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更なる愛情表現

 一体、その小さな体のどこに空き容量があるのか――いつ見ても、ルシフェリアの胃袋はブラックホールである。この天使のがっつき方は、なんとなく大家族の殺伐とした食事風景を思い出させる。

 綾那も颯月も、さほど食い意地が張った方ではないから心配無用なのに、「奪われて堪るか、喰われる前に喰う」と言わんばかりの勢いで食べるのだ。


 既に自分の食事を終えた颯月は、一人掛けのソファに深く腰掛けて一服中だ。彼は、皿に載った料理を片っ端からガツガツと片付けるルシフェリアを眺めつつ、「なあ……」と、どこか戸惑いがちに声を上げた。


「――創造神。また綾に、何か妙な事を吹き込んだんじゃあないだろうな」

「んむ? むぐ、んぐんぐ……失敬な。そもそも、妙な事ってなんだい? 例えば?」

「何と聞かれると困るんだが……なんと言うか、こう――あまりにも」


 颯月は言い淀んだ。そうして逡巡したのち、己の胸元で交差する真っ白な腕を撫でた。食事を終えてからというもの、彼の背中には綾那がピッタリと張り付いて離れない。

 それはもう、ピッタリと――()()とは言わないが、颯月の後頭部だか肩だかその辺りに、柔らかいものがこれでもかと押し付けられている。


 颯月はその感触にギュッと目を閉じた後、噛み締めるような掠れ声で「あまりにも、サービスが良すぎる」と呻いた。

 ソファに座る彼に中腰で抱き着いていては、角度的に体が疲れてしまう。それでも綾那は、ギュウと颯月に引っ付いて離れない。人前でこれほど『バカ』になるなど、今までになかった事だ。

 ――いや、思い返せばそんな事もなかったかも知れない。


 そんなバカップル、もといバカ夫婦に、ルシフェリアは目を眇めて大きなため息を吐き出した。


「さあ……新婚旅行に浮かれているだけじゃあないの? 旅の恥は掻き捨てと言うからね」

「そうだとすれば、俺はもう一生王都へ帰らなくて良い。ずっと旅をしていれば、綾は正気を失ったままだ」

「仕事中毒の君が? 全く、心にもない事を言う」

「本心だ。綾が俺を積極的に求めてくれるなら、他には何も要らない」


 颯月は言いながら、悦に浸った様子で綾那の指を絡めとった。綾那はと言えば、まるで猫が甘えるように――いや、マーキングの一種だったか――彼の旋毛(つむじ)に額を押し付けて囁く。


「あー……創造神。悪魔探しは日を改めないか? 俺の妻が可愛すぎて、今日はこのまま終日ホテルで過ごした方が良い気がする。いや、しないとダメだ。こう――綾のクーパー靭帯(じんたい)は、俺が支えてやらないといけないんだ」

「ダメ、今日から始めるの。昨夜十分楽んだんでしょう? バカもワガママも言わないでよね」


 ルシフェリアは憮然とした表情で「何がクーパー靭帯だ、全く、遠回しな言い方だと余計酷いスケベに聞こえるよ」とぼやいた。すぐさま「男がスケベで何が悪い」という反論が飛んだが、男児は完全にスルーして食事を再開する。

 ちなみに、クーパー靭帯とは乳頭、大胸筋、皮膚とつながったコラーゲン繊維でできた結合組織で、女性の胸を重力から守る役目を担っている。これは、伸びたり切れたりすると二度と元通りにはならないので、加齢と共に胸が垂れ下がるのはクーパー靭帯の損傷が原因だ――なんだ、この話。


 閑話休題。

 綾那が必死に考えた結果、「颯月にもっと愛されるためには?」という問いに対する答えは、「今まで以上に激しく愛情表現をする」であった。

 これが正解か否かは別として、颯月本人はこれでもかとダメージを食らっている様子だから、まあ、それほど間違ってもいないのだろう。果たして、ダメージを与えてどうするのか? という疑問には気付かぬ振りだ。


「はあ……全く、面倒な仕事を請け負ったもんだ。新婚生活に水を差されるなんてな」

「頼んだ仕事をこなしてくれるなら文句はないし、邪魔をするつもりもないよ。しっかりやり遂げたら、後はご自由にどうぞ。それに、好きな食べ物って「おかわりしたいな~」ぐらいで辞めておくのが一番でしょう? あんまりがっつくと、すぐに飽きちゃうかもよ」


