また会う日まで
鷹仁が家の中に竜禅を引き込むのと同時に、ケーキの入った箱をもつ澄が奥から顔を出した。彼女もまた、竜禅の顔を見るなり喜色ばんで「竜禅!」と明るい声を上げる。
二十数年ぶりの再会に、今にも飛びつきそうな勢いだったが――しかし寸でのところで動きを止めると、澄は思い出したようにケーキの箱を掲げた。
「ほら、お土産よ。持っておいきなさい」
「わぁ……甘くて良い匂いですね。ありがとうございます、お婆様」
綾那がはにかんで箱を受け取れば、澄は身をくねらせながら「もう、良いのよ! 颯月くんと綾那さんには、本当に良い思いをさせてもらったんだから!」と叫んだ。
「――禅。お爺様とお婆様に、母上の最期について説明してくれるか? 俺は一旦、綾と本部へ戻らないとまずい」
正直、綾那が本部へ戻ったところでやれる仕事などないし、ただ傍に置いておかないと落ち着かないだけの話だろうが――颯月の言葉に、竜禅はどことなく複雑そうな顔をした。
どうも彼は、従者として輝夜を守りきれなかった事を悔いていて、鷹仁達に対する引け目が強いらしい。いくら関係の始まりが強引だったとしても、十年以上輝夜の面倒を見てきたのだ。恋慕かどうかは微妙だが、少なくとも何かしらの特別な感情は抱いていたはず。
しかし、そもそも輝夜が儚くなった事について、竜禅に咎はない。ただ単に不幸が重なった結果であり、実質トドメを刺したのは眷属を紛れ込ませた、悪魔ヴィレオールのようなものだ。
きっと、既に彼がひとつも悪くないのだという説明は、颯瑛の手紙で周知されているのではないだろうか。あの王の信頼や愛情表現は至極分かりづらいが、竜禅の事を特別視しているし尊敬もしている。わざわざ鷹仁や澄に向かって、彼の悪口を言うはずがないのだ。
「俺も綾も、母上の事を知らん。話せるのは禅だけだろう? 両親なのだから、当然知る権利がある」
「……そうですね。ええ、承知しました。長くなりますので、帰りも遅れるかと」
「それは構わない。どうせ創造神もまだ戻って来てないし……俺らの意見なんざガン無視だ、帰りがいつになるのか分かったモンじゃねえ」
颯月が肩を竦めれば、竜禅もまた「確かに」と深く頷いた。そうして鷹仁と澄に向き直ると、気まずそうにしつつも「お時間を頂戴しても?」と首を傾げる。
問われた二人は「もちろん!」と笑顔で頷いた。そのやりとりを見ていた颯月は、ほうと安堵の息を吐き出した。
「――では、美味しい料理と楽しい時間をありがとうございました。正直、いつまでルベライト領に滞在するかも不明で、これが最後の挨拶になるのかどうかも分かりませんが……その、俺はまたお会いしたいと思います」
どこまでも他人行儀で、そして硬い声色。しかし心だけは篭っているように思う。颯月の挨拶を聞いた祖父母は、泣きそうな顔をして笑った。また会いたいという言葉が、社交辞令で終わらなければ良い――そんな願いが顔色に表れているような気がする。
「ああ、私達も同じだ。ぜひまた会いたいよ」
「どうか、くれぐれも体には気をつけてね。陛下の手紙で、輝夜は食事を抜いて体を壊したと聞いたわ。颯月も綾那さんも、そんな馬鹿な事はしないでちょうだい」
「俺は痩せ細る趣味はありませんし、綾を骨にする気もありません。お二人も、どうかお元気で」
颯月は深々と一礼すると、顔を上げて竜禅を見やった。特に言葉はなかったが、輝夜について真摯に話してやってくれと言わんばかりの、真剣な眼差しを送っている。
やがて竜禅が頷いたのを見ると、綾那の手を引いて「戻ろう」と呟いた。しかし、綾那はその場に踏み留まって動かない。颯月が不思議そうに顔を見やれば、綾那はパッと蕾が開くような笑みを浮かべた。
「颯月さん、きちんと挨拶しませんと」
「……きちんと? 悪い、何か無作法があったか?」
颯月が「祖父母に対する挨拶なんて、これが人生初だから――」と考える素振りを見せれば、綾那は彼と繋いだ手をグイグイ引っ張った。そうして祖父母の目の前まで颯月と共に移動すると、二人に向けて笑顔のまま両手を広げて待った。
――すると、涙目の澄が堪えきれない様子で綾那の胸に飛び込んで来る。
それなりに身長があって、安定感のある肉付きをした綾那の包容力と言ったら、底なしの母性も相まって求心力が強すぎる――とは、渚から下された評価だったか。
別れの挨拶、もとい別れのハグを待機されたら、飛び込まずには居られないだろう。
綾那は飛び込んできた澄を受け止めて、空いた片手で慈しむように背中をさすった。颯月と繋いだ方の腕は、まだ開かれたままだ。いきなりの事に目を丸めていた彼も、自分がやるべき事を察したのか――チラと鷹仁に目線を移した。
その瞬間、鷹仁は「うおぉおん!」と、まるで犬の遠吠えのような声を上げながら颯月にしがみついた。情緒がメチャクチャになっているのか、涙混じりの不明瞭な声で「輝夜が戻って来たみたいだ〜!!」と叫んでいるような気がしなくもなくないが、よく聞き取れないので分からない。
そうして抱き合う祖父母と孫夫妻を、竜禅がどこまでも複雑な表情で眺めている。
先程まで色濃かった後ろめたい雰囲気が、何故か綺麗に霧散しているのは――彼が昔、この家で散々晒された不条理でも思い出したからなのだろうか。仮面で隠されていない青い瞳は若干細められており、何やら、ここではないどこか遠くを見ているような気がする。
結局綾那と颯月は、祖父母が泣き止んで落ち着くのを待ってからルベライト騎士団の本部へ戻る事にした。




