雪の出会い
結構な距離を駆けて来たのか、男性は両膝に手をついてハアハアと荒い呼吸を繰り返している。
幸成が無言のまま目配せをすると、和巳が小さく頷いて数歩前に躍り出た。
「――どうなさいました? まだどこか、お手伝いすべき場所が残っていましたか」
和巳の声色はどこまでも穏やかで、柔らかい。しかし、綾那の前に立つ幸成の表情はかなり硬い。突然声を掛けてきた見知らぬ男性を警戒しているのだろう。
初老の男性は呼吸も整わないままに顔を上げると、どこか申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「いきなり呼び止めて、申し訳ない。その……そちらの女性が、あまりにも娘に似ていて――」
「えっ……あ、もしかして」
男性の言葉に、綾那は彼が輝夜の父親ではないかと予想した。つまるところ、颯月の祖父に当たる人物だ。仮にそうだとすれば、綾那にとっても最早他人とは呼べない『身内』である。
「いや、娘がもうこの世に居ない事は知っている、それは分かっているんだ。ただ、私の孫は悪魔憑きだという話を聞いたから、もしや君がそうなのかと思って――もしそうなら、少しで良いから話がしたい! 妻も家に居るんだ、老い先短い者の最後の願いだと思って、どうか頼めないだろうか!」
切実な表情で訴える男性に、綾那だけでなく幸成も和巳も揃って首を傾げた。彼は何故、綾那の事を孫と――そして悪魔憑きと勘違いしているのだろうか。三人はしばし無言のまま顔を見合わせていたが、やがて和巳が咳払いしてから口を開く。
「ええと……何故あなたの『悪魔憑きの孫』が、彼女とイコールで繋がるのでしょうか?」
「あまりにも目立つ容貌をしているから、遠目からでも視線が惹き付けられて――それでふと笑顔を見た時に、娘……輝夜の面影を覚えて」
はっきりと固有名詞が出された事で、一行は「間違いなく颯月の祖父だ」と確信した。しかし、それはそれとして妙な勘違いをしている理由が分からない。
「は、はあ……ですが、女性は眷属の呪いに耐えられずに亡くなってしまいますし――」
「それはもちろん、性転換するタイプの眷属だったんじゃないのか? だからこそ、こんなにも物珍しい容貌をしていて、無詠唱で「身体強化」や「魔法鎧」を発動できるのでは? そもそも、孫は男だと聞いているしな」
どうやら彼は、長いこと綾那達の行動を観察していたようだ。そして、綾那が「怪力」を活用して作業する姿を、無詠唱で魔法を発動しまくっていると勘違いしたらしい。
水色の髪に桃色の目と、リベリアスの住人にはあるまじき姿をしているのも、彼の勘違いに拍車を掛けたのだろう。
綾那は苦く笑うと、自身の前に立つ幸成の腕を引いた。そうして小声で「颯月さんを呼んできて欲しいんですけれど……」と囁けば、彼は僅かに眉根を寄せる。
「でも――颯のヤツが「陛下からルベライト行きのお許しをもらった」って言ってたの、俺は怪しいと踏んでるよ? マジで颯が捕まったら、綾ちゃんだって困るじゃん。さすがの颯でも、身内相手には暴れられないだろうし――」
「お義父様は今回、そもそも颯月さんのルベライト行きに頷いていないと?」
「なんか、禅の反応からしてそんな気がする。綾ちゃん一人だけルベライトへ行かせたくないからって、誤魔化したんじゃねえかなって」
もし幸成の想像通りだとすれば、王都へ帰還するや否や颯瑛からお叱りを受けるのだろうか。そうなれば、今後は遠征禁止令を下される恐れもある。そもそも、最悪この男性――颯月の祖父に、彼が捕まってしまうかも知れない。
悪魔憑きの颯月が本気を出せば誰にも負けないだろうが、彼は血を分けた身内にすこぶる弱い。血族に対する憧れや渇望も強く、祖父母と会って「傍に居てくれ」と懇願されれば、絆される可能性もある。
(だけど、大人しく閉じ込められるような人でもないし……王都に家を建てるのを凄く楽しみにしているから、このままルベライトに移住するなんて事も言わないだろうし。せっかくご存命で、しかもルベライトまで来たんだから――お爺様やお婆様にも会わせてあげたい)
それに――颯瑛はきっと、息子の幸せのためなら多少の事は目を瞑ってくれる。
「もし問題が起きても、私がなんとかします。お世話係その四ですもの」
綾那が笑みを浮かべれば、やがて幸成も渋々頷いた。
「……たぶん綾ちゃんの方が強いけど、念のために和巳は置いてくからね?」
「幸成、聞こえていますよ。本当に失礼ですね……綾那さんの護衛は私に任せてください」
「頼んだ。とりあえず、この辺りの店――どっかしら、被害が少なくて営業してるところもあるはずだ、そこに入って待っててくれよ。綾ちゃん目立つから、聞き込みすればどこに居てもすぐに分かると思う」
幸成はそれだけ言い残すと、「身体強化」を唱えてから駆け出した。彼の姿は瞬く間に見えなくなって――これだけ雪が積もっていてもあのスピードで動けるとは、見事なものだと思う。
「――さて、それじゃあ開いているお店を探しましょうか?」
綾那が笑いかければ、初老の男性はじわりと瞳を潤ませた。
「本当に……本当に、よく似ているなあ」
しみじみと噛み締めるように呟く男性を見て、綾那は首を横に振る。早いところ誤解をとかなければ。そして、後からやって来るはずの颯月との再会に胸を躍らせて欲しい。
「わざわざ笑わずとも輝夜様に似ているらしい、本物のお孫さんがすぐに来ますからね」
「……本物の孫? それじゃあ、君は――」
「私は、お孫さんの妻です。笑い顔が輝夜様と似ているのは偶然で――縁もゆかりもないんですよ、ごめんなさい」
綾那が言えば、男性は目を大きく丸めた。
「――妻。け、結婚してるのか? 孫が? い、いつ……!?」
「籍を入れたのは数週間前で……まだひと月も経っていませんね」
「ほぉお……! それはめでたいな、いや、おめでとう! そうか、君は孫の妻だったのか……悪魔憑きだの性転換だの、勘違いして悪かったよ。申し訳ない」
「いいえ、とんでもない」
「娘婿――陛下は今でも私達に手紙を送ってくださるんだが、ここは王都から離れているし、届くまでに時間がかかるんだ。もしかしたら、君の事も手紙で知らせてくれていたのかも……一生悪魔憑きだから、結婚はしないだろうと心配していたのに――本当に良かったなあ……」
静かに鼻をすする音が聞こえて、綾那も和巳も意識的に男性から目を逸らした。鼻をすすった理由が、寒さのせいではないと察したからだ。