 ルシフェリア自身が現在進行形で食事にがっついているため、説得力は皆無である。颯月は小さく鼻を鳴らすと、背もたれ――というか綾那にもたれかかった。


「おかわり? 俺は毎晩、最高の料理を味わっている最中に「閉店です」と追い出されたぐらいの気持ちで居るんだが?」

「…………綾那さあ、そうやって誘惑する前に、まず体力をつけた方がよほど喜ばれるんじゃあないの? 君の体感がどうなのかは知らないけれど、少なくとも颯月の方は毎晩不満に思っているみたいだけれど」

「私にもそんな事を考えた時期がありましたけれど、颯月さんの体力は無尽蔵なので、努力したところで付け焼き刃の無駄骨だと思います」

「はあ、それは――これからも苦労するだろうね、君は」


 綾那は笑みを漏らして「幸せな苦労なら、いくらでも受け止めたいです」と囁いた。

 すると、ついに耐えられなくなったのか――颯月はおもむろに立ち上がると、綾那に向き合った。そうして綾那の体を抱き締めながら発した言葉は、「創造神、今から一分間だけ食事に集中していろ」だ。


「確かに、新婚の部屋にお邪魔した僕が悪いんだろうけどさ……なんだか、本当にこの先が思いやられるよ」


 そこから一分間、部屋の中には、リップ音と時折漏れる甘い息遣い、そしてルシフェリアの長いため息と、食器のぶつかる音だけが響いた。



 ◆



 渋々チェックアウトした一行は――と言っても、ルシフェリアだけは「ねえ、もう良いでしょう。早く行くよ」と急かしていたが――首都の外へ広がる砂漠地帯までやって来た。


 昨夜とは違い、綾那の服装は現地の環境に則したものになっている。体のラインに沿った半袖のTシャツに短パンと、シンプルな装い。その上には、ヘリオドールでポピュラーらしい透け感のある生地でつくられた長袖のジャケット。

 これには、強すぎる日差しと乾燥から肌を守る役割があるらしく、長袖でも透けているお陰で通気性は抜群だ。寧ろ、なんらかの魔法陣が編まれているのか、身に着ける事によって涼しさが増している。

 ヘリオドールの女性は、まるで下着姿かと思うような格好の上にこの透けた羽織を着ている者も多いようだ。羽織のせいで余計煽情的に見える気がしなくもないが、そういう文化なのだと思えばそれまでである。


 肌が焼けて赤くなると良くないからと、現地で購入した日焼け止めも塗りたくったし――というか、綾那以上に神経過敏な颯月に塗りたくられたと言うべきか。とにかく、暑さと日差し対策は万全であった。


(それに何より、ヴェゼルさんの氷魔法が本当に快適)


 首都を出て、砂漠で合流したヴェゼル。やり過ぎて雪を降らせれば、また綾那が風邪をひく恐れがあるものの――前回の失敗で学んでいるのか、一行の周囲にはどこからともなく涼しい風が吹いてくる。


「なあ、ルシフェリア。やっぱり兄貴、殺しちまうのか?」

「どうかな。でも、話が通じる子じゃあないのは分かっているでしょう」

「他に方法がないのは、分かるけど……なんか、変な感じだな」


 久しぶりに見るヴェゼルの表情は、当然ながら浮かないものだった。近いうちに兄が亡き者にされるかも知れないと聞かされれば、その胸中は複雑だろう。

 厳密に言えば血の繋がりはないのかも知れないが、ヴェゼルとヴィレオールは、ルシフェリアに創り出された悪魔の兄弟だ。仲が良かったのかどうか、その関係性は謎だが――少なくとも、東部アデュレリアでは一緒につるんで悪さをしていたらしい。


「これはヴェゼルのためでもあるんだから、腹をくくりなよ。この先も楽しく生きて行きたいならね」

「……分かってるよ」

「シアさん、もしかしてヴェゼルさんを脅迫したとか……? 強制している訳ではありませんよね?」

「失敬な! 僕は、この子自身の望みを叶えてあげているだけだよ!」


 当然のごとく颯月の腕に抱かれて移動する男児を見て、綾那はつい眉尻を下げた。しかしすぐさま反論が返って来たので、「それなら良いですけれど――」と、曖昧に微笑む。

 颯月相手にあんな契約を持ちかけているぐらいだから、悪魔ヴェゼルにもなんらかの無茶ぶりをしているのでは? と、疑わずにはいられなかったのだ。


「それで、辺り一面砂しかない訳だが――どこへ向かえば良いんだ?」

「ちゃんと案内するから、僕に任せておいて。あくまでも今日は、準備期間――予備日みたいなものだから」


 ルシフェリアの言葉に、颯月は「じゃあ、俺と綾の時間を邪魔する必要なかっただろう」と独りごちる。しかし、男児は一切気にした様子がなく、「君らのためでもあるんだからね」と(うそぶ)いた。

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