睦言
やや肌色表現がございますので、苦手な方はご注意くださいませ。
汗ばんだ肌がしっとりと吸い付いて、皮膚の境目が曖昧になる。綾那は、まるで一つの生き物のように溶け合うこの瞬間が何よりも好きだった。
普段はどこか人間離れしたスペックをもつ颯月だが――騎士服のお陰で絶対に汗をかかないとか、体力オバケで四六時中活動し続けるとか――こうして抱き合っている時だけは生身の人間らしさを感じられて、堪らなくなる。
僅かに上気した頬も、顎先から伝って落ちる汗の雫も、息を切らすほど夢中になって綾那を貪る姿も、情欲に染まった素直な瞳も。快楽に歪む顔を見ているだけで愛おしくて、綾那の何もかもを掻っ攫って壊して欲しい。それと同時に、彼の全てを食らい尽くしてしまいたい衝動に駆られる。
元々疲れていたのもあるのだろうが、あまりの多幸感に夢心地になって、うっとりと目を閉じた。すると、すぐさま上から低く甘い声が降ってくる。
「――綾那?」
目を閉じたから、このまま寝落ちするとでも思ったのだろうか。パチリと目を開くと、やや焦った表情が間近にあって笑みを零す。
(全然満足してないみたい)
この時ばかりは愛称ではなく、しっかりと名前を呼ぶところも好ましい。綾那とて特別感を演出するために、何か別の呼称を使いたいところであった。しかし生来の気質からして、年上の――それも神と仰ぐ人物を呼び捨てるというのは、どうにも難しいのだ。
だからと言って閨で睦み合いながら『颯様』と呼ぶのは、なんだか金目当ての商売女のごとく媚びたいやらしさが出てしまう気がして、憚られる。
紫と赤のオッドアイと目を合わせれば、甘ったるい声で「悪い、まだ足りない」と囁かれた。まるで、耳から甘い蜜を流し込まれているのかと錯覚するほどに糖度の高い声だ。
引き締まった筋肉で覆われた体は彫刻のようで、ひとつも日に焼けていない白い肌には黒い荊の刺青。淫靡で退廃的な雰囲気を纏う表情は、金髪混じりの黒髪に指を差し込んで梳くと、途端に目尻を緩めて安心した顔つきになる。
甘えるように胸元へ顔が埋められて、体のずっと奥を鷲掴みにされたような感覚が走る。
そんな事は不可能だと分かっていても、彼と永遠にこのままで居られたら良いのに――と思わずにはいられない。颯月に甘えられると、ただでさえ底なしと言われる綾那の母性本能は大変な事になってしまう。
ドロドロに甘やかして、依存させてしまいたい。綾那なしでは生きられない、何もできない、そんなダメ男にしたくなる。
愛しさが溢れてどうしようもなくなって、彼の頭を胸に抱いた。つい「可愛い」と漏らせば妙なスイッチが入ったのか、体を起こした颯月に深いところを穿たれて、息を詰まらせる。
男としての矜持か、はたまた年上の矜持か。颯月は、可愛いと言われる事があまり好きではないようだ。閨では殊更強く感じる。
それが分かっていても口にしてしまうのは、綾那の本心から出た言葉であり――そして、ムキになって精神的優位に立とうとする彼が、何よりも愛らしいからだ。
あまり強く求められると、心身共に快感で満たされて堪らなくなる。もっと必死になって欲しい。強く欲しがって、全てを浚って――彼の深すぎる愛情に、抱き潰されたい。別に上から目線で転がしているつもりはなくて、ただ本気で可愛いのだから仕方がない。
途切れ途切れの声を漏らしながら、真っ直ぐに颯月を見上げる。いつ、何度見ても荊の刺青は至高で、目に焼き付けるために模様を追った。
「――たまに、綾那は俺が好きなのか俺の『異形』が好きなのか、分からなくなる」
「ん……どっちも大好きですよ、全部含めて颯月さんでしょう?」
「……例えばの話だが、コレが消え失せた途端に好意が半減する可能性は?」
「颯月さんの『異形』全てが――ですか?」
彼は一生悪魔憑きだから、そんなタラレバは論じるだけ無駄だろう。しかし試しに想像してみれば、答えはいとも簡単に弾き出された。
「それはそれで、素敵でしょうね――でも『異形』がなくなると、途端に女性が集まってきそうで困ります。四六時中隣を歩いて、牽制しないといけなくなりますよね」
「……わざわざ繋がっている時に、煽るような事を言うな。アンタに嫉妬されたら、さぞ心地いいだろうに」
「え? ふふ、颯月さんが言わせたんじゃないですか」
ただの黒髪になった颯月も良い。綾那の元祖神である絢葵とて、基本は黒髪でたまに金メッシュが入るぐらいだった。だから、ただの黒髪の方がより綾那の好みに近い。
