悪魔憑きの教会
第二章の始まりです。
まだ四重奏は再会すらできていませんが、今後もよろしくお願いいたします!
桃華の誘拐騒動から、三日が経った。
彼女を攫おうとした黒幕の存在、や「転移」もちの男達の目的など――いまだに分からない事だらけである。
現時点で分かっているのは、桃華の私室が危険だという事だ。あの部屋の座標は、既に犯人グループに把握されている。
桃華は安全のため、別館を出た。今後は両親と街で生活するそうだ。
しかし、騎士から離れるとかえって危険なのではないか――綾那はそう思ったが、なんと桃華の護衛に近衛騎士がつくらしい。
どうも彼女は今回の誘拐未遂事件で、ゆくゆくは王族と婚姻予定――つまり、未来の王族であると認識されたようだ。
絨毯屋のオーナーと娘、そして加担した少女達。彼らは全員、桃華を害そうと企んだ罪で収容所へと送られたらしい。
犯行推定時刻に絨毯屋の馬車が慌ただしく走り去る様子や、桃華の部屋で問答した少女らの様子などを動画に収めていたため、罪を追及するのに苦労しないとの事。
もちろん、攫われたのは桃華ではないという設定は生きている。だから、彼女が攫われるまでに至った催眠毒入りのポットが映った部分は、全て映像からカットした。
今後、少女らが消えた茶器について言及する可能性はあるが――証拠品は全て「転移」でどこかへ消えたので、無意味だろう。
例え後からポットが出てきたとしても、騎士が部屋を検分した時点で存在しなかったものが、まともな証拠品として機能するはずもない。
絨毯屋のオーナー達は、これから国の機関によって犯罪被害の大きさ、刑罰の重さなどを慎重に協議されるのだという。桃華の代わりに被害者役を演じる綾那は――犯人に暴行されていないと証明できないため、精神的苦痛を考慮して――代理人を立てたので、証言台に立つ事はない。
二十歳に満たない幸成は、現在正しくは桃華の婚約者ではない。しかし颯月の言った通り、彼と桃華が婚約した際につくられた誓約書には、「婚約期間は幸成が成人するまでと定める」と明記されている。それが、桃華の立場を示す公的証明書になるそうだ。
その桃華を害そうとしたのだから、罪は軽くないだろう。
そして、賊――元アデュレリア騎士団の面々は、アイドクレース騎士団へ入団する事が決まった。通行証、そして仕事を欲する彼らと、人手不足に喘ぐアイドクレース騎士団の利害が一致したからだ。
彼らは桃華誘拐の実行犯だが、やむを得ない理由もあって情状酌量の余地がある。それに何より、彼らが除名処分となった流れもきな臭い。桃華を狙う黒幕の存在も謎のままだし、また通行証を餌に利用されるよりかは、颯月の手元に置いていた方が安心なのだ。
彼らはひと月以上も野宿を強いられていたため、衣服は汚れて、ヒゲも髪も伸び放題の、いかにも無法者といった佇まいだったが――身なりを整えた今は、なかなか爽やかな好青年になっているらしい。
「らしい」というのも、綾那はまだ、アイドクレースの騎士になった彼らと会えていない。人伝の話でしか状況を把握できないのだ。
その綾那は、颯月らが事件の後処理に追われているせいで――保護観察こそ終わったものの――いまだに無職のままである。いつになったら『広報』として活動する事になるのだろうか。そんな不安を抱きながらも、相変わらず悠々自適な生活を送っている。
恐らく今日も、食事の時間以外は一人で部屋に放置される事だろう――と、思っていたのだが。
「綾、疲れてないか? ずっと宿舎に閉じ込められて、体が鈍っているだろう」
「ありがとうございます、平気ですよ」
まだ後処理で忙しいだろうに、いきなり颯月が部屋までやって来た。初めは一体何事かと身構えたものの、彼は約束通り、悪魔憑きの子供が保護されているという教会に案内してくれるらしいのだ。
