混乱の種
綾那は、颯月と共にマイホーム計画を進めながら――そして、ゆっくり確実に肉感を増しながら――すっかり過ごしやすくなった気候に、ほうと息をついた。
アイドクレースは常夏の気候だが、夏には連日三十度を超える気温も、冬になると二十度前半まで下がる。それでもまだ暑いのだが、今までと比べれば天国のようだ。薄手のものであれば、例え長袖を着ていても十分快適に過ごせるだろう。
――あの報告会から、更に数日が経った。
しかし新人教育の指導要領は練り直しの最中で、まだ教育はスタートしていない。だから綾那は教育現場にカメラを入れる事ができないし、今まで通り愛する旦那の世話をしながら、時に書類整理を手伝いながら――渚と維月のリハビリを見守る毎日だ。
颯月の手が空いた時には一緒に悪魔憑きの教会へ顔を出して、朔や楓馬と遊ぶついでに静真の「解毒」も忘れない。そもそも触れ合う悪魔憑きの数が減ったせいなのか、静真のアレルギー症状はかなり和らいでいる。この近辺に生息する眷属が減った事もあるのか、クマだらけで頬のこけた幽鬼フェイスも、少しずつまともになってきたようだ。
お陰で、ようやく彼の整った顔立ちが目立つようになったらしい。ここ最近は、幼い子供をもつ母親世代に人気なのだ――という話を、教会へ遊びに来ていた澪から聞かされた。
教会とは元々、人が集まる場所なのだ。少々不純な理由でも構わないから――あの場所が悪魔憑きの住まいどうこう関係なく――多くの人が利用する集会所になれば良いと思う。
そんな穏やかな日々の、ある昼下がり。
今日も今日とて颯月の世話係として執務室に侍り、ちょうどお茶休憩をしていた時――その来訪者は突然、姿を現した。
窓の外から目を焼くような謎の光体が飛び込んで来たかと思えば、それは執務室の中を真っ白に染め上げて、綾那と颯月の目を容赦なく潰したのだ。
「――ぐっ……!?」
「シ、シアさんですか……!?」
こんなはた迷惑な登場の仕方をする知り合いは、一人しかいない。いや、人ですらないのだが――まず間違いなく、リベリアスの創造神ルシフェリアである。
チカチカと眩む目をしばたたかせながら、綾那は薄っすらと瞼を開いた。すると、自分の座っている長ソファがぎしりと軋む。薄眼で隣を見やれば、そこには綾那と全く同じ姿形の、水色の髪をした女が腰掛けていた。
「――わあ! すごい、もう私と何ひとつ変わりませんね?」
「ふふん、僕の方が隠し切れない天使オーラを兼ね備えているはずだけれどね!」
綾那そっくりのルシフェリアは足を組み、腕まで組み、尊大な態度で顎を逸らして、ソファの背もたれに全体重を預けた。姿形こそ似ていても、仕草と表情の浮かべ方ひとつで別人のようだ。
もしかすると、いつか竜禅が指摘していた「綾那殿と輝夜様の顔は、笑顔以外ひとつも似ていない」というのは、こういった部分が要因なのだろうか。笑顔が似ているという事は顔そのものが似ているはずなのに、誰も彼もが「輝夜はもっと勝気で、意地くそが悪そうだった」とか「綾那はいつも柔和だから、大違い」とか言うのだ。
(思えばお義父様だって、笑った顔は颯月さんと似ていらっしゃるけれど――無表情の時は、少し違うものね)
綾那はずっと不思議だったが、きっと表情筋の使い方と態度、纏う雰囲気の違いなのだろう。そうして自分そっくりのルシフェリアに感心していると、正面に座る颯月が低く呻くような声を絞り出した。
「……創造神、頼むからもっと小さくなってくれ」
「ええ? どうしてさ、君の大好きな女の子が二人も居るんだよ? 喜ぶかと思ったのに――」
「――だからだ! 今の一瞬でとんでもなく卑猥な妄想をしちまった、俺はもう綾に対する罪悪感でいっぱいいっぱいなんだ! 頼むから綾を増やすのはやめてくれ!」
「……やだぁ、僕とこの子と三人でナニをしようとしたのさ? パパったら、本当にケダモノなんだからあ」
「綾の顔でパパとか言うな、おかしな店に来たみたいだろうが!!」
叫びながら頭を抱え込んだ颯月に、ルシフェリアはおかしそうに笑った。そうしてまた体が光り輝いたかと思えば、すっかり見慣れた五歳ぐらいの幼女綾那に姿を変える。
一連の流れを見守っていた綾那は、己の事を好き過ぎる旦那に喜んで良いのか、己の姿をした別人にまで欲情したらしい旦那を嘆けば良いのか――何やら複雑な胸中のまま、「お久しぶりです」と苦笑した。
しかしまあ、思えば綾那だって繊維祭の時に、十四歳当時の颯月を模したルシフェリア相手に浮かれまくったのだ。これはもう、両成敗だろう。
「やあやあ、久しぶり。元気そうだね――ああ、まずはご結婚おめでとうと言うべきかな」
「いつもどこから見ているんですか? 本当になんでも知っていますね」
「もちろん! だって僕はすごい天使だからね」
偉そうに胸を張った幼女は、ソファの上に立ち上がるとそのまま綾那に抱き着いた。そうして膝の上で横抱きの状態になれば、ふと何かに気付いたように綾那の身体をジロジロと見る。
「……なんだかちょっと、幸せ太りなんじゃないの? 座り心地は良いけどさ――」
「――ウゥッ……!!」
「ひとつも太ってない。より美しくなっているだけだ、ふざけるなよ」
「ふざけているのは、果たしてどちらなんだろうね……まあ別に良いけど、程々にしなよ?」
いつの間にか復活したらしい颯月が反論すると、ルシフェリアは小さく肩を竦めた。
「――それで? いきなり戻って来て、今度はなんの用だ?」
「うーんと……まあ、結婚のお祝いを言いにきたっていうのもあるんだけど、本題は別だねえ。ちょっと、ルベライトの事で話があってさ」
「ルベライトの? 向こうには今、陽香達が到着した頃だろう? いや、もう明臣を送り届けて復路についている頃か」
「……あー」
相槌ともなんとも言えない「あー」を出したルシフェリアに、綾那は首を傾げる。
「どうかしたんですか? まさか、陽香達に何かあったとか――」
「なんて言うかあ……説明が難しくて~、できれば直接目で見て欲しいって思うかな~」
「…………直接? な、なにを言い出すんです? まさか、また「転移」を使って――今度は私達をルベライトに送り込もうとしてますか?」
「うん」
「――うん!?」
さらりと告げるルシフェリアに、綾那は目を剥いた。一体全体どうしてそんな要請をされているのか、ひとつも理解できなかったからだ。
しかしその後続けられた言葉に、綾那はますます思考停止する事になった。
「なんかこう――赤髪の子がピンチなんだよね? あのままだと死んじゃうと思うから、助けてあげた方が良いかなって」
己の頭を小さな手でコツンと叩いたルシフェリアは、「あの子が呪われてるの、つい忘れがちで困っちゃう」と言って赤い舌を出した。




