ギフトと魔法の違い
まるで、心臓から全身に向かって、血液が送られて行くように――丹田にあるらしい、マナを変換するための器官から全身に向かって流れる何か。
綾那がまだ人間であった頃、己の体内を巡る血液の動きなど一度も気にした事がなかった。いや、仮に意識したところで、血の巡る様子など感じ取れなかっただろう。
けれど、魔力の流れる様は不思議と上手く理解できた。意識を集中すると、スーッと清涼感のある何かが、体の深い所を巡っている感覚がするのだ。
果たしてコレが魔力全般に言える事なのか、それとも、綾那が氷魔法のみ使える悪魔だからなのかは分からない。しかし、ひんやりとしたモノの流れる様を感じるのは――いくら、暑さも寒さも気にならなくなった身とは言え――夜でも視覚的に暑苦しい砂漠だと、尚更心地が良かった。
手足の先まで送られた魔力は、やがて腹の底まで戻ってくる。そうして再び体の隅々へ向かって流れていくのだ。
冷たくて、清廉で、安心感と共に妙な全能感を覚える。自分はなんだってできる――そんな、傲慢さにも似た自己陶酔に飲み込まれたら最後、いとも簡単に溺れてしまいそうで危うい。
きっとそれこそが、魔力の制御を失うという事なのだろう。
チラと颯月の顔を見上げれば、彼は満足そうな笑みを浮かべて頷いた。
「なんだ、もう魔力の流れが分かったのか? 飲み込みが早いな。魔法とギフト――異なる力でも、恐らく根本は似ているんだろう」
「うーん……」
つい先ほど、ルシフェリアから超感覚的な指導を受けたばかりだったせいか、綾那は素直に頷けなかった。
例えば、魔法が武術に通じているとすれば、ギフトはもっと精神的な――スピリチュアル的な何かである。むしろリベリアスの魔法よりも、所謂ゲームのような『魔法』に近いのかも知れない。
起こす現象を正確にイメージする想像力が必要で、発動のためにどう身体を動かすべきなのか、熟知している必要がある。自分の扱うギフトひとつひとつの仕組みと発動効果を学習して、感覚的に使うと言うよりかは知識ありきの能力なのだ。
ただ、人並外れた膂力を得られて、特殊な嗅覚を発揮して、毒物薬物アルコール類の効果を打ち消すという――綾那のもつギフト、そして中身がいかにも脳筋タイプでお世辞にも頭脳派とは呼べないから、知力が必要な代物には見えないだけである。
特に渚のもつギフトや、アリスの「創造主」などは、確かな知識と想像力がなければまともに使いこなせない。ギフトとは本来、座学があって試験があって――とにかく頭を使う力なのだ。
「その調子なら、あまり時間はかからないだろう。正直、もっとヘリオドールで休暇を楽しみたいところだったが――まあ、幸い時間はいくらでもあるからな」
「……そうですね。これからずっと一緒に暮らせるんですから。二人きりでも、家族と一緒でも」
「ああ。ただ以前にも伝えた通り、少なくとも三年間はお前と夫婦水入らずで過ごしたい。特に今の俺は、もう少し悪魔の性質に慣れるまで様子を見ないと危険だ――例え血の繋がった子供が相手だとしても、綾に構われているのを見たら嫉妬で気が狂うかも知れない」
以前にも伝えた――と言うのは、恐らく綾那がまだ彼と出会って間もない頃にされた話だろう。リベリアスにやって来てひと月以上経ってから、陽香と再会したのち、彼女らと共に訪れた悪魔憑きの教会の庭でそんな事を言っていた気がする。
(子供が欲しくて仕方なくて、それで悪魔になったようなものなのに――今の颯月さん、そんなに私の事が好きなんだ)
元々愛情表現が過激な面は多分にあったと思うが、悪魔になった彼の熱量は今までの比ではない。
その執着ぶりが幸せで、あまり必死になられるとなんとも言えない優越感を覚える。少しでも気を抜けば「もう、困った人なんだから――」なんて、口元がだらしなく緩んでしまいそうだ。
実際「困った人」は、綾那にも当てはまるのだが――。
こちらを見下ろす赤い目は常に熱を孕んでいて、堪らなくなる。魔法の勉強をしている事も忘れて見惚れていると、まるで大型犬の相手をするように、両手でワシワシと頭を撫で回された。
綾那はくすぐったくて首を竦めたが、しかし頭を撫でていた手がまたしても耳に触れたので、体を跳ねさせる。
こんな砂漠のド真ん中で、妙な気分にさせられては困るのだ。止めさせるために颯月の両手首を掴んだが、力を入れてもビクともしないので焦りを覚えた。
(「怪力」……は、そっか、もう使えないんだ。ま、全く動かない――)
綾那は別に、身体を鍛えていた訳ではない。ギフト「怪力」に頼り切りで生活していたので、そもそも必死に筋トレする必要がなかったのだ。
颯月の両手首を掴んでいたはずが、いつの間にか掴まれているのは綾那の両手首の方になっていて。ひとつも抵抗できないままグググと両手を下ろされて、まるで他人事のように「普通の女性は男性に襲われた時、こういう無力感と恐怖を感じるものなんだ」と理解した。
「……悪魔になったのに、綾はすっかり弱体化しちまったな。あんまり可愛――か弱いと、心配になってますます離れられなくなる」
颯月は、とろりと目元を緩ませた。心配と口にしながらも、綾那を力ずくで思い通りにできる事を楽しんでいるように見えるのは、恐らく気のせいではないだろう。
まだ「怪力」があった頃は、この剛腕相手でも競り勝っていたのに――。颯瑛の問題で揉めていた時、「怪力」を使って彼をベッドに組み敷いた事だってあるのに。
「俺の心配を和らげるためにも、早いところ魔力制御と魔法の使い方を学ばないと。今の綾は、人間の男が相手でも簡単に組み敷かれちまう」
「うぅ……頑張りますけれど――本当に扱えるようになるのか、どうか」
悪魔憑きの子供達は、高価な魔石を何個も割って阿鼻叫喚の嵐だったではないか。魔法初心者の自分が、そう簡単に習得できるはずがない。
綾那が眉尻を下げれば、すっかり浅黒くなった頬を撫でられる。
どうやら、本気で抑えが利かないらしい。颯月は先ほどから、事あるごとに綾那に触れてばかりだ。
「肌色が変わっても、綾は綾だな。正妃様よりよっぽど焼けたのに、全く気にならん」
「あ――確かに、ちょっと颯月さんの好みから外れちゃいましたよね」
颯月は、アイドクレースらしく日に焼けた義母とかけ離れた、色白の女性が好きなのだ。しかし、彼はゆるゆると首を横に振った。
「いいや、ひとつも外れてない。早くホテルに戻って、綾に服を着せたい。元々、こういう姿になる事を見越して用意したんだから――だが、予想以上の可愛さだった。綾は悪魔になっても天使のままだな」
「もしかして、それで珍しく白や赤色の服を買っていたんですか? 颯月さんらしくない、意外な選色だとは思っていましたけれど……」
「ああ、そうだ。よく似合うだろうな――楽しみで仕方がない」
期待に満ちた眼差しで見られて、苦笑する。そこまで言われては、本腰を入れて魔法を習得しなければならない。
それから綾那はしばらくの間、颯月の指導に従って己の体内を巡る魔力に意識を集中させた。まるでヨガか瞑想でもしているような気分だったが、当然ながら基礎がなっていなければ、魔法の発動どころではないらしい。
結局、ようやく次のステップに進んでも良いと言われたのは、砂漠に降り積もった雪が半分以上溶けた頃であった。




