出来る事からコツコツと
白虎と別れて、応接室の片付けを終えた後――渚の手ずから体を磨いてくれるとの事なので、綾那は彼女を連れて私室へとやってきた。
そうしてまず何をやったかと言えば、水分補給と入浴である。
部屋備え付けのバスタブにぬるめの湯を張り、三十分ほど半身浴。合間に水を飲めば、体に溜まった老廃物を含む毒素が排出されやすくなるらしい。ただ、効果はそれだけではない。
体の血行をよくしたり、副交感神経が優位になる事でストレスの改善にも繋がる。美肌効果やダイエット効果だけでなく、精神的な調子を整えるのにも効果的だ。
まあ、綾那には「解毒」があるため、正直言って毒素の排出はお手の物なのだが――しかし、なんでもかんでもギフト頼りで過ごしていると、人間本来が備えているはずの能力まで低下するという話もある。
将来、ギフトを使わねば老廃物を効果的に排出できない、なんて体になると困るのだ。自力で出来る事ならば、なるべくギフトを使わずに済ませる方が良い。
――ただし、綾那の「怪力」ダイエットについては、チートとは言えそれなりにしんどい思いもするため、大目に見て頂きたい。
そうして綾那がのほほんと半身浴している間にも、渚は髪の毛のトリートメントと頭皮マッサージを施してくれた。それと並行してホットタオルを顔に載せて肌を温めれば、毛穴が開いて汚れを浮かせやすくなるのだ。
体の芯から暖まって、よい汗をかいたら――後はもう、綾那はベッドに寝転がっているだけで終わりだった。
化粧水と乳液を使って全身の保湿。渚の手による全身のリンパマッサージと、ダメ押しのオイルトリートメントで肌はもちもちに。
半身浴中にトリートメントを施された髪は、毛先までつるんとまとまっているし――全身のマッサージの最後には、顔のリフトアップマッサージまで受けた。
頬骨の下辺りや肩甲骨周りなど、ところどころ凝っているのか痛みを感じる部分もあったが、基本的には心地よい時間であった。特別な機械や道具を使う事なく、手技ひとつでここまで人の肌を磨けるのだから、渚の知識と技術力はもの凄いと言わざるを得ない。
一体、彼女はいつからエステティシャンになったのだろうか。
「あの……私、寝てるだけで何もしてないよね……? こ、こんなんで良いのかな――」
「でもさ、本来ブライダルエステってそういうものじゃない? お金さえ払えば、あとはプロが全部やってくれるじゃん」
「いや、私渚に何も払ってないんだけど……あと、実際のブライダルはもう少し先なんだけど」
「それはまあ、今後に期待かな。颯月サン大金持ちっぽいし、アレに頼めばなんでも手に入れられそうだよね。頼りにしてるよ」
「……うん、本当にありがとう」
ベッドの端に腰掛けた綾那は、体磨きの仕上げに手足の爪を磨かれながら複雑な表情を浮かべた。本当に、綾那はただ風呂に入って、ただ寝ているだけだった。全て渚に任せきりで、気付いたら全身ピカピカになっていたのだから。
爪まで磨き終えた渚は、ひと仕事終えたような清々しい表情で綾那の隣に腰掛けた。
「あとは――食事? やっぱりこの前の風邪で体重が落ちてるよね、五キロは減ってるかも」
「あ、うん、そうなんだよね、できるだけ綺麗に元に戻したいんだけど」
「タンパク質を多めにとると良いんじゃないかな。あんまり脂や甘いものばかりとり過ぎると、肌荒れするから気を付けてね。まあ、騎士団員用のメニューなら栄養については心配要らないか」
「しばらくの間、頑張って大盛りで食べてみる。あと、「怪力」もむやみに使わないようにしないと」
「それが良いと思うよ」
下手に「怪力」を発動させれば、それだけカロリーを消費してしまう。痩せたい時ならばまだしも、太りたいと思っている時に使うのは悪手だ。それではまるで、「太りたい」と願いながらも常時「軽業師」を発動してしまうせいで、一向に太れない陽香と同じではないか。
