変装
「――という訳で、髪も瞳も黒くできるんです。桃華様は私の代わりにマスクを付けて、とりあえず移動中は布を被ったまま――竜禅さんと合流した後に、「水鏡」でしたっけ? アレを掛けてもらえれば、彼女の髪色が水色に見えないかなって」
ウィッグやコンタクトの使用方法を説明すれば、颯月は「ほう」と興味深そうに呟いた。
変装道具を常備しているなど、またしても綾那自らスパイ疑惑を深めたようなものだ。しかし、この派手な髪色を考えれば別段おかしくもないだろう。
綾那は桃華を見やると、申し訳なく思いながら口を開いた。
「その……大事なものだとは思いますが、攫われた被害者が黄色い服を着ていないとおかしいので。私の服と交換して頂いてもよろしいですか?」
「え、あ――あの、お姉さま。私のために、本気なのですか?」
「うん? 本気ですよ」
綾那の言葉に、桃華はグッと眉根を寄せて唇を戦慄かせた。
「そこまでよくして頂いても、うまく行かなかったら――お姉さまが……いえ、もしかすると、颯月様まで詐欺罪に問われてしまうのでは?」
「そっ、颯月様が!? 私はともかく、それはまずいね……!」
「アンタ、本当に俺の事好きだよな」
どこか感心するように呟く颯月に、綾那は「唯一絶対神に傷をつけて堪るものですか!」と吠えて唇を噛んだ。
奈落の世界で犯した罪が「表」にまで影響するならば話は別だが、恐らくその心配はない。ゆえに綾那一人が犯罪者扱いされる分には問題ないが、しかしリベリアスに住む颯月にまで罪を着せるのはまずい。
何がなんでもこちらに非はないと――悪いのは絨毯屋だと知らしめなければならない。
スマートフォンの動画だけでも犯罪の証拠として使えそうだが、しかし「攫われたのは桃華ではない、別の女性だ」と嘯く部分は厳しい。
まだ幼い少女が相手であれば、綾那の強引な謎理論のゴリ押しでも言いくるめられた。ただ、成人――それも交渉に長けた商人相手に同じ手が通用するとは思えない。
渚がこの場に居れば結果は違ったかも知れないが、今は居ないのだから仕方ない。
綾那は腕を組んで「うーん」と考え込んだが、ふいに師の言葉を思い出すと、ポンと手を打った。
「分かりました。いざとなったらオーナーさんを泣き落としましょう」
「泣き――いや、ガキの喧嘩じゃないんだが」
「あら颯月様。私の泣き落としを甘く見ないでください」
「まさか、それも綾の『魔法』か?」
まるで面白い玩具を前にした子供のような、期待の籠る眼差し。綾那は意味深長な笑みを返して明言を避けた。
(いや――泣き落としなんてギフト、ないんですけどね)
泣けば全てを許される、泣けば相手を思うがまま操れる――なんて、そんな都合のいいギフトは存在しない。しかし綾那は昔、師に指摘された事があるのだ。
――「綾那って、本当に得な顔をしてる。本気で泣かれると罪悪感に苛まれて、とにかく、今すぐに泣きやませなきゃって気持ちにさせられるんだもん……ここまで来ると、『隠れギフト』かも知れないよ?」と。
実際、そんなギフトは存在しないのだ。
ただ師の言う通り、学生時代に陽香が無茶苦茶をして退学になりかけた時も、「偶像」のせいでアリスに敵意剥き出しの女性がしつこく――それこそ、犯罪すれすれのレベルで絡んできた時も。
渚がとあるギフトを使って、危うく警察のお世話になりかけた時も。綾那が涙ながらに謝罪すれば、不思議といつも許されたのである。
普段鬼のように厳しい師でさえ、過酷な鍛錬に耐えかねた綾那が音を上げて泣き出した時には、即座に手を止めて「ごめんね? 今日はもう終わりにするから――ね?」と慰めにかかる。
それこそ綾那自身、本当に隠れギフトなのではないかと疑う程だった。
――ただし、これはあくまでも綾那が本気で泣いた時の話である。
本気も嘘も同じ泣き顔じゃないかと思うのだが、師が甘くなる事に味を占めた綾那が「もしや、嘘泣きでも鍛錬を切り上げられるのでは?」と企てた際には、かなり手酷い制裁を受けた。
そして、制裁後に本気で泣いて反省する綾那を見てようやく、師は態度を軟化させたのだ。
(オーナーさんと話す過程で、もし私が桃ちゃんの身代わりになっているとか、騙そうとしているとか――そういう事を疑われたとしても、本気で泣けば有耶無耶にできないかな~~なんて、さすがに甘いかな)
綾那は、マスクの下で眉間に皺を寄せた。
いくら演じる事に慣れているとはいっても、女優でもなんでもない綾那が、ここぞの場面で嘘泣きするだけでも大変な事だ。しかも嘘泣きどころか、今回は本気で泣かねばならない。
一体何を想像すれば、本気で泣くほど悲しい気持ちになれるだろうか。
(こうなったら――小学生の頃、学級で飼っていた鶏が死んじゃった時の悲しみを思い出すしかない、か……!)