この赤と紫のオッドアイが紫一色になるのは、若干寂しいような気もするが――彼の紫は神秘的な色をしていて惹き込まれるから、それはそれで構わない。どんな色をしていようと、好ましい事には違いないのだから。
「うーん……でも、これが無くなるのだけは残念です。こんなに格好いいのに――」
きっと、颯月にとっては何よりも生き辛い烙印であろう、右半身を覆う刺青を指先で撫でる。すると喉が低く鳴って、「よく覚えておこう」と囁かれた。
言葉の責任、言質という意味合いだろうか。綾那はよく分からないなりに笑顔で頷いた。
言質も何も、どうせ床に脱ぎ捨てられた颯月の騎士服には、録音するための魔具が取り付けられている。綾那が後になって証言を覆そうとしたって無駄だ。証拠は全て、彼の手の中に残されてしまうのだから。
(そう言えば颯月さん、私の着替え――というか、衣装? たくさん買ってたな)
とりあえず求められるまま着てみたものの、すぐさま脱がされる事になったヘリオドールの民族衣装。彼を意味する色の黒と紫で織られたもの以外にも、珍しく白と赤でできた衣装まで用意されていた。
綾那の普段着の色にはこだわらない颯月だが、彼しか目にする事のない下着や夜着に関しては違う。ほぼ百パーセントの確立で黒か紫を用意されて、色の濃淡とデザインの違いでバリエーションを持たせているようなものだ。
強めの独占欲と特殊性癖をもつ彼の事だから、綾那に他の色を纏わせるのが嫌なのだろう。だからこそ、白と赤というのは意外だった。悪魔憑きの特徴である赤目になぞらえているのだろうか――それならば、白ではなく金ではないかと思うのだが。
「……服、たくさん買っていましたね」
「うん? ああ……今回はたぶん、一日二日で終わるような仕事じゃあないからな。少しでも長く、色んな綾那が楽しみたいと思って」
「でも、シアさんは一、二着で済ませなさいと言っていませんでしたか?」
「あれは創造神の感性であって、俺のものとは違う。楽しむ時間と余地があるのに、着回しで済ませる意味が分からん。いいように働かされるからには、思う存分綾那を堪能させてもらう」
「そういうものなんですね……シアさんは言葉少なに色んな事をお考えですから、私には上手く理解できなくて」
「――綾那はそれで良い、面倒な事は俺がやる。何も考えていない、ゆるゆるフワフワのアンタが好きなんだ」
「うーん、嬉しいけれど複雑です」
綾那は颯月の話から、ふと以前ルシフェリアが彼の姿を借りて顕現した時の事を思い出した。確か十四歳当時の姿を借りたとかで、今より華奢で幼くも妖しい色気を醸し出す少年颯月の美しさと言ったらなかった。
あの時は街歩きをするのに目立つからと、意識的に悪魔憑きの特徴である『異形』が全て取り除かれていた。黒髪にシミ一つない真っ白な肌に、紫色の垂れ目。あのまま成長されたら、本当に堪ったものではない。彼には悪いが、人に忌避される『異形』がなければモテ過ぎていけないと思う。
それから色々あって、結局ルシフェリアは幼児颯月に変化した訳だが、あの膝から崩れ落ちるほどの愛らしさも危険である。もしも彼の子が生まれたとしたら――そこまで考えた綾那は、僅かに目を伏せた。
(まあ、でも……まだ始めたばかりだし)
本当に悪魔憑きは子を成せないのか。それを試し始めてから、まだひと月ふた月しか経過していない。不妊治療にかかる平均期間が二年から三年という事を考えれば、結果を下すのはまだ早すぎる。
颯月さえ居れば満たされて、それ以上は何も求めないと決めているものの――しかし、彼の幸せはそのまま綾那の幸せであった。子が欲しいと言うなら協力したいし、それに何より、彼に似た子はとても愛らしいだろう。
(神子の容姿は特別変異みたいなものだから、きっと私に似た子は生まれないだろうし)
そう考えると何やら寂しい気もするし、もしも両親どちらにも似ていない子が生まれたら、将来的に要らぬ苦労を掛けそうだとも思う。しかしそれでも、家族が増えれば幸せに違いないだろう。
「何を考えている?」
「……颯月さんの事です」
「目の前に俺が居るのに、頭の中の颯月に気をやるのはやめてくれ」
綾那の気もそぞろな様子が目についたのか、妙な主張をしてくる颯月に笑みを零した。「ごめんなさい、目の前の颯月さんに集中します」と言って頬に口づければ、満足そうな表情で頷き返される。
綾那は、まるで板のように硬い体に押し潰されながら、頭の片隅で明日は――いや、もう日が回っているので本日だ――体力的にしんどいだろうなと予想したのであった。