(はあ……今日も、宇宙一格好いい)
己の歩幅に合わせて横を歩く颯月を見て、綾那はそんな事ばかり考えた。
彼は今日も、禁欲的な漆黒の騎士服を身に纏い、金髪混じりの黒髪をハーフアップにしている。
綾那は正直、まだ悪魔憑きについて詳しく知らない。しかし、正にその悪魔憑きだという颯月がこれほど麗しい容姿なのだ。これから案内される教会の子供達のポテンシャルは、いかほどのものか。きっと末恐ろしい――いや、将来有望な子供達に違いない。
「教会に居るのは、どんな子達ですか?」
「どんな――まあ、生意気なガキ共だ」
「わあ、元気いっぱいなんですね。楽しみだなあ」
「綾、子供の相手は得意か? ――いや、得意だろうな」
僅かに目元を緩ませた颯月に、綾那は笑みを零した。
伊達に、四重奏のメンバーから「お母さん」、「オカン」と呼ばれていない。元々子供好きというのもあるが、どんな生意気なキッズだろうと絆してしまう綾那の包容力は、正に底なし沼である。
「子供達は、どうして教会に? マナの過剰吸収の防ぎ方や、快適な過ごし方を学ぶために、預けられる決まりがあるのですか?」
「表」でも、ギフトの使い方を学ぶために幼少期から国の機関へ預けられる事がある。それは「怪力」もちの綾那もそうだったし、ギフトを複数もつ神子は、必然的に学ぶ事も多くなる。
綾那が四重奏のメンバーと出会うキッカケも、このギフトに特化した国の教育機関だった。
放っておくと無限にマナを吸収して苦しいらしいし、きっと悪魔憑きも、正しい知識がなければまともに生きられないのだろう。しかも本人が苦しむだけに留まらず、この世界の大気中からマナが減るというのもよくないはずだ。
「いや――親に捨てられて、他に生きる術がないからだ。言っただろう? 悪魔憑きは見た目が異形になると」
「えっ」
全く想像していなかった理由に、綾那は目を丸めた綾那。隣の颯月をじっと見上げて、そのタイプで仕方がない尊顔を隅々まで見て、ほうと熱っぽい息を吐いて――それから、ようやく訊ねる。
「でも、颯月さんも悪魔憑きなんですよね?」
「ああ――黙っていて悪かったな」
「うーん、颯月さんがあまりに見目麗しすぎるから、異形と言われてもイマイチ分からなくて。格好良すぎて周りが耐えられなくなるという事でしたら、一理ありますが――」
「……アンタはまた、そうやって軽率に男を口説く」
「いえ、口説いているんじゃなくてただの事実なんです、コレは」
例えば、颯月の眼帯の下――右目から、ヴェゼルの体の一部のような地球外生命体が顔を出しているというならば、少々話は変わってくる。その可能性を考えると、失礼ながら彼にはこのままずっと眼帯を付けていて欲しい気さえする。
綾那がまじまじと颯月の顔を観察していると、彼は居心地悪そうに顔を逸らしてしまった。
「実物を見た方が早い――ああ、ガキ共が気にするから、そのマスクは外しておいた方が良いぞ。この辺りなら人通りも少ないし、問題ないだろう」
「分かりました」
綾那は、颯月の助言通りにマスクを外すと、黙って彼の隣を歩いた。
◆
颯月に案内されたのは、お世辞にも美しいとは言えない、やや廃れた教会だった。
付近にいくつか民家が建ってはいるものの、全体的にがらんとしていて空き家が目立つ。教会の入口へ続く苔むした石畳は所々割れていて、ステンドグラスも曇って見える。
教会は、周囲の目だけでなくて経営にも問題があると言っていたが――確かにこれは、見るからに経営難だ。素人目にも分かるほど建物の老朽化が激しい。
「あの……颯月さん。この石畳は、子供達が躓くと怪我をして危ないと思います」