胸中でズレた決意をしても、「本当にその題材でいいのか」とツッコみを入れてくれる者はどこにも居ない。そうしてやる気を漲らせる綾那を見て、桃華が言い辛そうに口を開いた。
「あの、服を交換するのは構わないのですけれど……お姉さまは、その――お胸が入りきらないと思います」
「ぐッ、――ゴホッ!」
極めて深刻な表情で言う桃華に、颯月は激しくむせて咳込んだ。
綾那がじっと見やれば、彼は口元を手で覆って咳払いを繰り返している。そして最後には顔を逸らして、まるで笑いを堪えるような震え声で「お――俺は何も聞いてない」と答えた。
綾那は「そんな訳があるか」と思ったが、ここで変に突っかかっても藪蛇だ。再び鞄に手を入れると、「ご安心を」と中から胸部コルセット型の簡易防弾チョッキを取り出した。
「桃華様、コルセットを締めるのは得意ですか? これで潰せば、細身の服も入ると思うんですけれど――」
「あっ! ご、ごめんなさい。母から締め方を教わった事はありますが、どうも私、力が弱いみたいで――いつも満足に締められなかったから、難しいかと……」
「えっ」
彼女は服屋の娘だから、人のコルセットを締めるくらい朝飯前だと思っていたのに――完全にアテが外れてしまった。他に女性が居ないので、桃華にしか頼めないのに。
(いや、まあ、確かに……これだけ華奢なんだもん。力、弱いに決まってるよね――)
コルセットを装着する際には、それなりの腕力が必要だ。思いきり締めるために装着者の背中を足蹴にする事だってある。
桃華の言う通り、華奢な彼女が着ている細身のワンピースを、色々と豊満な綾那が素のままで着こなせるはずがない。特に背中のジッパーを閉めるためには、胸を潰すのは必須である。
綾那は必死で考えて、頭の中で天秤を揺らした。いっそ黄色い服を着用する事は諦めて、オーナーと会うか。しかしそうすると、「桃華の黄色い服を着ていたから、誤って攫われた」という作り話が通用しなくなってしまう。
であれば、綾那が今とるべき行動は――。
「………………颯月様は、紳士的で誠実な素晴らしい騎士様ですよね?」
「待て綾、正気か?」
綾那の言わんとする事を察したのか、颯月は口元を押さえたまま固まった。
別に、裸を見せる訳ではない。後ろからコルセットの紐を締めてもらうだけなら、ほんの少し背中を見られるだけだ。つまり、確実に紐を締められるだけの筋力をもつ颯月に頼むのが、最も手っ取り早く確実な方法であった。
「私は、絶対に黄色い服を着ていないといけません。今から外へ出て新しい服を仕入れる時間はありませんし、時間をかけ過ぎるとアリバイ工作感が拭えません。どうせ着るなら、実際に桃華様が愛用している服の方が確実です」
「……だが、そこまで体を張られると」
「颯月様。締める時は思いきり、全力でお願いしますね?」
有無を言わせぬ綾那の物言いに、颯月はやがて観念したのかため息を吐き出した。
「本当に良いのか? その――俺が見ても」
「ええ、構いませんよ」
構わないどころか、むしろ綾那は申し訳ない気持ちでいっぱいなのだ。宇宙一格好いい男の目に素肌を晒して良いのは、同じく宇宙一美しい女性だけである。
そんな二人のやりとりを見て、桃華は感極まったようにハラハラと涙を零した。
「お姉さま、私のために、そこまで――分かりました、仰る通りにします」
「……ああ、俺も腹を括る」
ここまで来たらもう、後は野となれ山となれである。綾那は大きく頷くと、颯月と絨毯を目隠しにして、桃華と共に着替え始めた。




