安心のパトロン
なんとか物理が有効そうな眷属を全滅させた綾那は、疲労困憊の表情で「怪力」を解除した。できる事ならば、まだレベル4を維持していたかった――しかし、もう体力が限界なのだ。
(どうせあと残っているのは、物理が無効そうな眷属ばかりだし……維持できたところで、無駄かな)
綾那は一旦その場で足を止めると、両膝に手をついてゼエゼエと荒い呼吸を繰り返した。すると、いまだスピリチュアルな眷属を引き連れてマラソンしている陽香は、綾那が足を止めた事に目敏く気付いたらしい。
途端に後ろを振り返って「オイ! 休んでんじゃねえ! こっからが本番だろ! お化けをなんとかしろ、してください! お願いします!」と、元気いっぱいに声を張り上げている。本当にどんな体力をしているのだろうか。
綾那としても、なんとかしたいのは山々だ。しかし、彼らの背中を追いながら試しに――「怪力」を活用して、これでもかと硬く固めた――雪玉を投げてみた結果、見事にすり抜けてしまったのだ。あれらは魔法なしではどうにもできないだろう。
せめて魔石銃を持ってきていれば話は違ったのだが、生憎とあんなコスパの悪いチート武器は持ち込んでいない。まず颯月と共に行動すれば、何もかも全て彼が解決してくれる――はずだったのだ、本来ならば。
(というか、「怪力」の維持云々の前にもう、まともに走れない)
大雪が降り積もる中、額から頬へ滑り落ちた汗に「これ、また風邪をひくんじゃないの?」なんて不安を抱いてしまう。
そもそも身体能力全般が著しく向上する「軽業師」と違って、「怪力」で向上するのは純粋に攻撃力と防御力だけだ。発動したからと言って足は速くならないし、体力の上限が変わる事もないし、むしろ発動中は絶えず体力を奪われる。
決して人と比べて極端に綾那の体力がない訳ではなく、ギフトの性質上どうしてもバテやすいのだ。ここ最近、負荷をかけられる事なく甘やかされっぱなしの体には尚キツイ。
(でも、いっそこの調子で負荷をかけまくって、どさくさに紛れて痩せたい気持ちもある……!)
ぷにムチも過ぎれば悪だ。既に師のトラウマが頭をもたげ始めている。
手足が最速で訴え始めた筋肉痛に震えながら、綾那は再び「怪力」を発動しようと気力を振り絞った。
しかし、それよりも先に雪景色がもっと濃く光り輝く白色で塗り潰される。綾那と陽香は、ほとんど同時に「転移だ」と察した。
「――綾!!」
「颯月さん!?」
綾那に続き雪原へ「転移」してきたのは、颯月と彼が腕に抱く幼女――ルシフェリアだけだ。他の面々は今、どこで何をしているのか。そもそも何が起きてこんな事態に陥っているのかなんて、聞く暇もない。
颯月は綾那の腕にルシフェリアを押し付けると、汗ばんだ姿を見てすぐさま洗浄魔法と乾燥魔法をかけてくれた。
そうしてくるりと背を向けると、詳しい説明もなしに「魔法鎧」を着て、陽香を追う眷属一派に向かって駆けて行ってしまう。
ルシフェリアと共にその場に取り残された綾那は、ぽかんと立ち尽くしたまま――腕の中の幼女に目を落として、「えっと……?」と首を傾げた。
「……説明が難しい」
どこか憮然とした様子の幼女に、綾那はますます困惑してしまう。綾那としては色々と説明して欲しい気持ちでいっぱいなのだが、この創造神は「説明が難しい」と言い始めたら、一切譲らないのだ。
(いつもの飄々とした感じが、ひとつもない)
飄々どころか、どこか不機嫌そうに見える。ルシフェリアにとって、よほど重大な事態に陥っているのだろうか。それすらも分からないが――ひとまず今は颯月に眷属の討伐を任せて、陽香を救い出してくれるのを待つしかない。
綾那は幼女を腕の中で抱え直して、「とりあえず颯月さんのお陰で、風邪はひかずに済んだかな」と考えた。
◆
「――マジで助かった……颯様、神かよ」
相変わらず息一つ乱していない陽香が、心の底から安堵した表情で胸を撫でおろした。
透けているとか浮いているとかいう類のスピリチュアルな眷属は、颯月の雷で瞬く間に焼き切られた。耳をつんざくような轟音に、今頃どこかの山で雪崩でも起きているのではないか? と心配になる事もあったが――大変申し訳ない事に、今は自分たちの安全確保が最優先である。
颯月はさっさと「魔法鎧」を解除すると、己の背に纏っている外套を取り払って綾那の身体に巻き付けた。腕に抱くルシフェリアまで一緒に巻かれたが、特に文句が出てこないので息苦しくはないのだろう。
「とりあえず、綾が………………あと、陽香も無事で良かった」
「おお、アーニャのついで感が否めねえけど、お陰様でな。ありがとよ」
「とにかく、取り急ぎ首都アクアオーラへ移動しよう。向こうでも面倒な問題が起きているらしいからな」
「面倒な――その、一体何が起きて、こんなメチャクチャな状態になったのでしょうか……?」
困惑しきりの綾那を見た颯月は、小さく頷いてから「道すがら話そう、綾が風邪をひいたらと思うと気が気じゃない」と、移動を促した。
颯月が言うには――と言っても、彼もまだルシフェリアから最低限の説明しか受けていないらしい――何者かの邪魔が入ったせいで、ルシフェリアの「転移」の座標がずれてしまったらしい。
正確には座標がずれたと言うよりも、「邪魔を察して、集中を切らした」が適切だろうか。
全員を首都アクアオーラに飛ばすつもりが、ルシフェリアは途中で邪魔者の気配を察知した。
その時に、焦って「とりあえず誰かを陽香の元へ送らなければまずい」という意識に囚われたらしい。その選ばれし『誰か』が、たまたまルシフェリアを抱いていた綾那だっただけ。その辺りの詳細な説明は、求めても無駄だったそうだ。
そこから慌てて座標を設定し直したものの、焦っていたせいで、つい綾那一人だけを陽香の元へ直通で飛ばしてしまった。
そもそも「陽香のところへ直通で「転移」は難しい」的な話をされていたような気もするが、どうせいつもの予知だかなんだかの兼ね合いで、わざと面倒でも適切な道を選んだ結果だろう。
綾那以外の面々は、無事にアクアオーラの街中へ「転移」できていたようだ。
街中にまで入り込んでしまった眷属の総数を減らしたのち、速やかに街の安全を確保。そして、ルシフェリアは颯月を連れてここまで「転移」したらしい。
とにかく、創造神の戯れが原因の一端である。恐らく、幸せへと至るための複雑な道を選んだ結果、邪魔者のせいで色々と面倒な事になってしまったのだろう。
問題はその、創造神の邪魔をした何者かの正体である。
いまだ憮然とした表情で不貞腐れる幼女を見て、綾那と陽香は揃って首を傾げたのだった。