――そうして陽香の事を思い出した綾那は、ふと彼女らの旅路がどうなっているのか気になった。
「陽香とアリス、今頃どの辺りかなあ……道中ケガしてないと良いけど」
「んー……あの子らが出発してから、どのくらい経ったっけ? まだ一週間も経ってない?」
「一週間とちょっと、かな? 確かルベライトまで、片道三週間から四週間かかるって話だし……そう考えると、まだ半分も進んでないって事か」
「馬車で約一か月も旅するって――まあ野宿ばかりじゃなく、途中で街や村に立ち寄って宿をとるとは思うけどさ。「表」の交通網に慣れてる人間からすると、なかなか過酷だよね。まず道がアスファルトで舗装されてないし、馬車も車みたいにステアリングが効いてなければ、相当揺れるだろうし。雪深くて寒い地方だって言ってたけど、馬車には空調だってついてない訳じゃん? やっぱり綾はここに残って正解だったと思うよ、また風邪ひいたら大変だし」
「そ、それは確かに……でもなんか、右京さんが人間カイロになっていそうな気はする」
氷魔法の得意な明臣が生きた冷房ならば、火魔法の得意な右京は生きた暖房と言ったところか。
彼は上級魔法でさえなければ、魔力制御もピカイチだと言うし――ちょうどいい温かさの火の玉を宙に浮かせておくぐらい、簡単にやってのけそうだ。
「魔法かあ……トラに聞きながらこの世界の魔法について少し勉強したんだけどさ、やっぱり私達の身体じゃあ魔法は無理っぽいね。どうしたって、魔石――人の魔力を借りなきゃ、何も出来ないみたい」
「シアさんが言ってたよ。「表」の人間には、そもそも魔力を溜めるための器官がないって」
「その点はなかなかハードかもね。こっちに移住するのは構わないけどさ、魔法がないと生活すらままならない世界なのに、他人の魔力に依存しなきゃ生きて行けないって事だから」
渚はそのまま「まあ、トラが居る間は困らないと思うけど――」と付け足した。確かに彼さえ居れば、渚の魔力については安泰だろう。
綾那とて拾ってくれたのが颯月でなければ、ここまで無事に生き残れなかったに違いない。彼と出会えた事は、色々な意味で僥倖であった。
(そう言えば、颯月さんと出会うように仕向けてくれたのはシアさんだったっけ……あの時、私の行く末はどの程度まで見えていたんだろう)
ルシフェリアは確かに、人の未来を見通す事が出来るのだろう。しかし、これはあくまでも綾那の予想だが、「見よう」と意識しなければ何も見えないのではないかと思うのだ。
そうでなければ、ルシフェリアが颯月について一生悪魔憑きである事を知らなかった説明がつかない。
そもそも、これだけ膨大な数の生き物が住む世界だ。誰彼構わず全ての行く末が見えてしまっていたら、いくら神と言えども頭がパンクするだろう。
いつかルシフェリア自身も言っていたはずだ――「つい全員助けてしまいたくなるから、あえて見えないようにしてあるのだ」と。
「たぶん陽香達に何かあれば、創造神が教えてくれるんじゃない? 今どこで何してるのか知らないけどさ」
「……うん、そうだね。よく居なくなっちゃうけど、なんだかんだ助けてくれるから……」
「それはそうと、向こうが動画のストックをつくる旅をしてるって言うならさ……私達は私達でやれる事をしない? ほら、動画の配信場所をどうするかっていう問題」
「現状大衆食堂さんの独占配信で、しかもモニター魔具が一台しかないから……その内『チャンネル権』を巡る争いが勃発するんじゃないかって言う?」
「そう。まあ、陽香達が戻ってくるのはまだ先だし、ゆっくりで良いけどね。私も、まずは法律の勉強を済ませたいし……綾はどうせ、颯月サンの事でいっぱいいっぱいだろうし?」
そう言った渚の目は決して批判的なものではなく、温かみを感じるものだった。綾那は目元を緩めて、大きく頷いたのであった。




