談笑
颯月も交えて昼休憩にしようとしたところ、彼から「あと三十分だけ待って欲しい」という返答がきた。どうも書類仕事のキリが悪いようで、身動きが取れないらしい。維月に負けず劣らずブラコンの彼が言うくらいだから、きっと本当に手が離せないのだろう。
仕方がないので、このまま応接室で颯月の合流を待つ事にした。渚は空腹により集中力を失ったのか、先ほどから一切法律書を開かない。そうして黙っていても気まずいだけだと思ったのか、維月がおもむろに口を開いた。
「あなたはこちらの法律書を読んで、どう思った? 俺は今、どんな法律を制定すべきか――もしくは、既存のものをどう改定すべきか悩んでいる。何か考えがあれば聞かせて欲しいな」
維月に水を向けられて、渚は逡巡してから「そうですね」と話し始める。
「まだ軽く目を通しただけなので、なんとも言えませんけれど……国王が一生に一度だけ法律の改定をできるという仕組みからして、効率が悪いと思います」
「……仕組みか」
「まず民主主義と言う割には、『国民主権』の観点が欠如しています。まあ、そもそも「表」の日本とは憲法が違って当然なんでしょうけれど――あまりにも国家権力が強すぎます。法律だけで、憲法が存在していないというか」
ふむ、と興味深そうに話の先を促す維月と、「法律と憲法って、何か違うものなのか」と顔に書いてある綾那。渚はちらりと綾那を見やると、ひとつひとつ丁寧に解説し始めた。
――曰く、「表」の日本でいうところの法律とは、憲法、民法、刑法、商法、民事訴訟法、刑事訴訟法の六法に分けられるものだ。国家による国民に対するルールで、法律があるお陰で社会的秩序が守られて、国民の生活がより豊かになる。
対する憲法とは、国のためではなく国民のために存在する法――規律だ。これは国民の権利と自由を守るために存在するもので、国家権力を制限するルールでもある。「表」の憲法とは、国の最高法規に当たる。法律よりも上位に存在するため、憲法で定められた内容に沿った法律以外、そもそも制定されないのだ。
日本の憲法は、『基本的人権の尊重』『平和主義』『国民主権』の三原則から成る。渚の言う『国民主権』とは――政治の主権者は国ではなく国民であり、憲法を制定する権力もまた国民にあるという概念の事だ。
別に、日本国民全員が政治家だとは言わないが、しかし選挙で国会議員を選出して民意を反映するという点では、間接的に政治に参加している――という話である。
「インターネットやテレビ放送さえ存在しない時点で、国民誰しもが言論の自由を持っているかと言えばかなり怪しいです。少なくとも生活は保障されている訳ですから、人権無視とまでは言いませんが――しかし、ただの人が声を上げられる土壌がありません。新しい事を始めようにも情報が行き渡らず、国どころか領土にすら浸透しない。間違いを正そうにも声が届かない。だからこそアイドクレースでは、正妃様という権威から発言力から桁違いの『国家権力』が一強なんです。領民は目に見える彼女を唯一の正解と信じ込んで、彼女のような姿を目指す。けれど、国全土にその考えが浸透しているかと言えば……国家権力でさえ、十分に行き渡っていない」
渚の言う通り、痩せこそ至高の概念はあくまでもアイドクレース領内の話だ。アデュレリア領やセレスティン領は、痩せた女性ばかりではない。
他領にも正妃の写真くらい出回っているかも知れないが、言ってみればそれだけだ。正妃の姿を目指そうとか、痩せなきゃ恥ずかしいとか、そこまで妄執的ではない。
「インターネットはよく分からないが――テレビ放送というのは、義姉上が始めた騎士団の動画配信のようなものか?」
「厳密に言えば違いますけれど、まあ……国ではなく、企業や個人が自由な思想を垂れ流せるツールと捉えて下されば結構です」
「なるほど。確かに、ああいったものが国に溢れれば活気づいて良いだろうな――ただ、今まで局地的に押し留められていた危険思想も全国各地へ広がりそうだ」
「もちろん、そういった負の面も存在しますよ。いとも簡単にデマが広がって民衆が混乱する事もあるでしょうし、メリットばかりではありません」
維月は頷いて、渚に続きを促した。
ちなみに綾那は完全に思考停止しており、窓の外を眺めながら「今日もいいお天気だなあ」なんて現実逃避している。
「次に『平和主義』ですが――悪魔、眷属、魔物という人類共通の脅威が存在していないと、利権を巡りお手軽に侵略し合う点から鑑みて……そもそも戦争、侵略行為を禁止されていませんよね」