「俺も思うが、神父の頭が固くてな。ただ、古びた外観に反して中は小綺麗にしてある。ガキ共の遊び場は廃れた表じゃなく、整備された裏庭の方だし……ここの神父は、建物に金使うよりもガキ育てるのに金使った方が、よっぽど有意義だと思ってんだよ」
神父。
敬虔なクリスチャンではない綾那にとって、あまり馴染みのない言葉だ。しかし、教会なのだから、それを取り仕切る神父が居て当然だ。
颯月に話を聞いたところ、悪魔憑きを保護する教会には国から補助金が支払われるらしい。この教会も例に漏れず、援助されているのだが――調子に乗って贅を尽くすと、周囲の人間から白い目で見られるそうだ。
この建物が古びている理由は、みすぼらしい建物の方が「やはり悪魔憑きは、ただ生きていくだけでも大変なのだ」と、僻みよりも同情を買えるから。
(なるほど、でも、そうか。神子だって、事あるごとに「ずるい」って言われて大変だもん……きっと悪魔憑きも、普通の人と違って生きづらいんだろうな)
颯月の説明に納得していると、教会の扉がギィイと軋む音を立てて開かれた。建物の中から姿を現したのは、首から足首までの長い外衣に身を包んだ、痩身の男性だ。黒一色、まるで「表」の学生服のような立襟のそれは、司祭の平服なのだろうか。
彼はきっと、この教会の神父なのだろう。それは分かるが、とにかく痩せすぎである。
日に焼けた肌に、黒尽くめの服に、黒髪。収縮色だらけで余計そう見えるのだろうが、神父の立ち姿はまるで、今にも折れそうな枯れ枝である。頬は痩せこけているし、目の下には濃いクマ。言い方は悪いが、枝でなければ幽鬼のようだ。
神父は、表庭に颯月の姿がある事に気付くと、切れ長の目を更に細めてため息を吐いた。
「また来たのか、不良騎士め……職務怠慢にも程があるんじゃないのか」
「失礼な、これも職務の内だ」
「他にもっと、やるべき事があるだろうに――おや、そちらのご婦人は? お前が供を付けるなんて、珍しい事もあるんだな」
綾那に気付いた神父は、不思議そうに首を傾げた。近くで見れば見る程、本当に顔色が悪い。栄養状態に問題はないのだろうか。
綾那は彼の健康状態を案じながらも、ぺこりと頭を下げた。
「綾、コイツはこの教会を取り仕切る神父――静真だ」
「お初にお目にかかります、綾那と申します」
「綾那さん、ですか。初めまして」
静真はニコリと微笑んだ――ように見えたような気がしなくもないが、顔色の悪さと目の下のクマのせいで、どうにも判断しづらい。
「綾は訳あって、ウチの騎士団で預かっている女なんだが――今日は、アンタと話す間ガキのお守りを任せようと思ってな」
「何? いや、しかし――は? オイ待て! その指輪、お前……!?」
戸惑った様子で綾那を見た静真は、その左手に嵌る指輪を見て目を見開いた。そして次に、信じられないという驚愕の表情で颯月を凝視すると、震え声で問いかける。
「け……結婚、するのか? あの颯月が――?」
「えっ!? い、いいえ、私は」
「いや、綾が合意せん内は無理だな。俺は結婚するのも吝かではないんだが」
「颯月さん!?」
「は? 合意していない? そ、そんな状態で、どうやって「契約」を発動したんだ?」
「綾は、全く人を疑わん天然記念物みたいな女なんだ。俺が保護してやらないと、一人ではとても生きられない」
「お前今、何の話をしているんだ……??」
その、全く人を疑わない綾那を騙して「契約」したのは、他でもない颯月である。
涼しげな表情で宣う彼を見て、綾那は目を眇めた。しかしすぐさま「まあ、でも確かに、保護してもらわないと生活できないのは、間違いない――」と思い当たると、小さく息を吐いた。




