訓練の成果
結局綾那は、揚げたクモの事をクモだと思わなくなる程の本数の串を口にした。昆虫食も慣れてしまえば、ただ見た目が独特なだけの香ばしいスナックを食しているようなものであった。
しかし、幸いというかなんというか、綾那は揚げクモが生食に切り替わる前に、なんとか結果を出して見せた。あれだけ巨大な氷の玉ばかり創り出していたのが、ある時を境に突然サイズが変わったのだ。
別に、これと言ったキッカケがあった訳ではなく、魔法のコツを正しく理解した訳でもない。単純に颯月が口にした通り、繰り返し魔法を使った事で体が感覚を掴んだだけである。
本当に知力やイメージ力なんてものは不要で、どこまでも体術に近い。まるで、人生で初めて自転車に乗れた時のような感覚だ。乗り物の原理なんて分からなくたって、繰り返し転ぶ事でバランスのとり方を学び、体重移動のコツを学び――車体が倒れる前に、思い切りペダルを踏み込んで。
それらを繰り返すだけで、気付けばいとも簡単に操れるようになっているものだ。自転車の力学、機械技術を頭で理解するよりも先に、体で乗り方を覚える方が早い。苦難を乗り越えた先、己が一体何に苦労していたのかも忘れてしまうほどに容易い。
ギュッと手の平サイズに凝縮された、氷の玉。それは無色透明に近く、氷を通していても向こう側の景色がハッキリと見てとれる。一時は白く濁った氷を創り出していたが、感覚さえ掴んでしまえば、結晶を小さくだのガワが小さくだの考える事もなくなった。
ギフトを行使する時のように深く考える必要はないのだ。ただ「凍れ」と念じながら自身の手を見やれば、いつの間にかちょうど手の平に載るサイズの氷の玉が創り出せるようになった。
(これを今度、「大きくしなさい」って言われたら――その時はまた余計な事を考えて、調節に苦労しそうな気がするけれど)
もう綾那は自身の手を見ているだけで、無意識の内に「手の平に載るくらい」とサイズを指定してしまうようだ。だから今後氷のサイズを大きくしたい時は、きっと手ではなくどこか遠くの景色を見れば良い。それこそ木でも見ながら発動すれば、それで済むのではないだろうか。
まあ、それだけで上手く行けば、苦労はしないのだが――。
綾那は小さく苦笑いしてから、自身の手に載る氷の玉を掲げた。その成果を確認してもらおうと颯月へ見せれば、彼は鷹揚に頷いてくれる。
これで、連続二十回目の成功だ。真夜中に綾那が訓練を始めてから、実に八時間が過ぎた頃であった。
「上出来だ、偉いぞ綾。これだけ力加減が上手くなれば、もう問題ないだろう――あとは精神が不安定になった時、魔力を暴発させないよう注意するぐらいだ」
「正直、そこが一番の問題な気がしますけれど……ひとまず、良かったです」
何せこの颯月でさえ、キレてしまった時には魔力の制御がてんでできていないのだから。それを、魔法使いになってたった数時間の雛鳥、綾那にできるはずがない。情緒不安定になる度、何度でもブリザードを呼んでしまうに決まっている。
「魔法の実践については、追々やっていけば良い。詠唱だって覚えないといけない訳だしな」
颯月は目元を緩ませながら、「光以外の七属性を使えるままとは言え、俺も悪魔憑きでなくなったからには、今後全ての魔法に詠唱が必要になる」と付け足した。
それは大変な事だ――と思う反面、彼は元より全ての魔法の詠唱を丸暗記しているのだから、別に苦ではないだろうとも思う。むしろ、人生楽勝すぎて邪魔にすらなっていた無詠唱チートが消え去って、喜んでいるのではないか。
「あと他に綾がやるべき事と言えば、『氷』の管理者として必要不可欠になる部分――リベリアスの北部に存在する氷の量を上手く調節して、気温を管理する方法を覚える事だ」
「氷を増やしすぎれば生き物が住めなくなってしまうし、少なすぎても熱さに弱い生き物が生きられない……ですよね」
僅かに目を伏せて言えば、またしても「そう気負う必要はない。どうせ俺と綾は、気温変化程度じゃあ死なないからな」と、どこまでも自分本位な回答が返された。
綾那とて颯月さえ居れば、悪魔になって半永久的に生きるのも、人間でなくなった事も別に構わないが――管理者という肩書だけは、どうにも荷が重い。
そもそも、綾那に責任ある立場は向いていないのだ。二番手、三番手ぐらいの位置で、のらりくらりと生きているのがちょうどいい。
四重奏として活動していた時はもちろん、こちらでアイドクレース騎士団の広報として雇われた時だって、気付けば陽香が責任者になっているのだから。
「リベリアスの水という水を管理する禅は、呼吸をするほど当たり前に適切なタイミングで雨を降らせる。綾も俺も、慣れればそうなるはずだ」
「颯月さんが管理しているのは、今まさに世界中で使われている電力という事ですか?」
リベリアスの空に、雲はない――という事は、雷雲だって発生しないはずだ。だから彼が管理すべきは、人間の生活に必要な電力のみ。
その割に南部セレスティン領では海上の上昇気流で台風が発生するらしいが、少なくともアイドクレースでは魔法以外で雷の音を聞いた記憶がない。
(世界中の電力を担うって、どういう心境なんだろう……? 「表」の日本にある電力会社だって複数社で力を合わせて賄っているのに、それをたった一人でって――な、なんか、北部にある氷だけ見ていれば良いなんて、すごく楽勝に思えてきたような)
リベリアスにだって各地域に雷の魔力を供給する施設は存在するものの、その大本が颯月ただ一人というのは、なかなかにブラックである。
タイミングを見計らって雨を降らせるというのも大変そうだが、世界で一秒たりとも電力が使用されない時間帯など存在しないだろう。
やはり彼は、人間を辞めてもマグロだけは辞められない宿命なのだろうか。そう考えれば綾那の管理する氷の、なんとヌルい事か。北部の海に浮かぶ氷を増やしすぎず、溶かさない――ただそれだけで良いのだから。
「やってみない事にはよく分かりませんけれど、なんだかできるような気がしてきました……?」
「ああ、そうだろうな。すぐに魔力の流れを掴んだ綾なら問題ない、ひとまず試してみよう」
綾那は大きく頷くと、颯月の指示に従ってリベリアスにある氷の存在を感知しようと、再び意識を集中させた。




