祖父母の想い
幸運にも眷属による被害を逃れたらしい飲食店を見つけた綾那達は、ひとまずその中で幸成や颯月の到着を待つ事にした。
まだ十六時過ぎだというのに辺りはすっかり暗がりで、店内の暖房魔具とオレンジ色の電灯に心が安らぐ。
近隣の住人は瓦礫の撤去作業や荒れた家の片付けで忙しいのか、それとも、まだ夕飯には早い時間だからなのか――客足は少ないようだ。初老の男性はテーブル席につくと、ニコニコと好々爺の顔をして綾那を見ている。
「そうだ、名乗りもせずに失礼だったな。私は鷹仁、妻は澄というんだ。是非あとで会ってやって欲しい」
「鷹仁さんですね、私は綾那と申します。こちらは、アイドクレース騎士団の参謀で――」
「和巳と申します。お孫さんが、アイドクレース騎士団の団長を務めていらっしゃる事はご存じでしょうか? いつも大変お世話になっております」
鷹仁は嬉しそうに、何度も頷いた。
まだ颯月がルベライト行きを禁じられる前には――王太子時代、正妃と共に全国行脚をしたのだから――この地も訪れたはずだ。しかし、どうも鷹仁は孫の姿を一度も見た事がないらしい。
彼が地獄のパレードを強制されていた時、祖父母はタイミング悪く街に居なかったのだろうか。ただ、時折届く颯瑛からの手紙で、孫が健在であると知る事はできたようだ。
「十六になっても婚約者をつくらなかった輝夜が、故郷であるルベライト領を追い出されて――そして儚くなって、もう二十年以上経つ。まさかあの子が国王陛下の側妃になるなんて、思いもしなかったよ」
昔を思い出すように遠い目をする鷹仁を見て、綾那は黙って耳を傾けた。颯月の生母輝夜について深く知りたくとも、既に故人である以上は人伝に話を聞くしかないのだ。
竜禅曰く、気性が荒く勝気で高慢ちきな女性。正妃曰く、国王である颯瑛が誰よりも愛した女性。颯瑛曰く、喧嘩っ早くてムチャクチャで、それでも生きていて欲しかった女性。
颯月の顔は輝夜そっくりだと言うくらいだから、それはもう美しい人だったのだろう。綾那も一度くらい会ってみたかったものだが――しかし、愛する息子に群がる害虫のような扱いを受けていたかも知れないと思うと、やや複雑である。
腕力はともかくとして頭と気が弱く弁の立たない綾那では、勝ち気で聡い女性相手に勝てる気がしない。いくら颯月に惚れていても、実母から「去ね!」と威嚇されれば、恐ろしくて近づけなかっただろう。
――当然のように「威嚇される、追い払われる」と確信しているのは、やはり散々気が強いと聞かされているせいだろうか。
夫の颯瑛に対する愛情も深かったようだし、生まれて間もない息子が眷属に呪われるのを黙って見ていられずに、死さえ厭わず立ち向かうぐらい愛していたという。
義母の正妃ですら、颯月の上辺に釣られる女性をことごとく追い払っていたのだ。それが実母ともなると、一体どれだけ苛烈な追い払い方をするのか、考えただけで恐ろしい。
それに颯瑛曰く、もしも輝夜が存命であれば今の颯月はないと評していた。
綾那が心の底から愛するのは、一生悪魔憑きで、正妃に頭の上がらないトラウマだらけの颯月だ。高慢で不遜で俺様な、母に甘やかされて育てられた暴君ではない。
(いや、まあ、そんな颯月さんも見てみたい気がしなくはないけれど……)
とにかく、お互いに幸せなのだから、今はこれで良いという事にしておこう。
「輝夜は、ルベライトを出て行ったっきり音信不通だったんだ。だから、どこで何をしているかも分からず、いつの間にか結婚していた事も、相手が陛下だという事も知らずに――ただ時だけが流れて。それが十年以上経ってから、突然亡くなった事を知らされた。恐らく陛下もショックが大きかったのだろうが、それまで一切連絡がなくてな」
「そうだったんですか……」
「わざわざ輝夜の生家を調べて、遠く離れたルベライトまで手紙を送ってくださって……今では感謝しているよ。ただ当時は、どうして輝夜を死なせたのかと、そればかりで――手紙を受け取っても、まともに返信できなかった。申し訳ない事をしてしまったと思う」
音信不通のまま亡くなったとは、なかなか重い話である。しかし鷹仁と澄は、愛娘に悪い虫を付けさせたくないからと、家に閉じ込めてしまうような両親だったらしい。
そうして彼らの過保護を窮屈に感じた輝夜は、法律を利用して家出してしまった。輝夜自身が頑なに連絡しなかったのは、何かしら思うところがあっての事なのだろう。
「陛下は、私達がまともに返信しなくても数か月に一度手紙を送ってくださったよ。公務でお忙しいだろうに――お陰で、孫の存在を知ったんだ。その、会いたいという嘆願書を送った事もあるんだが、既に騎士団へ入って鍛錬中だから難しいと言われて。騎士は入団して二年間、よほどの理由がない限り退団を許されないからな」
鷹仁は、言いながらしょんぼりと肩を落とした。最愛の娘を亡くして、唯一遺された孫の顔を見たくとも、距離や立場があって難しい。
それに恐らく、颯月が悪魔憑きだという問題もあったのだろう。東部アデュレリア領ほどではないにしても、やはりここルベライトでも悪魔憑きは忌避されているようだ。
右京が平気な顔をして半獣姿を晒しているのは、あくまでも昔から度々応援要請を受けていて、領民が彼の姿を見慣れているから――というのが大前提だ。
最早いつもの事だとして気にもしていなかったが、住人は金メッシュ混じりの颯月の事をジロジロと物珍しそうに見ていた。それも、しっかりと一定の距離を保ったまま。
「時期を見て、また嘆願書を送るつもりだったが――気付けばあっという間に騎士団長にまでなっていて、無理だった。そんな立場ある人間を、「ルベライトへ来てくれ」なんて簡単に呼びつけられるはずがない」
「確かに、難しいですよね」
「そもそも、孫が私達の存在を知っているかどうかも怪しいのに……陛下は恩情を示してくださるが、恐らく私達夫婦は他でもない輝夜から嫌われていた。もし存命だったら、孫の顔見せなんて欠片も考えなかったんじゃないかと思うと――こちらが王都へ行くのも憚られた」
落ち込んだ様子の鷹仁を見て、綾那はなんと声を掛けて良いものやら分からなかった。
ただ一つだけハッキリしたのが――颯瑛は、やたらと輝夜の両親を警戒していたが――話してみれば意外と、普通の祖父母であったという事である。




