低く感じるのは、いつも教会という限られたコミュニティで、しかも同じ面子としか接する機会がないせいだろうか。
綾那は元々、持ち前の包容力で何を言われてもニコニコと流していたのだが――彼らの試し行動は、留まるところを知らなかった。どこまでなら悪さしても許されるのか、どこまでなら困らせても平気なのか。
静真の愛情をたっぷりと受けて育っているはずなのに、やはり生みの親に捨てられた子供達の承認欲求は、そう簡単に満たされないのだろう。
そこで綾那は、途中で方針を変えた。なんでもかんでも許容して受け入れる、その役目は既に静真が担っている。であれば、かえって口うるさく注意する人間の方が、求められるのではないかと思ったのだ。
綾那の経験則から言っても、生意気な子供――特に男児というのは、大人を揶揄って、そして怒らせてナンボみたいな所がある。自分の言動によって、いい大人が怒ったり焦ったりと反応を示すのが、「自分を見ている」「ちゃんと構ってくれている」と感じられて面白いのだろう。
そんな訳で、子供達から放たれる悪口に全力で乗っかっては、軽く折檻するの繰り返しだ。ただ乗っかりはしても、結局綾那が本気で怒るような事はない。それを理解している子供達は、生意気な口を叩いては嬉しそうな顔をして罰を受けている。最早遊びの一種だ。
「ねー? 僕、次は本がいーなー」
「でも朔、絵本は颯月さんが読んでくれる約束なんでしょう?」
朔はまた綾那の膝の上に立つと、そのまま甘えるように首筋へ抱きついた。やはり彼は一番幼いだけあって、甘え上手らしい。
「だぁってー、にーちゃんもしずまも話長いじゃーん。僕もう疲れちゃったしさ――あにゃ、あなにゃ? あにゃにゃでもいーけど、本」
「あら――懐かしい。私が朔くらいの頃、舌足らずでどうしても私の名前を呼べない子が居たなあ……その子はどうしたと思う?」
「えー? 分かんない」
「コレなら呼びやすいからって、おかしなあだ名を付けたんだよ――『アーニャ』って」
懐かしむように目を細める綾那の隣で、幸輝が「変な名前」と呟いた。それは綾那も思うのだ。綾那にこんなあだ名を付けるのは、後にも先にも陽香だけだろう。
しかし、幼少期より今に至るまで彼女から呼ばれ続けたそのあだ名には、今ではすっかり愛着が湧いている。
「お前なんか、『ムチムチ』で良いじゃん」
「幸輝、また頬っぺた伸ばされたいんだ」
「イテッ! もー、ホントすぐ怒るよなー?」
ニマニマと笑う幸輝の片頬を抓れば、彼はプクーッと頬を膨らませた。しかしそれも束の間の事で、またすぐに楽しげな表情を浮かべる。やはり普段、相当静真に甘やかされているのだ。人に怒られるのが面白くて仕方がないらしい。
「うーん、でも確かに、まだお話続きそうだね……絵本はどこにあるの? お部屋?」
「んん~~……」
「朔? どうしよう、朔寝ちゃうね」
「寝かしておけばいいよ、コイツ昼寝の時間だからさ」
くたりと体重を預ける朔の背をぽんぽんと叩けば、そう時間をかけずに微かな寝息を立て始めた。このままでは身動きが取れず、遊びも再開できない。そして、颯月と静真の話が終わる気配もない。
「じゃあ……楓馬、幸輝、私達もお話しようか? 私ね、この国の事を何も知らないんだ。悪魔憑きの事もよく分からないから、教えてくれると嬉しいな」
「え? でも綾那って、颯月さんの女なんじゃねえの? 一体どんな田舎から来たら、悪魔憑きを知らずに生きられるんだよ」
言いながら首を傾げる楓馬に、綾那は目を丸めてぶんぶんと首を横に振った。
今日で連載開始からちょうど一か月です。
誰にも読まれなかったら寂しいなあと思いつつ始めたものですが、いつも見に来ていただいて本当にありがとうございます!
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