食堂にて
場所は変わって、騎士団宿舎の食堂。訓練終わりの十八時前後に利用者がドッと増えるため、十九時過ぎでは利用する人もまばらだ。いつも以上に空席が目立っているし、厨房内で働く料理人の数もピーク時と比べると少ない。
混み合う時間を避ける者の意図と言えば、ゆっくりと自分のペースで食事したいから。そして、元々一人を好む者や――団体行動が基本の騎士団で、そういった性質は仇にならないのかと心配になるが――訓練場の片付けや特訓の居残りなんかで、食事の時間そのものが遅れた者などだろうか。
例えば参謀の和巳は静かに食事するのを好むため、いつも皆より一時間早く食堂へ行っている。訓練に参加するよりも書類仕事に追われている事の方が多く、他の者と比べて自由に動けるのも理由のひとつ――いや、彼の場合、単に燃費が悪く空腹に耐えられないだけかも知れない。
食事中の若手騎士は颯月の来訪に気付くと、スッと目礼した。中には、わざわざ起立してまで深々と頭を下げる者も居る。やはり、いくら風通しがよく垣根もないとは言え、上下関係だけはきっちりしている体育会系だ。颯月は軽く手を挙げると、暗に「挨拶は不要だ」と彼らの動きを制した。
「綾は座って待っていてくれ。幸輝、行くぞ」
「おう! ――じゃなくて、はい!」
颯月に手招かれて、幸輝は黄色い瞳をキラキラと輝かせながら彼の後をついて行った。騎士になれば、団長の颯月に対して敬語を使わねばならない。予行演習のつもりなのか、幸輝は早速言葉遣いを正そうと奮闘している。その事さえも楽しそうで何よりだ。
綾那は出入り口近くの、厨房から一番離れた席に座って待つよう促された。恐らくこの辺りの席が一番利用者が少ないため、他の騎士に余計な気を遣わせずに済むという配慮だろう。
(騎士の人って本当にレディーファーストが根付いてるから……一緒に食堂へ来ると、誰も厨房まで行かせてくれないんだよなあ)
旭と来れば「自分が取って来ます」と言って、こちらの返事も待たずに受け取り口まで行ってしまう。それは、和巳と来ても竜禅と来ても同じ事だ。
幸成など、出会った当初まだスパイ疑惑が解けなかった綾那が相手でも、「そこに座って待ってて」と言って食事を運んでくれたものである。
騎士の若手訓練には、そういったマナーに関する座学でもあるのだろうか? ただでさえ婚期を逃す職業なのだから、女性を大事にして結婚のチャンスを掴み取れ――とかなんとか、そういう考えあっての事かも知れない。
(本当に素敵な人ばかりだから、どうにか結婚できる職業に戻してあげたい)
そのためには、やはり入団希望者の半数が冷やかしでは困るのだ。ノルマ――と言うと少し変な表現だが、以前アイドクレース騎士団の不足人数は、五~六千人だと聞いた事がある。それだけ騎士が増えれば、頻繁に領内を巡回する事なく各地に騎士が駐在出来るのだと。
つまり『広報』が集めるべき人員ノルマは、あと五千人ほど。それさえクリアすれば、少なくとも「一所に定住できない問題」は解決するはずだ。
綾那はふと顔を上げると、厨房へ向かったばかりの颯月と幸輝を見やった。愛しの彼は、カウンター越しに料理人へ向かって声を掛けている。
何か労いの言葉でも掛けているのだろうか。それとも「これから幸輝をよろしく」なんて言葉を掛けているのだろうか。彼は気遣いの出来る男だから、きっとそうに違いない――そんな事を思うと、つい表情が緩んでしまう。
そうして今にも蕩けてしまいそうな綾那の視界に、食事しながらもチラチラと窺うような視線を送ってくる騎士らの姿が映った。やはり自分は――髪色にしろ肌色にしろ体形にしろ、そして颯月との関係性にしろ――目立つのだろうかと、小首を傾げる。
(とりあえず、愛想よくしておこう――何せ私は団長夫人! ああ……なんて幸せで、甘美な響き!)
綾那は、騎士らと目が合う度にぺこりと会釈した。幸せ過ぎてだらしない顔をしているかも知れないが、彼らもまた会釈し返してくれるため気分が良い。
やはり挨拶されたら挨拶し返す、コミュニケーションを取る上で大事なことである。
「――綾さん? こんばんは、お久しぶりですね」
「ん? あ、伊織くん! こんばんは」
食堂の扉が開かれたと思えば、入って来たのは右京の弟――右京本人は「実弟と思いたくない、恥ずかしい」と言うが――伊織である。
出入口近くの席に座っていた上に、これだけ目立つ容貌の綾那を見逃すはずがない。何せ彼は、曲がりなりにも綾那に求婚したいと考えて、東部アデュレリアから王都まで引っ越して来た男なのだから。
(……あっ、やばい、私結婚しちゃった)
綾那は笑顔で伊織に挨拶した後、ハッとした。いや、別に求婚されるまで待つなんて約束はしていないし、元々「颯月以外考えられない」的な話はしていたはずだ。だから綾那が結婚したところで、何も悪くはないのだが――しかし、領を跨いで追いかけて来た少年相手に、あまりにも無神経だったような気がしてくる。
食堂へ来たのだから食事が目当てだろうに、伊織は厨房へ向かわず綾那の隣の席へ腰かけた。嬉しそうな笑みを浮かべて自身を見つめてくる少年に、綾那は謎の罪悪感に苛なまれる。
色素の薄い灰色っぽい右京とは違い、弟の伊織はもう少し濃い髪色をしている。顔立ちはよく似ているが――若干、兄の方が中性的な美少女顔と言えるだろうか。
もしかすると、兄弟それぞれ父親似と母親似なのかも知れない。
伊織もまた『火』魔法が得意なのか、兄とよく似た黄色い瞳をしている。思い返せば、アデュレリア領は特に『火』の得意な者が多いのかも知れない。
旭も右京も伊織も、元アデュレリア騎士団の面々も――アデュレリアの騎士団長、隼人も瞳が黄色だった気がする。生まれ持った特性だと言うが、地域によって得意になる魔法に差があるのだろうか。
(王族は紫――『雷』が得意な人が多いみたいだし。でも王都の人に『雷』が多いかって言うと、そうでもないし……不思議だなあ)
気付けば綾那の思考は完全に逸れていて、じっと黙って伊織の黄色い瞳を見つめている。あまりに熱心に見つめ過ぎて――綾那に恋心を抱いている伊織が頬を染めるのは、至極当然の事であった。
「――オイ」
そして、食事を手に席まで戻って来た颯月が、これでもかとドスの利いた低い声を上げたのもまた、当然の事であった。




