王族と法律
「勿論、存じておりますが――しかしそれは、王族のみに適用される法律ですよね。「親族、またはそれに準ずる者を害された場合、国王の判断を仰がず個人の裁量で罰してよい」という……恐れながら、颯月様は――」
「俺が誰から一時的に桃華を預かっていると思う? まさか、本気で俺の婚約者筆頭だと信じていたのか?」
「は……ッ!? そ、それは――いや、まさか……!」
何かに気付いたらしい絨毯屋は、途端に顔面蒼白になった。そしてガタガタと体を震わせると、恐る恐るといった様子で己の右隣に立つ青年――幸成を見やる。
彼は、随分と冷たい表情で絨毯屋を見返していた。
「親族に準ずる者とは、王族と婚姻する予定の者も含まれるよな。俺と桃華が婚約する際に作られた誓約書を見せてやろうか? 婚約期間は、成――『幸成が成人するまで』と定められているんだが」
「そ、そんな! 申し訳ありませんでした! まさか、幸成様の望まれる女性だったなどとは、露知らず!! ど、どうか、命だけは――!!」
絨毯屋は勢いよく地面に平伏した。幸成の足元で額をこすりつける様を見せられて、綾那は困惑する。
(また、リベリアスの謎法律が――いや、そんな事よりも今、王族だって言わなかった? え、でも幸成様と颯月様、従兄弟なんだよね? それってつまり、颯月様も――)
己の前に立つ颯月。その背に触れると、彼は人の悪い笑みを浮かべながら綾那を振り返った。
「成の父上は、現国王の王弟殿下だ。アイツはあれで王子様なんだよ」
「え――っ!? じゃ、じゃあ、颯月さ……!」
「ああ、俺は違う。色々あってな」
小さく肩を竦める颯月に、綾那は複雑な気持ちになった。
この三週間全く会えなかったのだから、颯月の事なんて何も分からなくて当然だ。しかし今日知っただけでも、彼はかなり特殊な環境に置かれているらしいと察してしまった。
実は婚約など名ばかりの単なるボランティア活動で、実は『悪魔憑き』で、しかも王族の従弟をもつくせに、己はなぜか王族ではないという。
まだ、この国の事すらイマイチ理解できていないのだ。颯月の抱える問題など、綾那には知る由もない。
(意外と、闇が深いのかな――)
国どころかこの世界の部外者の綾那だが、一切のしがらみがないからこそ、少しでも彼の心休まる場所になれれば良いのにと思う。
(って、いやいや! 神相手に、何を厚かましい事を考えて――ってか、ダメでしょ! 皆に合わせる顔がなくなるって、アレだけ……あれ、でも――?)
綾那は、己が颯月から離れようとしていた理由はなんだったかと思い返した。
まず、彼の顔が絢葵に似ているからだ。この顔に弱い綾那は、相手がどんな人間のクズでも受け入れてしまう。
ゆえに四重奏のメンバーから散々「絢葵似の男に、まともなヤツは一人も居ない。クズ男ホイホイもダメ男製造機も大概にしろ。顔で好きになるな」と言われてきた。
そんな顔さえ良ければ全てよしの綾那だが、どうしても受け入れられないのが、彼女もちや妻子もちとの浮気、不倫関係に陥る事だ。
綾那は懐が深くなんでも受け入れて滅多に怒らないが、そのくせ独占欲だけは強く嫉妬深い。
世間の目がどうとかスキャンダルがどうとかいう以前に、純粋に『二番目』にされる事が耐えられないのだ。例え綾那が『一番目』だとしても、その下に二番、三番の女は要らない。
颯月から離れようと思った一番の問題は、彼が婚約者もちだからだ。けれど聞けばその婚約者達も――全員そうなのかは分からないが――フリのようなものらしい。
であれば、彼を好きになってしまっても問題ないのでは?
