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納得せざるを得ない

 ヴィレオールに成り代わり、颯月が新しい悪魔となる――それが、彼とルシフェリアの結んだ契約らしかった。


 色々と思うところはある。何故そのような? とか、どうしてなんの相談もなしに? とか、本当に色々だ。しかし、中でも綾那の心を占めたのは――不死身ではないにしろ――不老になる颯月との()()は避けられない、という悲しみであった。


 例えば聖獣の白虎や悪魔ヴェゼルを見る限り、彼らは姿こそ人外に変化(へんげ)できても、その年齢を操っている様子がない。恐らく、聖獣なり悪魔なり人ならざるものとして創られた時の肉体年齢から、変える事ができないのだろう。


(私だけお婆さんになっちゃうんだ……)


 綾那一任だけ年老いて若さと美貌を失えば、いつか颯月に見限られてしまうかも知れない。人であれば同じ時を生きられたのに、彼は綾那の死後も悪魔として生き続けるのだろうか。その先の世界で新しい伴侶を見つけて、綾那と同じように――それ以上に深く愛する事もあるのだろうか。


 綾那は、自身の左手薬指に嵌る指輪へ目を落とした。今は「契約(エンゲージメント)」で紫色に輝く魔石も、いずれ色を変えてしまう。色の変化だけならば構わないが、気持ちの変化までは耐えられない。

 魂の隷属魔法と言ったって、執行者の綾那が没すればなんの意味ももたない指輪になる。彼の指を彩る桃色は真っ黒に塗り潰されて、拘束力を失うだろう。


 ただ老いないというだけで、仮に酷い傷病を負えば、悪魔も聖獣も死ぬらしい。しかし、この世界の『雷』を背負うと決めた男が――あの仕事中毒の男が、そう簡単に役目を投げ出すとは思えなかった。きっと綾那の後追い自殺なんてしてくれないだろう。

 颯月は、これから悠久の時を生きるのだ。あまりにも長すぎる時間は、彼の頭から綾那の記憶を奪い去ってしまうに違いない。黒い魔石のついた指輪をいつまでも嵌めて、輝夜を想い続ける彼の父のようにはなれないはずだ。


(私が居なくなった後の世界なんて、考えても仕方がないけど――)


 別に、綾那の死後の世界で彼がどう生きようが関係ない――と言えば、それまでだ。まるで声なき幽霊のように、精神だけでこの世界を漂わなければ。死と共に綾那の意識が消滅するならば、それで良い。

 ただ、彼が他の誰かと寄り添うかも知れないと想像しただけで、どうしようもなく辛くて、不快で、嫌だった。とても「あなたの幸せを願っています」なんて言えない。最期の時「どうか永遠に孤独でありますように」と、彼の不幸を願う可能性の方がよほど高かった。


「どう……、どうして、ですか?」


 ポロリと、大粒の涙が零れた。ようよう漏れたのは、酷く震えた呟きだけである。ルシフェリアはほんの少しだけ困ったように笑って、眉尻を下げた。


「先に言っておくけれど、僕が無理強いした訳ではないよ? しっかりと()()を伝えた上で颯月が納得して、頷いただけ。まあ、契約を持ちかけた時期は悪かったかも知れないけれど――」


 綾那が泣いたせいだろうか。珍しく気まずげに目を逸らした男児に首を傾げれば、少しの沈黙ののち返ってきたのは「綾那が風邪なんてひくから」という呟きだった。

 その言葉だけで、綾那は腑に落ちないながらも理解してしまった。もし自分が颯月と逆の立場だったら、絶対に同じ選択をしたに決まっているのだから。


(もしも颯月さんが一週間以内に死ぬって言われたら――でも、シアさんの力を借りれば助かると分かったら)


 運命を受け入れて死なせるか、抗って救うか。そんなもの、迷うまでもない。いずれ彼と死に別れる時が来るとしても、その時は()ではないと叫ぶだろう。一分一秒でも長く共に()りたい、ただそれだけだ。


 颯月が綾那になんの相談もせずに決めてしまった理由も、なんとなく察してしまった。「綾を救うには、こうするしかなかった」なんて、話せないではないか――そんな事を言えば、綾那はこれでもかと気に病んだだろう。今まさにそうであるように。

 風邪をひかなければ。「解毒(デトックス)」なんて面倒なギフトを持っていなければ。こればかりは生まれついたものなので言っても詮無き事だが、考えずにはいられない。


 ルシフェリアは『特典』と言ったが、そもそも綾那の命を救う事自体が何よりもの特典であったに違いない。それ以上のメリットなんて存在しないだろう。


(私のせいで、颯月さんが悪魔に)


 もういっその事、綾那も悪魔にしてくれないだろうか? ちょうど『氷』の管理者ヴェゼルも悪魔を辞めたがっているらしいし、意外と悪くないのではないか?