「その通りだ。リベリアスは、戦争、侵略、領地の統合など――そういった野蛮な行為を繰り返す事で繁栄、衰退してきた国だからな。それが途絶えたのがおよそ三百年前、悪魔の動きが活発化してからの話だ。そこから先はもう、人間ではなく眷属に対抗する法律をメインに打ち立てられているから……一生に一度の貴重で限定的な権利を、今『人間同士の戦争を禁止する』なんて事には使っていられない。わざわざそんな事を言われずとも、人間同士で争う程暇じゃない――というのが、国民の総意だろう」
「その今が三百年続いた結果、いまだに戦争を禁止する条例が存在しない、と。まあ、まだ悪魔の脅威は健在みたいですから、差し当たって急ぐ案件でもありませんね」
「ああ。この状況下でで戦争を目論むのは、よほどの破滅論者だろう」
若干、ヴェゼルが職務放棄している感が否めないのだが――まだ兄のヴィレオールが好き放題はしゃいでいるようなので、人同士の戦争についてはひとまず安心だろう。
そもそも悪魔の処遇については、創造神ルシフェリア任せの部分が多い。この世界の『氷』と『雷』の全てを担っているという時点で、人の手でどうにか出来るものではないのだから。
渚は更に続けた。
「あとは……血筋こそ全てという王の世襲制、国王のみが法律を弄れるという不公平。それに、王族だけが民衆を裁けるという決まり――この辺り、本当に邪魔ですよね」
「曲がりなりにも次期国王を前に、邪魔なんて言わないでくれないか。どう反応していいものか悩む」
渚の言い草に軽くツッコミを入れたが、しかし維月は一切気分を害した様子がなく、おかしそうに笑っている。ひとしきり笑った後にこてんを首を傾げれば、彼の長い尻尾――もといポニーテールも同じように揺れた。
「――それで、あなたはどう思う? 俺の一生に一度の貴重な権利……これを何に使うべきか。異大陸の法律と憲法の話は面白いし、興味深いが……俺にできるのはひとつだけ。全ての法整備は無理だ」
「そんなの、権利を増やせば良いだけですよ」
「…………何?」
「法整備の回数が一生に一度じゃなくなれば良いんです。願い事の数を増やすのは禁じ手だなんて、ランプの魔人じゃあるまいし――こちらの法律書を見た限り、ソレを禁ずる法律はまだありません。ただ、国王が法律を制定もしくは改定できるのは、一生に一度という慣習があるだけ。何故ならば、王一人が何度でも好きなだけ法律を弄くり回せてしまったら、国が大変な事になってしまうから――道徳的な観点からしない。国のためを想って、民を想ってしないだけ」
「それは……いや、確かにあなたの言う通りかも知れないが、そんな事が許されたらとんでもない王が誕生するのでは――」
「そもそも好き勝手しそうでヤバげな、性格的に問題のある傍若無人の馬鹿なんて、他の王族が国王の座につかせないでしょう?」
さらりと言い切った渚に、維月も――綾那も目を丸めた。
「つまり、俺の権利を『一生に一度』から変える法律を作れ――と?」
「ええ。ただ、殿下が死ぬまで法律を好き放題できるっていう条件だと、いつか国王殺しの暴動が起きそうですよね。だから期間を限定するんです。数年間――いや、たった数か月だけでも違うでしょう。殿下は今ある法律について理解が深く、既に問題点の洗い出しもできていると思います。「表」の考え方についても頭ごなしに拒絶する訳じゃありませんし……ごく短期間で、国をこれでもかと変えられるのでは?」
「……その発想はあまりに斬新で、危険だな。さすがは異大陸の人間と言ったところか――そんな危うい思想は持った事がない」
「でしょうね。だって、これが栄えある『暴君誕生』のファーストステップですよ。そう遠くない未来、維月殿下の後継者だってあなたと同じ事をしようと考えるはずです。そんな事が代々続けば、いつかどこかで本物の暴君が生まれます。だから、今の内に法整備をしてしまう必要がある――王族しか法律を作れないという仕組み自体、変えてしまえば良いじゃないですか。『国民主権』にしちゃいましょうよ」
渚の主張は、恐らく正論なのだろう。ただ、リベリアスに「表」と同等の法律を敷くというのは、文化や思想の違いから、途方もない夢物語のようにも思える。
そんな夢物語を淡々と語る渚に、維月はちらと綾那を見て――「義姉上も大概おかしいが、義姉上のご家族はもっとおかしい」と呟いた。