流れるようにそう思ってしまった綾那は、フードの上から頭を抱えた。問題ならある。なぜなら、四重奏のメンバーが彼の顔を見たら、「また顔からかよ!!」と怒るからだ。
そう。きっと彼女らは生きているから、怒るに違いないのだ。綾那は、ようやく口元を緩めた。
(早く、怒りにきて欲しい)
まるで頭のおかしい人間のようだが、心の底からそう思った。
綾那は取り留めのない思考をかき消すように頭を振ると、いまだ平伏したままの絨毯屋と、それを見下ろす幸成を見やる。
「成、アンタはどうしたい?」
颯月の問いかけに、幸成はゆるゆると首を振った。
「まあ、あくまでも未遂だからなあ。狙われた事は腹が立つけど、結果として桃華は無事だったんだ――さすがに命まで取ろうとは思わないよ」
「ゆ、幸成様……っ!」
先ほどまでの無表情から一転、口元に笑みさえ浮かべて明るく話す幸成。絨毯屋は感動した様子で顔を上げた。
「そうだなあ――今、この敷地内には誰も居ないよな? 使用人は避難して、残った人間も全員この場に集まっている――間違いないな?」
「え? は、はあ」
「よし、分かった。じゃあお前に科す罰は、『財産没収』に決めた」
幸成はそう告げて屋敷――大倉庫に両手を翳すと、いきなり魔法の詠唱を始めた。
「紅蓮の臥竜よ、我が呼び声に応えろ」
その瞬間、彼の体を囲うようにして真っ赤に燃え滾る炎が現れた。絨毯屋に雇われた警備や賊の男らは、詠唱を耳にした途端に顔色を変える。そして、誰もがこの場から逃げ出そうと、敷地を囲う塀の外へ向かって一目散に走り出した。
しかしただ一人、絨毯屋のオーナーだけは、炎に囲まれた幸成に向かって叫び声を上げている。
「ゆ、幸成様!? それだけは! どうか、それだけはお許しを! ここには売約済みの商品も数多く保管されていて、赤字どころか補償問題に――!!」
綾那は、詠唱を聞いたところでどんな魔法が飛び出すのか分からない。ただ幸成の周りで踊る魔法の炎の美しさに目を奪われて、「わぁ」と感嘆の声を上げるだけだ。
(でも、オーナーさんや旭さん達の慌てぶりを見ると――なんか、尋常じゃない感じだったなあ)
まあ、危険なら颯月が教えてくれるだろう。そう思ったのも束の間、彼が真剣な表情で振り返ったので首を傾げる。
「綾、今すぐにあのお嬢さんを連れて塀の外――いや、俺らが乗ってきた馬車まで走れ。成のヤツ、見た目以上に機嫌が悪いらしい。かなり大がかりなのを撃つぞ、下手したら巻き込まれる。急げ」
「え!? そ、それって、颯月様達はどうなるんですか?」
「問題ない。――おい禅! 成が燃やす上から水で囲うぞ、外に漏らすな!」
「承知しました」
「燃やすって……ま、まさかこの大倉庫、全部ですか!? もっ――お、お嬢さーん!! 走りますよー!!」
綾那は、慌てて桃華の元まで走った。そして――離れた位置に立っていたため、状況が分かっていないのか――キョトンとしている桃華の腕を掴む。
彼女と共に大急ぎで敷地から出ると、ここまで乗ってきた馬車に向かって走り出した。
後ろでは絶えず絨毯屋の叫び声、そして三人の男が詠唱する声が木霊している。これから何が起こるのか分からぬまま、綾那はなんとか辿り着いた馬車の荷台に桃華を乗せた。
「神聖なる原初の焔をもちて、我が前に立ちはだかる愚者に終焉をもたらせ――「炎獄」!」
「――「波紋の守り」!」
幸成が詠唱を終えると同時に、颯月と竜禅もまた何かしらの魔法を発動させたらしい。広大な面積をもつ、絨毯屋の大倉庫――その建物は丸ごと、あっという間に水のドームに囲われた。
水に閉じ込められた屋敷の様相は、まるで幻想的なスノードームのようだ。またしても呑気な感想を抱く綾那だったが、しかし次の瞬間、水の中で大爆発が起きて猫のように飛び上がる。
「えっ」
水中だというのに、激しく燃え盛る大倉庫。一度でやまない爆発は、まるで打ち上げ花火のようにドカンドカンと繰り返し建物を破壊していった。
爆発するたび、水のドームが衝撃を抑え込むようにして揺らいでいる。絨毯屋の悲鳴が聞こえたような気がしたが、しかし爆発の轟音によってすぐにかき消された。
(キューさん、やっぱり私は――)
魔法なしにこの世界で生きていくのは、ハード過ぎる。
尚も爆発し続けるスノードームを眺めながら、綾那は「一刻も早く、皆と「表」に帰りたい」と遠い目をしたのであった。




