悪夢再び
綾那の目は、ある場所へ釘付けになった。外気温はこれでもかと高いはずなのに顔面蒼白で震えながら、今まで颯月を映していたレンズが、ギギギと店先へ向かう。まるで油の切れたからくり人形だ。
その動きを追った颯月もまた店先を見やると、「ああ」と納得した様子で呟いた。店先に並んでいるのは、いかにも食べ歩きに特化していそうな串だ。夏祭りで見かけるチョコバナナやりんご飴のように、綺麗に陳列されている。
それは、こんがりとウェルダンに焼かれて――いや、揚げられているのだろうか?
料理と言うには簡単すぎる調理法だが、こういう場所で売られているものは、やたらと美味しそうに映るものだ。綾那とてレストランで食事を終えていなければ、大いに出店巡りを楽しんだ事だろう。
昨日ホテルの冷蔵庫に入っていた地酒についてもそうだが、ヘリオドールならではの食べ物も多いはずだ。
ただでさえ交通機関の発達していない世界だし、ここでしか飲食できないモノだと言うならば、心ゆくまで楽しみたい。そういう画を撮って実況する事こそ、スタチューバーの仕事とも言えよう。
――ただしアレは、スタチューバー案件の中でも特に変わり種だ。どのような動画で扱うのに適しているかと問われれば、それは間違いなく罰ゲームの瞬間で。
「ほら、前に話しただろう? 日常的に蜘蛛を食べる地域があると」
「並んでるの蜘蛛だけじゃありません、サソリもたくさん――」
「綾、サソリは『節足動物門鋏角亜門クモ綱サソリ目』だから、大分類で言うと蜘蛛の仲間なんだ」
大真面目に謎の知識を披露する颯月の横で、綾那は内心「そんな話がしたい訳ではありません」と思いつつ軽い眩暈に襲われた。
ルシフェリアは「もう蜘蛛を食べさせる事はない」と言っていたはずだが、果たして本当に信頼できるのだろうか? 綾那が油断しているところへ、またしても酷い罰ゲームを放り込んでくるつもりではないか?
否が応でも、セレスティンで食した猛毒仕込みのポータータランチュラとかいう魔物が思い出される。大きさはそれほどなかったが、生きたまま踊り食いするハメになったモノ。口内で弾けた色々な液体や、足を覆う細かな毛など、ひとつひとつ思い出す度に綾那の顔から血の気が引いて行く。
あの試練を乗り越えたからこそ、家族――主に渚――に颯月との結婚を許可してもらえたとは言え、できる事ならもう二度と味わいたくない一品であった。
(いや、揚げたヤツとか乾燥したヤツとかなら、正直「表」で何度か食べた事あるんだけどさ)
なんならカエルもヘビも、昆虫だって食べた事がある。生きたままの踊り食いでなければ、動画の検閲にも引っかからないので、四重奏のメンバーは軒並みそういったものを口にしているのだ。
――しかし、だからと言って、慣れているのかと問われれば絶対に頷けない。
店先には、以前綾那が食したものとは比べものにならない大きさの蜘蛛も並んでいる。タランチュラ級にしっかりした脚で、恐らく間近で観察すれば卒倒してしまうだろう。
サソリも大小様々なものが取り揃えられていて、何やら、彼らの関節のくびれを見ているだけで鳥肌が立ってくる。尖った尻尾の先も両手についたハサミも、凶悪すぎるではないか。
まず、大分類で言うとあれらも蜘蛛だと聞かされて、尚更寒気がする。
「この辺りは降雨が望めないから、野菜を育てにくい。牧草地がなければ、畜産だって簡単ではないし――レストランやホテルで出された料理にも、干物や燻製、珍しい野菜を使ったものが多かっただろう? ヘリオドールは、食に対する意識も焦りも、他所とは大違いだ。確かに『料理』としては見慣れない姿だと思うが、あれらは栄養価が高いと言われている」
「それは、まあ、分かるんですけれど……「表」でも、食糧難を救うだろうって言われていましたし――あの、私、本当にもう食べなくて良いんですよね? 仮にまたポータータランチュラが出たとしても、シアさんの「解毒」の方がよほど強力ですし……ね?」
小刻みに震えながら問いかける綾那をじっと見下ろして、颯月は考える素振りを見せた。そうしてややあった後に「俺もそういった話は聞かされてないから、平気だろう」と返されて、ひとまず安堵する。しかし。
「――あ」
「え? な、なんですか?」
「ああ……いや、良いんだ。使い道があるかも、と思っただけで……気にしないでくれ」
「使い道? よく分かりませんけれど、ええと、もうホテルに帰りましょう?」
「撮影は良いのか?」
「も、もう十分です。街の雰囲気は収めましたし、ここでしか売っていないような珍しい食べ物も撮れましたし、演者は宇宙一カッコイイ男性なんですから、誰の文句も受け付けません。私は既に、最高のヘリオドール観光動画を撮影しました」
いつかルシフェリアに言われた、『引き寄せの法則』。このまま、出店に並ぶ蜘蛛を眺めながら「もしも食べさせられたらどうしよう? 絶対に嫌だ」なんて考えていると、冗談抜きで取り返しのつかない事態を引き起こしそうだ。
(もしこの場に陽香達が居たら、「おいアレ、罰ゲームに丁度いいじゃん! これは動画が盛り上がるぞ!」なんて言いながら買いに走ったかも知れないな――)
想像しただけで身の毛がよだつ。何故だか知らないが、彼女らはまた結託して綾那に罰ゲームをやらせようとする気がしたからだ。「今度は踊り食いじゃないから、広報動画的にもアリだ」とかなんとか言いながら。
さっさとホテルへ戻って、あの串焼きの事は頭の中から追い出してしまうに限る。
「ああ、分かった。俺もアレを見ると、つい綾の泣き顔を連想しちまうから……一刻も早く帰りたいと思い始めていたところだ」
「………………あの日の事は忘れてください」
項垂れる綾那の横で、颯月は「無理に決まってるだろ?」と上機嫌に嘯いたのであった。




