奈落の底とは
ルシフェリアは初め、まともに取り合う気がない様子だった。しかし美果からしつこく「教えてくれたって良いじゃない?」と詰め寄られると、やがて観念したのか、大きなため息と共に語り始める。
「今は、とにかく眷属の数を減らすだけ。だから話が通じる方の悪魔に処理させてる」
「……それだけ?」
「そうだよ――で、あとは話が通じない方の悪魔をなんとかする」
簡潔すぎる説明を受けた美果は、「それじゃあ、私も適当に「転移」しながら眷属の数減らしを手伝うよ」と頷いた。どちらにせよ、ルシフェリアも美果を「表」に送り返すのに相当な力が必要になるはずだ。その手間賃を、美果自ら稼ぐだけの事である。
ルシフェリアはどこか諦観した眼差しでもって「好きにすれば良いけど、箱庭を汚すのだけは辞めてね」と呟いた。そのままげんなりとした表情になると、綾那にもたれかかって全体重を任せる。
綾那はその小さな頭を撫でながら、次から次へと浮かんで来る疑問を投げかけた。
「シアさん、昔「表」ではなくこちらに師匠が暮らしていた事があるというお話は……?」
「――昔って言っても、数千年前の話だよ。僕が一人で「奈落の底」に箱庭をつくって遊んでいたら、「面白そうだから」って上から海を越えてやって来た。それでしばらく居座っていただけ」
「他の天使の皆さんから『悪魔王』と恐れられる、シアさんの箱庭に?」
綾那が首を傾げれば、ルシフェリアは頬を膨らませて「だから、悪魔王なんかじゃないってば!」とへそを曲げた。すると、横から美果のおかしそうな笑い声が響く。
「天使の一人や二人潰された実績があるなら話は別だけどさ、ルシフェリアは文字通り何もしていない内に追放されているもの。いや、何もしていない――は、語弊があるかな? 全ての天使のギフトを「擬態」済みだったから」
「僕に与えられた才能をどう使おうが、こっちの勝手じゃないか」
「それもそうだね。生まれが恵まれすぎていたせいで、破滅させられたタイプだよ――ルシフェリアは。だから私は、怖いよりも興味が勝った。「表」の天使が全会一致で追放を承認したって話だけど、正直「これといって反対意見を出す者が居なかった」だけだからね? 良くも悪くも他の天使に興味がない層も存在するんだよ、そもそも人とは価値観が違うもの」
朗らかに笑いながら「いやあ、ここは私達と同等以上の存在が居ないから、伸び伸びやれて楽しいところだよね」と言う美果に、綾那はひとまず納得した。
「表」に存在する全ての天使がルシフェリアを恐れて追放した訳ではなく、あくまでも世界の調和に重きを置いた結果だったのかも知れない。世界のバランスをとるために、チート天使は「奈落の底」へ閉じ込めておく方が楽だったのだ。
そもそも「擬態」など、そんなギフトが「表」に存在したら管理が大変である。いくら天使があらゆる生命体を洗脳できるとは言ったって、それだけ便利な力をもって生まれた者が、生涯ギフトを悪用せずに居られるだろうか。
姿形を好きなだけ変えられるとなれば、整形もダイエットも必要ない。逆に印象に残りづらい地味な見た目に変えれば、詐欺・犯罪もし放題になる。
何せ、怪人十二面相どころの話ではない能力なのだから。
「あれ、でも居心地が良かったなら……それじゃあ師匠は、どうして「表」に帰ったんですか?」
「ここが、ルシフェリアの箱庭だからかな。少し説明が難しいんだけど……この世界はルシフェリアのためにあるし、ありとあらゆるものが循環するところでしょう? 魔法を使うための魔力、魔力の源のマナ――それに、ルシフェリアの力もそう。人も動物も木々も風も水も、世界を形作る元素さえ、全てが「擬態」から生まれてる」
「……人も?」
綾那は、思わず隣に座る颯月の手を掴んだ。視界の端では、陽香が右京の尻尾を抱く力を強めたのが見えた。
確かにルシフェリアは、何かにつけて「善悪関係なく、この世の全ては僕の子供だ」と主張していた。しかし、まさかそれがギフトの力で創り出されたものだったとは。
とは言え、綾那にとって颯月は代えの利かない人間だ。それだけは間違いない。
――しかし、颯月の「素」はなんだったのだろうか? 彼を生み出した両親は確かに存在するが、そもそもこちらの住人は「表」の人とは違う生き物なのだろうか。
仮に人と違ったところで、今更手放す選択肢はない。例え獣でも、異形の怪物だろうと、颯月が颯月で居る限り綾那の愛は消えないだろう。
ただ、もしも何かの拍子にギフトの効果が切れてしまったら? 突然の死よりも、もっと唐突な別れが訪れるのではないか――そんな事を考えて不安になってしまった。
「だから、この世界のモノが消滅した時――例えば木が燃えたとか、魔物が討伐されたとか。その時、分けられていた力は全てルシフェリアに帰結する。結局のところ、ルシフェリアじゃないとこの世界は管理できないんだよね……私だって「擬態」をもってはいるけれど、所詮は五割止まりの紛い物だ。まともに手伝えないなら、いつまでもグータラしているのも悪いじゃない」
「グータラ……」
「それに、信仰心の問題もある。ここは「表」から離れ過ぎているから、向こうで暮らす人間の信仰が届かない」
信仰という言葉に、四重奏は揃って不可解そうな顔つきになった。言葉自体の意味は分かるのだが、それがどういうもので、どう天使に作用するのか、まるで分からなかったのだ。
聞けば美果曰く、どうも「表」の人が漠然と「神様! 天使様!」とお祈りする時に発生するエネルギーらしい。よくルシフェリアが口にする「天使の力」――その源だ。
信心深い教徒のお祈りから、困った時の神頼みまで。信仰する神の名はなんでも構わない。ただ「神様、助けて下さい。叶えて下さい」と願う事が重要なのだと言う。
その祈りから発生するエネルギーは、全ての天使に等分されるそうだ。天使の総数よりも「表」に住む人間の方が圧倒的に数が多く、供給が途切れる事はない。
例えば世界中の全人口がたった一円ずつ募金するだけで、七十八億円が集まってしまう。天使の力も、それくらい簡単に集まるという訳だ。
ただし、「奈落の底」はそうもいかないようだ。「表」から数万キロと距離があるからなのか、ここに居るのが『悪魔王』『堕天使』だからなのか――そもそも天上ではなく、地中深くに位置するせいなのか。
ここは、人の信仰心をほとんど集められない場所らしい。
「だからルシフェリアは、自分が持っている力を循環させるしかないし。私だって、ここに居る間は信仰心の恩恵を得られない。力を使えば使うほど痩せ細っていっちゃうから、永住は難しいんだよ……旅行ぐらいがちょうどいいかな」
「え、それって問題ないんですか? 早めに戻らないとまずいのでは――」
「とは言え、そんな数年でどうにかなるようなレベルではないよ? もっと長期的な話……「怪力」五分でバテる人間とは、体のつくりが違うんだから」
カラカラと笑う美果に、綾那は何故だか肩身が狭くなって「なんか、貧弱ですみません……」と項垂れた。




