馴れ初め?
アルバムの写真を軽く眺めた颯月は、これと言った感動も感慨も何もない様子で「想像していたより綾と似ていなくて、心の底から安心した」と漏らした。
まあ、実の母親と妻の顔が似ているなんて話を聞かされたら、複雑な気持ちになるに決まっている。綾那とて、もしも「お前の実父と颯月の顔がそっくりだ」――なんて聞かされたら、「べっ、別に私、ファザコンじゃないんですけど!? そもそも会った事もありませんし!!」とムキになっていたかも知れない。
誰かに似ているなんて事は関係なく、綾那はただ颯月が好きなのだから――いや、それはまあ、始まりは絢葵に似ていたから好きになったという事に違いはないのだが、それはそれとして、こう、少なくとも今は違うのだから。全くもって説得力がないが、颯月は今の綾那にとって唯一無二の存在なのだ。
「ただ、確かに笑った時の目元だけは似ている。それに、母上が根本的に正妃サマと似ていると言われる意味もよく分かった。骨ではないとは言え、笑っていない時のこの人は鳥肌が立つほど恐ろしい。気の強さと底意地の悪さが顔に出ている」
あまりにもな言い草の颯月に構わず、鷹仁はニコニコと「何を言うんだ颯月くん、輝夜はそこが良いんじゃないかぁ!」と穏やかに笑った。澄も同調するように、ウンウンと頷いている。
颯月が苦手とするのは、何も痩せた女性だけではない。「勝ち気で自己主張が激しく、攻撃的で一切こちらの思い通りにならないような女」の事も、死ぬほど苦手なのだ。写真の輝夜は体つきこそ豊満だが――しかし、下手をすれば正妃よりも短気で短慮だったのではなかろうか。複数の人間から話を聞いた感じ、そうとしか思えない。
輝夜に何かしらムチャ振りでもされているのか、彼女の隣に立つ竜禅の表情を見ただけでもよく分かる。いくら今は仮面で目元を隠すようになったとは言え、彼がここまで困惑している姿を綾那はほとんど見た事がない。
写真に収められた竜禅は、これでもかと眉尻を下げているか、ギュッと眉根を寄せているか、口をへの字に曲げているか、呆れた様子で口を開けているか、うんざりとした表情をしているか――肩を落としているか。何やら、見ているだけで段々と可哀相になってくる姿ばかりだ。時たま思い出したように笑っている写真が、かえって哀愁を誘う。
颯月の『共感覚』に振り回されている時でさえ、ここまで露骨に不愉快な態度は示さないのに。ある意味遠慮のない仲と言えば、そうなのかも知れないが――。
「禅――竜禅は、本気で母上に懸想していたのですか? 周りの勝手な勘違いでなく?」
「はっはっは、「嫌よ嫌よも好きのうち」というヤツだよ! 本気で嫌なら、さっさと氷海へ帰っていたに違いないさ。まあ、帰ったところで輝夜は何度でも連れ戻しただろうし、そもそも『主従契約』の解消にも応じなかっただろうな。あの子は、一度自分の手中に収めたモノは飽きるまで絶対に手放さないんだ」
「それは………………それは」
颯月は、「それは」の先を言葉にしないまま飲み込んだ。続くはずの言葉は竜禅に対する憐憫だったのか、それとも、もっと別の何かなのか。とりあえず「素晴らしい」なんて肯定の言葉でない事だけは確かだ。
分からないままに綾那が苦く笑えば、いつの間にか再び澄の手元に握られていた魔具がビーッと不穏な音を立てた。どうも、一気にシャッターを切り過ぎたせいでカメラが不調をきたしたらしい。というか、こちらがアルバムを眺めている間にも撮影を続けていた事に、綾那はひとつも気付かなかった。
「ああ……もう、カメラが。ところで、騎士団長というからには、きっと忙しいのよね? 今回の魔物や眷属の襲撃、たまたまアイドクレース騎士団が街の近くを通りがかったから、被害が最小限で済んだという話だったもの……事後処理、まだ残っているんでしょう?」
「ええ、まあ、そうですね」
「撮影するのに夢中になってしまって、肝心のあなたたちの馴れ初めをひとつも聞けていないままだわ。楽しい時間はあっという間に終わってしまうわね……もう戻らないとまずいのかしら?」
颯月は逡巡するように目線を下げたのち、「いえ、せっかくなので、もう少しお付き合い頂ければ――」と答えた。ちなみに後半の言葉は、喜びに咽び泣く澄の奇声でほとんどかき消されてしまった。
鷹仁もまた目を爛々と輝かせると、椅子の上で姿勢を正し「では、馴れ初めから聞かせてくれ!」と破顔する。颯月は軽く咳払いすると、おもむろに口を開いた。
「綾と出会ったのは、王都アイドクレースの東にある森の中でした。騎士として巡回に出ていたのですが、深夜帯で辺りに人の気配はなく、魔物や野生動物の蠢く音、夜風が木々を揺らす音ぐらいしか聞こえないような状況下で……しかし、突然森の奥から妙な気配を感じたため、現場へ急行しました。すると――」
馴れ初めなんていう甘いお題のはずが、颯月の真剣な表情と硬い語り口も相まって、まるで警察の事件報告――または怪談話のような滑り出しであった。鷹仁も澄も、ごくりと喉を鳴らしている。「すると……?」と掠れた声で聞き返せば、颯月が続けた。
「視界いっぱいに眷属が飛び込んで来たので、魔法で応戦しました。どうも人が追われていたようなので、ひとまず救出しなければと思いまして……追われていた者は魔法による目くらましを受けたのか、ふらつく足取りで俺の胸元に飛び込んできました。その体の柔らかさから、女性であると判断して――」
「そ、それで?」
「深夜帯に女性一人で森の中に居るなど、戦闘禁止の法律を鑑みても普通ではありません。最悪何かしらの犯罪者である事も考えた上で、その素性を探ろうと目線を下げれば……」
「下げれば?」
鷹仁と澄も、どこまでも真剣な表情で先を促した。颯月は一拍置いてから、神妙な面持ちで言い切った。
「俺の腕の中に居たのは、今までに見た事もないほど可憐で儚い天使だった」
「――颯月さん、真面目にお話しましょうか」
「これはもう、何を犠牲にしてでも囲うしかないと判断した俺は、あの手この手を使って彼女をアイドクレースの街中まで引き入れました。そして、関係者以外立ち入り禁止の騎士団宿舎の中まで引き込む事で、そう簡単には逃げ出せない状況を作り出したのです」
「颯月さん、颯月さーん?」
「案の定彼女は宿舎どころか街からも逃げ出せず、今では俺の妻となり、こうして隣で愛らしく笑っているという次第です」
話を一切聞いてくれない颯月に綾那は閉口したが、一連の流れを聞き終えた祖父母は「それは、素晴らしいな!! なんて良い話だ!!!」と感動した様子で、二人を手放しに祝福した。
――輝夜から産まれた颯月のやることなのだ、彼らが否定の言葉を口にするはずがなかった。




