闖入者
先導する颯月に続き、綾那と陽香もまた真っ白な雪道をザクザクと歩いた。深く降り積もっているせいで、どうしても雪に足を取られる。しかし、先ほど水浸しになったブーツは颯月が乾かしてくれたため、ただ歩くだけならば問題ない。
辺りには平らな雪原が広がるのみだ。雪の他に見えるものと言えば、背の高い木々ぐらいだろうか。粉砂糖を振りかけたような――なんて可愛らしいレベルではなく、雪の重みでぐにゃりと枝がたわむぐらい真っ白だ。
颯月は、なんの目印もない真っ白な世界を迷いなく歩いている。ここまでルシフェリアの「転移」で一気に飛んで来たのに、何故それで首都のある方向が正確に分かるのだろうか。そもそも彼は、長年ルベライトの地に足を踏み入れられていないのに――。
(なんだか、方向音痴になった明臣さんの気持ちがよく分かる)
いや、本来こういう場所で生まれ育ったのならば、人よりも方向感覚が磨かれて然るべきなのだろう。それが、この地で生き残るための術なのだから。
しかし、綾那とてこんな雪深い国で暮らせと言われたら――例え生まれ故郷だとしても――まともに身動きがとれない気がする。街を出れば最後、二度と戻って来られないのではないだろうか。
どこに何があるのか、目印もなしにどう判断すれば良いのか。「表」と違って太陽の位置は変わらない。魔法の光源はいつも同じ場所に浮いていて、光の強弱が変わるのみだ。
方位磁石でもあれば話は変わってくるだろうが――木と雪しかなくて、どう地理を覚えるのか。
延々と似たような景色が続く中、陽香がふるりと寒さに体を震わせた。
「――なあ颯様、街はどうなってた? いきなり眷属が雪崩れ込んできてさ、他にどうしようもなかったんだよな……」
ズズズと鼻水をすする陽香を一瞥して、颯月は「街は問題ない」と端的に答えた。
「ルベライトは元々、魔物や眷属の被害が多い地域だからな。地元の騎士は対処に慣れているし、今はアイドクレースの騎士まで居る――街は既に鎮圧済みだ。被害も比較的少なく済んだらしい」
「そりゃあ良かったよ。オバケを引き連れてマラソンした甲斐があるってもんだ」
陽香は、げんなりとした表情で肩を竦めた。彼女は明臣を街に送り届けたあと、「さあ王都へ帰るか」というタイミングで眷属の大群に襲われたのだ。
訳も分からぬまま、街の人間を守るために問答無用で囮役を引き受けるとは――さすが責任感の強いリーダーである。
まあ、どちらにしても呪いのせいで引き受けざるを得なかったのだろうが。
「――ただ、うーたんが相当キレてたぞ。いくら足が速いからって、魔法も使えんくせに向こう見ずで危険極まりない行動だったな。あとで説教されるだろうから、覚悟しておいた方が良い」
「マ? なんだよ、あたしのファイトで街の被害が最小限に収まったんじゃねえの!? ――いや、そもそもあたしの呪いが原因だって言うなら、これって自作自演なのか……?」
思案顔になった陽香を見て、綾那は苦笑した。本当に厄介な体質になってしまったものである。
「まずは陽香の『呪い』をなんとかしないと、今後も同じ事の繰り返しかも知れないね」
「なんとかと言われたってなあ……いきなり呪いが強まった訳も、対策だって分からねえ状態だろ? 今後一切街から外に出ない訳にも、死ぬまでシアに『祝福』してもらう訳にもいかないしさ――」
「ああ、うん……そうだね。ひとまず、今は僕が祝福しておいてあげるよ」
綾那の腕に抱かれ大人しくしていたルシフェリアは、そこでようやく思い出したように陽香に向かって手を翳した。彼女の身体が一瞬白い光に包まれて、それはパッと弾けるように霧散する。
見ただけでは呪いの変化なんて分からないが――恐らく、これでまたしばらくの間は平穏な生活を送る事ができるだろう。
「それで、もう街の眷属は片付いてるのに、向こうで起きた問題ってのは? あと、シアはなんでそんなに不機嫌なんだよ」
問いかけられたルシフェリアは、幼児らしくぷくりと頬を膨らませた――かと思えば不貞腐れたようにプイと顔を背けて、綾那の胸元にギュムッと埋める。どうも本気で機嫌が悪い上に、説明する気もないようだ。
陽香は諦めたようにため息を吐き出すと、「颯様?」と彼に詳細な説明を求める。
「とりあえず、創造神の力でルベライトの街中へ「転移」した。それで街の眷属を一掃して、他の奴らは今事後処理に追われてる。元々ここへ来たのは、呪われたアンタを助けるためだった――って事は、理解してるんだよな?」
「なんとなく。走りながらアーニャに聞いたもんだから、微妙だけど……とにかく、いきなりあたしの呪いが強まったんだよな? で、ルベライトが眷属で溢れ返っちまったのは、ゼルが掃除するために集めたせいだった?」
「ああ。そうしてこの近辺に集められた眷属が、全部アンタの呪いとやらに惹き付けられて――アクアオーラまで雪崩れ込んだ」
陽香は頷いた後に、「ブェックシ!」と大きなくしゃみをする。もこもこになった体を両腕で抱き締めて震える彼女に、颯月は「緑風」を発動した。
途端に生暖かい風が吹き始め、ほんの少しだけ寒さが和らいだような気がする。
「幸成くん達も、事後処理のお手伝いを?」
「そうだな」
「渚やアリスはどうしていますか? 街の安全なところに隠れて待機しているのでしょうか……」
危ない目に遭っていなければ良いのだが――そんな思いでもって問いかけた綾那に、颯月はどこか困ったような顔をした。
「それが――突然、アンタらの知り合いだという人物が現れてな」
「……私達の? それは、犯行グループといいますか……また「転移」の方でしょうか?」
「いや、「四重奏の師だ」と名乗っていた」
「――――――えっ」
「し、師匠!? マジで言ってんのか!?!?」
思いもよらぬ事を耳にした綾那は、ビクリと肩を跳ねさせた。そしておもむろに自分の身体を見下ろすと、途端に青ざめてガタガタと震えてしまう。
何故「奈落の底」に「表」の住人が? そもそも師は「転移」のギフトなんて持っていなかったはずなのに。そんな数々の疑問よりもまず先に、綾那の頭に思い浮かんだ言葉は当然――。
「――ど、どうしよう、破かれる……!!」
――これだった。