 綾那はそう思ったが、しかしすぐさまその考えを否定した。「表」出身の綾那には、魔法を使うための器官が備わっていない。この世界の『氷』を管理するというのは、つまるところ氷魔法の元締めになるという事だ。

 ルシフェリアは先ほど、悪魔になるための条件のひとつに「とっても魔法が得意である事」と言っていた。魔法を扱えない者に、そんな役目が務まるはずもない。


(この際、颯月さんが私に相談してくれなかった事は良い。悪魔になると決めた事も――でも、本当に納得しているのかな)


 必要に迫られて、他に方法がなくて、消去法で。そんな理由で彼が人生を棒に振ってしまったのかも知れないと思うと、どうしてもやり切れなかった。

 どこかにモヤモヤをぶつけたくとも八つ当たり先のアテがなくて、綾那は落ち込むばかりだ。


 ――そもそもの話、諸悪の根源はなんなのか。綾那も悪いと言えば悪いが、体質や体調の事までいちいち責められていてはキリがない。では、颯月に無茶振りをしたルシフェリアが悪いのかと言えば、まずこの天使を困らせる存在が居る訳で。


(いつもヴィレオールさんだな――特に颯月さんとは、切っても切れない縁があるのかも)


 目を伏せれば、また涙が零れた。単なる好奇心で人心を操り、颯月と輝夜の病室へ眷属を送り込んだヴィレオール。その眷属が颯月に憑りついて、輝夜を呪い殺し、あの一族の運命を大きく狂わせてしまった。


 風邪をひいた綾那を、救うための鍵――セレスティン領へ落とされた渚だって、本当はかなり早い段階で居場所が分かっていたのだ。本来なら、陽香と合流したすぐ後にでも迎えに行けたはずだった。ルシフェリアの「転移」を借りてまでセエレスティンへ行かずとも、王都に渚が居たはずなのに。

 そうすれば、颯月がこんな無茶な契約を結ぶ事もなかっただろう。しかし、ヴィレオールが悪戯に病を流行らせたせいで、セレスティンは長らく鎖国状態だった。結果、渚と合流するのは後回しにせざるを得なかったのだ。


(ヴィレオールさんが弟のヴェゼルさんくらい話の通じる相手だったら、()の悪魔なんて必要なかったのに)


 あえて諸悪の根源、八つ当たり先を上げるとすれば、それは間違いなくヴィレオールだろう。分かったところで、これまた魔法を使えぬ綾那には手も足も出せない相手なのだが――。


 親のルシフェリアが「やり過ぎは辞めろ」と忠告しても聞かない、好奇心が抑えられないなんて、とんだ問題児だ。

 あれだけ「我が子を手に掛けたくない」と言うルシフェリアに、「こいつは殺して次の悪魔を用意しよう」と匙を投げさせるのだから、よっぽどである。


「僕が言えた事じゃあないけど、そろそろ颯月が戻って来るから泣き止んで。あの子、君のその顔を見ると興奮しちゃうでしょう? これから食事するって言うのに、部屋を追い出されたら(かな)わないよ」

「……本当に、シアさんが言えた事ではありませんね」


 いっそルシフェリアを(なじ)れたら良かったのだが、綾那は気性の荒いタイプではない。人と争えば争うほどストレスが溜まって悪循環だし、この天使にも世界の存続に関わる問題があったのだからと思えば、怒りをぶつけるような相手ではない気がした。

 こんな調子だから、陽香達に「土下座して頼めばなんでもやらせてくれそう」と揶揄されるのだろうが。


 綾那は手で目元を拭うと、細く息を吐いた。

 これから何ができるかは、分からない。ルシフェリアには「ただ颯月の傍に居れば良い」と言われたが――綾那自身、もう一分一秒も彼と離れたくない気持ちになってしまった。


 元より死ねば離れ離れになって当然なのだが、彼だけは永く生き続けると知れば話も変わってくる。少しでも長く綾那の事を覚えていて欲しい。生きている内は、老いで見限らないで欲しい。もっと、他の誰よりも、深く愛されたい。

 とにかく時間が惜しい。今まで以上に、彼へ愛を伝えなければいけない気がした。


「綾那は、例え颯月が悪魔になっても遠ざけないだろうね。ヴェゼルとも普通に接するくらいだから」

「……遠ざけるはずがないじゃないですか? 褐色銀髪になった颯月さんも格好いいでしょうね」

「それは重畳(ちょうじょう)。でも、この契約の事はまだ颯月に言及しない方が良いよ。今回は僕がついお節介を焼いちゃったけど、彼はきっと自分の口から伝えたいはずだ」

「聞くに聞けませんよ……どうしたって「私が風邪なんてひいたから」っていう話になってしまうでしょう? ……互いに気まずくなってしまいそうで、ちょっと――今は、楽しい事だけしたいです」


 綾那の胸中は相変わらず複雑だったが、なんとか笑みをつくった。彼が悪魔になったって、綾那の愛情は変わらない。ただ、人と悪魔の板挟みになるだろう彼の心理状態だけが心配だった。

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