特典とは
これは、本当に抗い難い快楽だ。ぼぅっと頭の芯が痺れて、颯月の他には何も考えられなくなる。
今なら、ヴィレオールがあれだけ頑なだった理由がよく分かるというものだ。知的好奇心をひとつ満たす度に、こんな多幸感に侵されていたら――それは探求を止められなくなるはずだ。
(そう考えると、ヴェゼルさんの精神力って物凄いのかも。眷属という名のお友達を作って、千切って遊ぶだけで楽しくて仕方がなかったはずなのに――ただ人間になりたいからって、自らの意志で悪魔を辞めたんだもの)
素直に尊敬してしまう。例えば、綾那がこの幸せな沼から抜け出すためには、不屈の精神力と強い自制心を要する事だろう。
「君達が抱えている欲望の性質上、もう二度と離れて暮らせないでしょう? そうして一緒に居れば居るほど颯月のビョーキは悪化するし、綾那のビョーキも同じように悪化する」
「……病気扱いはやめてください、ただ愛し合っているだけです」
「はいはい、尊い、尊い」
つい先ほどまで颯月の勢いに押されていたが、己の欲望を正しく理解した今ならば何も恐れる必要はない。ルシフェリアの反応がぞんざいなものでも構わない、颯月さえ居ればそれで良いのだから。
綾那は颯月の背に両腕を回して、ギュウとしがみついた。すると綾那を捕らえる腕にも力が籠って、頬が緩む。
「君らには人間だった時の記憶や経験があるし、悪魔になっても人間に優しくできるだろうけれど……でもまあ、妙なちょっかいを出されなければ――という条件付きかな。人間って好奇心旺盛で可愛い生き物だから、たまに命知らずな行動を起こす子が出てくるんだよね」
「そういった輩は俺の精神衛生上、あらかじめ物理的に距離を取らせた方が良いと思うがな。アンタなら事前に分かるはずだろう? 危険分子なのかどうか」
「その辺りは、君らで上手くやりなよ。一応しばらくは人間に混じって生活するつもりなんだからさ。まず、いくらお気に入りとは言え――いつまでも僕が傍に居て手助けすると思ったら、大間違いだよ? 今回の事は、リベリアスを守るために仕方なかったんだ。世界を創造した者の責任として、関わらざるを得ない部分だったから」
ルシフェリアはそのまま、「死んだ君らをこうして蘇らせた事だって、悪魔――管理者としてだから、ルール上問題ないだけだよ」と息を吐いた。
本来、この天使の力をもってすれば、死者だろうがなんだろうがいくらでも蘇らせてしまえるに違いない。例えばそう、亡くなってしまった輝夜だって。
しかし、可能であっても決して実行に移さないのは、そんな事をし始めたらキリがなくなるからだろう。
明らかに依怙贔屓を感じる場面は多いものの、それでも我が子は平等に愛しいというルシフェリアの事だ。一人でも蘇らせてしまったら最後、誰彼構わず手心をくわえてしまうに違いない。
死者が一人も出ない国というのは、ある意味では理想郷と呼べよう。ただそれと同時に、一切の変化が起こらない停滞した――至極つまらない世界でもある。
(つまり、この世界を維持するためには悪魔の世代交代が必須だったから、特別に私達を蘇らせたけど……今後手厚いアフターサービスまで受けられると思うな――と)
基本的なスタンスは、あくまでも「できるだけ働かずに箱庭を観察したい」である。それが唯一無二のルールなのだから、仕方がない。
「それならいっそ、俺と綾が新天地へ行けば良いのか。二人だけの世界で暮らせば、毎日幸せで堪らないだろうな」
「王都へ家を建てているところだって言ってなかった? 結婚式だって――色んな計画を立てて頑張っていたのに、全部投げ出して他所へ行くのは勿体ないじゃないか」
「…………王都は、人と姑が多すぎるから難がある。綾を閉じ込めておきたくても、許してくれないヤツらばかりだからな」
頭上から至極憂鬱そうな声が降ってきて、綾那は笑みを漏らした。当然、四重奏は颯月の暴挙を許さないだろう。いくら綾那本人が「これで良い」と言ったところで、誰の目にも付かぬ所へ閉じ込めるなど納得できる訳がない。
(颯月さんが「家族から永遠に奪う事になっても良いか」って言っていたのって……二人揃って悪魔化する事が決まっていたからなんだ)
とりあえず向こう数十年は王都で人間として暮らす予定らしいが、しかし綾那は、どうしたって四重奏と同じ寿命で死ねないだろう。例えば、いつか老衰した彼女らを看取る事になり悲しみに暮れたとしても、後を追う事は許されないのだ。
何故なら、綾那はもうリベリアスの『氷』を管理する存在なのだから――ではなく、そもそも颯月が許さないから。
「それにほら、やっぱりなんでも揃う王都の方が楽しいんじゃない? 子育てするのにはさ」
「……子育て?」
綾那が不思議に思っていると、不服そうな声が鼓膜を震わせた。
「どうして先に言うんだ。いつか何も知らない綾那を孕ませた後、妊娠したと言って喜ぶ姿を思う存分愛でるつもりだったのに」
何やら危険な発言にチラと顔を上げれば、不機嫌さを隠そうともせずに眉根を寄せた颯月と目が合う。そのまましばし見つめ合っていたが、彼はやがて目元を緩ませると、綾那と額を突き合わせてはにかむように笑った。
(そうだ、もう悪魔憑きじゃない……悪魔だ。しかも、体そのものが新しく創り直されているって事は――)
つまり綾那は、颯月の子供を孕めるのか。彼が欲してやまない、血の繋がった家族を増やしてやれるのか。
それを理解した途端に、不思議と涙が溢れた。あれだけ「颯月さえ居れば良い」「子供を産めるかどうかはさほど問題ではない」と思っていたのに――いざ子が産めるようになったと聞かされると、嬉しくて仕方がなかった。
いつか綾那も、正妃のような母になれるのだ。我が子を慈しむ彼女の姿は何よりも貴く、美しかった。
果たして悪魔の子供が何になるのかは分からないが、何が生まれようとも構わない。他でもない颯月と共につくった子供であれば、どんな種族だろうが、どんな姿をしていようが、愛しいに決まっているのだから。
(悪魔の特典、やっぱりコレだったんだ)
――であれば、いつまでも颯月の事を怒ってはいられない。早く何もかも呑み込んで、己の身に起きた事を受け止めて、王都へ戻らなければいけないだろう。




